エジプト中部,ナイル川西岸の地方名。ナイル川の水が流れこんでできたカールーン湖Birka al-Qārūnを中心にして広がる穀倉地帯で,ナイル川とカールーン湖を結ぶユースフ運河をはじめ,古代から水の便がよく,エジプト最古の定着農業が起こった地である。現在は,ファイユーム県(面積約1800km2。人口238万,2004)を構成し,中心は県都ファイユームMadīna al-Fayyūm(人口26万,1996)である。
執筆者:吉村 作治 古代においては,〈南の湖〉といわれたカールーン湖(古代名モエリス湖)は,現在ではこの地方全体の約1/5を占めているにすぎないが,プトレマイオス朝での多くの干拓工事以前にあっては,ほぼこの地域全体を占めていた。この地方の主神はワニをかたどったソベクSobekであり,その中心地はクロコディロポリスCrocodilopolisであった。湖岸段丘からルバロア型旧石器が発見され,湖北にはファイユームA文化と呼ばれるエジプト最古の農耕文化の遺跡もあり,さらには古王国時代の遺構も残るが,この地方が最も栄えたのは第12王朝およびプトレマイオス朝時代である。アメンエムハト3世や同4世の建立になる神殿やピラミッドを見ることができるほか,デモティック(エジプトの民衆文字)やギリシア語パピルスの出土で特に知られている。ローマ時代のミイラ肖像画(ファイユーム肖像画)の出土も有名。
執筆者:中山 伸一 伝説では,ファイユームの開拓は,ヨセフによるものといわれ,前3世紀ころにはユダヤ教徒の入植が始まっていた。7世紀のアラブ・イスラム教徒による征服のころに,すでに肥沃な農業地帯が形成されていたことは,〈ファイユームの360の村でエジプトを1年養える〉という言伝えによっても知ることができる。ファイユームの農業を支えていたのはユースフ運河を中心としここから何十本にも分岐する運河網であり,これによってナイル川の増水を利用して行う冬作(小麦,豆など)のほかに夏作が可能であり,ファイユームは,古くから亜麻と米の産地として知られていた。19世紀後半には,ナイル川沿いに走る鉄道によってカイロをはじめとする下エジプトの都市と結ばれ,商品作物として綿花の栽培が拡大された。現在も,小麦,綿花,果物などの産地で,ファイユーム市は同地方の農産物の集散地として商業取引が盛んである。
執筆者:吉村 作治
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…壁画や石柱の彩色,木箱や儀仗用武具,船体の装飾などに利用され,地中海地域一帯でかなり普及したらしい。エジプトのファイユーム地方で出土したプトレマイオス朝時代の棺の蓋に描かれた死者の肖像は,代表的作例として知られている。技法の詳細はわかっていないが,古い記述を総合してみると,熱したコールタールをつめた容器の上に鉄または銀板のパレットを置き,この上で温めて溶かした絵具をセストルムと呼ぶブロンズのへらで,予熱しておいた大理石や象牙の面へ塗ったものらしい。…
※「ファイユーム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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