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フォーセット Fawcett, Henry

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フォーセット
Fawcett, Henry

[生]1833.8.26. ウィルトシャー,ソールズベリー
[没]1884.11.6. ケンブリッジ
イギリスの経済学者,政治家。 1863年ケンブリッジ大学教授となり,65年自由党下院議員,80年グラッドストン内閣の逓信相をつとめ,小包郵便制度を設けた (1882) 。主著"A Manual of Political Economy" (63) は J.S.ミルの『経済学原理』の通俗的解説版として,限界革命以降の新しい経済学が普及するまでかなりの読者を獲得。著述を助けた夫人 M.フォーセットにも経済学の入門書"Political Economy for Beginners" (70) がある。上記のほか"The Economic Position of British Labourer" (65) ,"Pauperism,Its Causes and Remedies" (71) などがある。

フォーセット
Fawcett, Dame Millicent Garrett

[生]1847.6.11. サフォーク,オールドバラ
[没]1929.8.5. ロンドン
イギリスの婦人参政権運動の指導者。 H.フォーセットの夫人。結婚 (1867) 後,婦人参政権運動に入り,1897年婦人参政権協会全国同盟の会長。 E.パンクハーストらの戦闘的婦選運動には反対で,愛国的路線をとった。アイルランド自治に反対。南アフリカ戦争中,政府派遣の調査員としてボーア人の非戦闘員収容所に関するレポートを送った。第1次世界大戦中は,彼女の指導する組織全体がイギリス国家を支える姿勢をとった。 1918年人民代表法が通過し,その組織が平等市民権全国連合になったとき引退。 Dameの尊称を贈られた。

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百科事典マイペディアの解説

フォーセット

英国の婦人参政権運動家。1867年盲目の経済学者でケンブリッジ大学教授,自由党所属の議員ヘンリー・フォーセットと結婚,1884年彼が死去するまでその著述・政治活動を助けた。

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世界大百科事典 第2版の解説

フォーセット【Millicent Garrett Fawcett】

1847‐1929
イギリスの婦人参政権運動家。オールドバラの大商人の末娘。姉エリザベスもフェミニストで女医の先駆者。1867年,ケンブリッジ大学の盲目の経済学者で自由党議員のヘンリー・フォーセット(1833‐84)と結婚。夫の生前は彼の著述活動を助ける。1897年,停滞・分裂していた婦人参政権諸団体を一つに統合し,〈婦人参政権協会全国同盟〉を結成し,穏健な運動を指導した。【河村 貞枝】

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世界大百科事典内のフォーセットの言及

【婦人参政権運動】より

…そして同年,女性は地方自治体の選挙権を,70年に教育委員会の選挙権を獲得した。 婦人参政権に対する政府の頑迷な姿勢が続くなかで,運動は二つに分裂し,97年にはM.G.フォーセットを中心に〈婦人参政権協会全国同盟National Union of Women’s Suffrage Society(NUWSS)〉が,1903年にはE.パンクハーストとその娘クリスタベルが指導する〈女性社会政治同盟Women’s Social and Political Union(WSPU)〉がマンチェスターに結成された。前者の女性はサフラジストsuffragistとよばれ,穏健な運動を,後者はサフラジェットsuffragetteとよばれ,戦闘的運動を展開した。…

※「フォーセット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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