パンクハースト(読み)ぱんくはーすと(英語表記)Emmeline Pankhurst

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンクハースト」の意味・わかりやすい解説

パンクハースト
ぱんくはーすと
Emmeline Pankhurst
(1858―1928)

イギリスの戦闘的な女性参政権運動の代表者。やはり女性参政権論者で既婚女性財産法を起草した夫リチャード(1834―1898)の死後、娘クリスタベル(1880―1958)らと女性社会政治同盟を設立(1903)。これには労働者階級の女性も加わり、ことばでなく行動することをモットーに、世の関心をひくような演説妨害、破壊活動、ハンストなど激しい手段をとり、彼女自身も投獄された。彼女を中心とする運動家たちはサフラジェットsuffragette(過激な女性参政権運動家の意)として知られ、彼女はアメリカ、カナダロシアで女性問題についての講演をするなど海外でも活躍した。1928年その死の数週間前に男女平等の選挙権が実現した。

[白井 厚]

『パンクハースト著、平井栄子訳『わたしの記録』(1975・現代史出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パンクハースト」の意味・わかりやすい解説

パンクハースト
Pankhurst, Emmeline

[生]1858.7.14. マンチェスター
[没]1928.6.14. ロンドン
イギリスの女性参政権運動家。マンチェスターの富裕なキャラコ捺染業者の家に生まれた。フランスのパリで教育を受け,1879年結婚。女性参政権論者の夫リチャード・M.パンクハーストの影響で,1898年のリチャードの死後も女性参政権運動を展開,1903年女性社会政治同盟 WSPUを結成した。女性参政権抑圧派議員候補者の演説妨害,下院への突入の呼びかけ,ハンガー・ストライキなど,戦闘的な戦術断行,投獄されることも再三あった。第1次世界大戦後,1918年の国民代表法を経て,1928年ついに選挙権の男女平等が達成されたが,そのための立法が通る 1ヵ月前に世を去った。

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