フォード(企業)(読み)ふぉーど(英語表記)Ford Motor Co.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォード(企業)」の意味・わかりやすい解説

フォード(企業)
ふぉーど
Ford Motor Co.

ゼネラル・モーターズGM)と並ぶアメリカの大手自動車メーカー。正式名称はフォード・モーター・カンパニー。同社の主要ブランドには、大衆車、小型トラックのフォードのほか、リンカーンLincolnなどがある。一時期、アストン・マーチンAston Martin、ジャガーJaguarも主要ブランドとしていた。

 1903年設立の同名のミシガン州法人の全資産を継承して、1919年デラウェア州法人として設立された。このミシガン州法人の中心的設立者はヘンリー・フォード1世であったが、彼の持株比率は25.5%にすぎなかった。フォード1世は他人と会社を「共有」することを望まず、ほかの株主持株を買い増し、自己の持株比率を高めることに努力した結果、ついに1919年には残余の41.5%の買い取りに成功し、フォード・モーター・カンパニーの全株式がフォード一族の手に落ちることになった。1999年時点でもフォード家は議決権株式の40%を所有しており、完全な家族支配下にある巨大企業の数少ない例の一つとみなされている。

 ヘンリー・フォードが自動車生産を始めた当時、自動車はまだ金持ちのおもちゃにすぎなかった。それを文字どおり大衆の足にするためには、徹底した大量生産と、それによる価格の大幅引下げが必要であった。1908年、この要請にこたえてつくられたのがフォードT型車(T型フォード)である。それはオートメーション先駆となった「フォードシステム」を確立し、大量生産が可能になったことによって生まれた大衆車である。全米自動車販売高に占めるT型フォードの比率は、1909年の9.38%から1913年には37.64%に上昇し、1921年には55.45%と業界を圧倒するに至った。この間、T型フォードの価格は1909年の850ドルから1921年の355ドルに低下したが、販売台数は逆に1万2292台から93万3720台に増加した。だが、GMの多車種生産、モデルチェンジ化政策の前にフォードの単一車種大量生産政策は徐々に大衆の支持を失い、ついに1927年には業界ナンバー・ワンの座をGMに譲ったばかりか、第二次世界大戦前には後発クライスラーにも追い抜かれるようになった。

 第二次世界大戦後、とくにヘンリー・フォード2世が実権を握るようになってからは、業界第2位の地位奪取に成功した。しかし、1980年代はヨーロッパや日本メーカーの追い上げにあい業績は振るわなかった。1990年代に入り、フォードは多国籍化した世界的な生産配置をフル活用し、ふたたび大きな利益をあげるようになった。1997年にタイに組立工場を建設し、ベラルーシ、中国、べトナムでも自動車生産を始め、世界35か国以上で営業を行っている。同社は、1987年に世界最大のレンタカー会社ハーツThe Hertz Corp.を傘下に収めたほか、1999年にはスウェーデン最大の自動車メーカーであるボルボの乗用車部門を買収し、GMと並ぶ世界シェアとなった。また、同年ヨーロッパ最大の自動車の修理・補修部品販売チェーンの買収、マイクロソフトとの提携によるインターネットでの新車販売事業開始など、フォードは業界再編の動きのなかで、自動車製造を中核とした総合的なサービス会社へと業態変革を図っている。

 日本では、1979年(昭和54)にマツダ(旧東洋工業)に資本参加し、1996年には資本の3分の1を取得してフォードの傘下に収めた。

[佐藤定幸・萩原伸次郎]

その後の動き

フォードは2000年にエクスプローラーに使用されていたブリヂストン・ファイアストン社製タイヤの欠陥によるリコール問題にみまわれた。また、主力の大型車やピックアップトラックの販売減少が響いて業績が悪化し、2007年にはアストン・マーチン、ジャガー、ランドローバーといったブランドを次々に売却した。さらに、2008年(平成20)にマツダの持ち株を大量に売却し、出資比率を13%とした。2008年の売上高は1601億ドル、欠損は126億ドルに及ぶ。

[編集部・萩原伸次郎]

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