日本大百科全書(ニッポニカ) 「ファウスト伝説」の意味・わかりやすい解説
ファウスト伝説
ふぁうすとでんせつ
15、16世紀にドイツに実在したというゲオルク・ファウストという錬金術師と、伝説的な魔術師ヨハネス・ファウストに由来するという伝説。このファウストという人物は、宗教改革者のルターやメランヒトンによってその悪魔的な能力を非難されている。スイスのバーゼルでファウストと食事をしたというヨハネス・ガストは、彼が連れている犬や馬は魔物であり、最後は悪魔によって絞め殺された、と『説教集』(1548)に記している。ファウストの名が後世に残るものとなったのは、無名の作家によるファウストの伝記が、1587年フランクフルトでヨハネス・シュピースによって『ファウスト・ブッホ』として上梓(じょうし)されたことによる。
ここに描かれたファウストは、ワイマール近郊に生まれ、ウィッテンベルクで神学を修めたが、やがて神を捨て、悪魔メフィストフェレスと死後の魂を売る契約をし、その代償として24年間(一説によれば24時間)の猶予をもらう。その間現世の逸楽をほしいままにするが、やがて契約の期限の切れるとき悔恨の涙に暮れながら死ぬ。
このテーマは、宗教改革の時代に、神に反逆し自我に目覚める人間の姿として大いに珍重され、イギリスの劇作家マーローは『フォースタス博士』(1588年上演、1604年出版)で、悪魔に身を売った碩学(せきがく)の悲劇を、トロイのヘレナとの交情や、断末魔の苦しみを通じて表現している。ドイツの文人ゲーテは1775年ごろ『ファウスト』を書き始め、1832年の死の直前に完成したという。ここにはゲーテの、人生の意味を問う近代人の苦悩の軌跡がみごとに表示されており、悪魔メフィストフェレスに魂を売ったファウストの幻滅と喜悦とが交錯している。第一部での美女グレートヒェン(マルガレーテ)との悲恋は圧巻であり、第二部ではヘレナとの結び付きなどをめぐり晦渋(かいじゅう)な展開をみせるが、最後に魂が天国に至る点ロマン派的志向が強い。
[船戸英夫]