フックス(英語表記)Eduard Fuchs

改訂新版 世界大百科事典 「フックス」の意味・わかりやすい解説

フックス
Eduard Fuchs
生没年:1870-?

ドイツの著述家,収集家。ウルムに近い南ドイツの小邑ゲッピンゲンに生まれ,大学教育を受けることなく早くから社会主義運動に参加,政治風刺誌の編集などに携わった。1848年の革命やルートウィヒ1世とローラ・モンテスのスキャンダルを扱ったカリカチュアについての論文を手はじめに,従来顧みられることのなかったカリカチュア,エロティック美術,風俗画の精力的な収集と,それらを素材とする歴史叙述に取り組んだ。彼の,史的唯物論に立脚した大衆芸術研究というべき未踏の試みは,主著《ヨーロッパ民族のカリカチュア》全2巻(1901-03),《エロティック美術の歴史》(1908),《風俗の歴史》全6巻(1909-12)などに結実しており,後二者には安田徳太郎による邦訳もある。ほかにドーミエ研究,唐代彫刻研究でも知られる。W.ベンヤミンは彼を,芸術史を〈大家の名前という物神から解放し〉,芸術の大衆における受容,複製技術の発展という側面にも注目した先駆者として評価している(《エードゥアルト・フックス--収集家と歴史家》1937)。1933年ナチスの弾圧を受けてスイスに亡命し,以後の消息は不明。その膨大な収集品,著作は焼却処分に付された。
執筆者:

フックス
Johann Joseph Fux
生没年:1660-1741

オーストリアの作曲家で,後に古典的な対位法教本として知られるようになる《グラドゥス・アド・パルナッスム》(1725)の著者として有名。農民の息子として生まれたが,早くから音楽家になることを決意。生地近くのグラーツで音楽教育を受けてからイエズス会大学に入学,やがてオルガン奏者になる。自作のミサ曲を聴かれたのを機に皇帝レオポルト1世のお気に入りとなり,ウィーンに出る。シュテファン大聖堂楽長,宮廷楽長としてウィーンの楽界に君臨した。作品は教会音楽を中心に,その数も多いが,なかでも前記のラテン語で書かれた対位法教本は有名で,18世紀中にドイツ,イタリア,フランス,イギリスの4ヵ国語に翻訳された。
執筆者:

フックス
Walter Fuchs
生没年:1902-79

ドイツの中国学者。ベルリン生れ。ベルリン大学に学び,1925年,トゥルファン(吐魯番)地域の歴史に関する論文で哲学博士号を取得。1926年満州医科大学講師,38年輔仁大学教授。47年中国から帰国後,ハンブルク大学客員教授,ミュンヘン大学講師,ベルリン自由大学助教授,ケルン大学中国学教授を歴任。清代康煕・乾隆朝の文化や満州語文献に関し多くの論著がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フックス」の意味・わかりやすい解説

フックス
Fuchs, Ernst

[生]1903.6.11. ハイルブロン
[没]1980/1981
ドイツの神学者。テュービンゲン大学マールブルク大学で学び,1932年ボン大学の新約聖書学講師となる。翌年政治的理由で大学の教員資格を取消される。マールバハのウィンツァーハウゼン教会の牧師となる (1934) が,ゲシュタポに追われた。テュービンゲン大学新約聖書学講師 (49) ,同大学教授 (53) ,ベルリン神学大学教授 (55) ,マールブルク大学教授 (61) 。 R.K.ブルトマンの影響を受け,G.エーベリンクとともに解釈学的神学を提唱した。主著"Die Freiheit d. Glaubens" (49) ,"Hermeneutik" (54) ,"Zur Frage nach dem historischen Jesus" (65) ,"Glaube und Erfahrung. Zum Christolog. Problem im NT." (69) ,"Marburger Hermeneutik" (68) ,"Jesus,Wort und Tat" (71) 。

フックス
Fuchs, Klaus Emil Julius

[生]1911.12.29. リュッセルズハイム
[没]1988.1.28. ライプチヒ
東ドイツの原子物理学者。ライプチヒ,キール両大学で物理学,数学を学ぶ。キール大学在学中にドイツ共産党に入党 (1932) 。 1933年ナチス政権成立に伴いイギリスに渡り,グラスゴー,バーミンガム両大学で原爆研究に従事した。 42年イギリスの市民権を獲得,イギリス共産党に入党。 43年 12月~46年6月イギリス科学者団の一員として渡米し,「マンハッタン計画」に参画。第2次世界大戦終了後イギリスで原子物理学の研究にたずさわっていたが,50年2月ソ連に原爆の秘密を漏した容疑のためロンドンで逮捕され,禁錮刑で服役。 59年6月釈放されて東ドイツに行き,市民権を得た。同年9月東ドイツ核物理学研究所理論物理学部長,原子力中央研究所副所長などをつとめ,ソ連で研究に従事した。

フックス
Fuchs, Ernst

[生]1930.2.13. ウィーン
オーストリアの画家。ウィーン幻想派などと呼ばれる動向の代表的画家。ウィーン美術学校で学ぶ。少年時代から描写力にすぐれ,美術学校に在学中から作品を発表しはじめる。古代神話や旧約聖書から題材を選び,細密描写によって神秘的なイメージを描く。 A.レームデン,E.ブラウアー,R.ハウズナーなども同じ傾向に属するが,フックスの作品はなかでも神秘性と官能性が著しい。 1959年,フンデルトワッサーらとともに『ピントラリウム宣言』を刊行した。

フックス
Fux, Johann Joseph

[生]1660. ヒルテンフェルト
[没]1741.2.13. ウィーン
オーストリアの作曲家,音楽理論家。 1698年ウィーンの宮廷作曲家,1705年ウィーン大聖堂の第2楽長,12~15年同教会楽長,13年宮廷の副楽長,15年正楽長。多くの教会音楽,10曲のオラトリオ,19のオペラ,鍵盤楽曲などの器楽曲を残した。著書『古典対位法』 Gradus ad Parnassum (1725) は長らく対位法の教程として用いられた。

フックス
Fuks, Ladislav

[生]1923.9.24. プラハ
[没]1994.8.19. プラハ
チェコの小説家。長編小説『テオドル・ムントシュトック氏』 Pan Theodor Mundstock (1963) ,『墓守』 Spalovač mrtvol (1967) ,短編集『モルモットの死』 Smrt morčete,小説『ナタリエ・ムースハブロバーのねずみ』 Myši Natalie Mooshabrové (1970) などで知られる。特異なテーマと文体で独特の世界を築いている。

フックス
Fuchs, Leonhard

[生]1501.1.17. ウェームディンク
[没]1566.5.10. テュービンゲン
ドイツの博物学者,医者。医学を学び,テュービンゲン大学教授となる。薬草に興味をもち,1542年に『植物誌』 Historia Stirpiumを著わした。これには 500あまりの植物の克明な観察図が美しい木版によって刷られ,形態・産地・採集最適時期などが要領よく付されており,その後の植物図鑑の範型となった。みずからの観察に基づいた正確な図を用いている点で画期的であった。

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百科事典マイペディア 「フックス」の意味・わかりやすい解説

フックス

オーストリアの画家。ウィーン生れ。ウィーン幻想派に属し,旧約聖書や古代の神話などに主題を求め壮大なイメージ世界を構築した。緻密な細部描写とうねるようなフォルムの重なりはバロック的な効果をはらみ,エロティックな雰囲気が強調される。代表作に《スフィンクス》シリーズ(1969年―1971年)がある。

フックス

英国の地理学者,探検家。1929年グリーンランド,1930年―1938年アフリカを探検。1957年11月24日―1958年3月2日,行程約3450km,日数99日に及ぶ南極大陸横断探検隊を指揮した。
→関連項目ヒラリー

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フックス」の意味・わかりやすい解説

フックス
ふっくす
Immanuel Lazarus Fuchs
(1833―1902)

ドイツの数学者。現、ポーランド領のポーゼン州の小村モシンに生まれる。グライフスワルト、ゲッティンゲン、ハイデルベルク、ベルリンの各大学教授を歴任した。複素領域における線形微分方程式の理論で先駆的な業績をあげた。保型関数に関連していわゆるフックス群の概念を導入し、広い研究分野を開拓した。また、幾何学や整数論に関する研究もみられる。

[小松勇作]

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