フッテン
ふってん
Ulrich von Hutten
(1488―1523)
宗教改革時代のドイツの人文主義者、帝国騎士。ヘッセンの居城シュテッケルベルクに生まれる。幼時フルダ修道院に送られたが、人文主義に魅せられて修道院を出、ドイツ、イタリア各地を遊学して詩作を発表、名声を博した。1517年神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世により桂冠(けいかん)詩人に叙せられる。代表作『蒙昧(もうまい)人の書簡』は教会の腐敗、聖職者の堕落を痛烈に批判したもの。ルターの宗教改革を知るやこれを強く支持し、また帝国の統一、騎士の地位回復など自らの改革理念の実現のため、親友の帝国騎士フランツ・フォン・ジッキンゲンと協力して、22年8月「騎士戦争」を起こした。しかし、戦いに敗れスイスに逃れ、まもなくチューリヒのウフェナウ島で病没した。彼のことば「世紀よ、世紀よ、学問はおこり、芸術は栄える。生きることは愉快だ!」は、時代の精神をよく表している。
[瀬原義生]
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フッテン
Hutten, Ulrich von
[生]1488.4.21. フルダ近郊
[没]1523.8.29. チューリヒ近郊ウーフェナオ島
ドイツの人文主義者,風刺詩人,騎士。 F.ジッキンゲンとともに騎士戦争を指導した一人。フルダの修道院学校に入ったが脱走。 1515年従兄弟がウルリヒ公に殺されたのを機に,聖俗権威に抗する文筆と闘争の生涯に入った。 17年神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世より桂冠詩人に叙せられる。エラスムスを通じて J.ロイヒリン,M.ルターの支持者となる。教会非難と愛国心鼓吹の著述と騎士戦争敗北でドイツを追われ,H.ツウィングリの保護を得てチューリヒ湖上の小島で病没。ドイツ人文主義の代表的風刺作品『愚者の手紙』 Epistolae obscurorum virorum (1515~17) の第2巻に寄稿。その他対話録"Vadiscus" (20) ,"Gesprächsbüchlein" (21) がある。
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フッテン
ドイツの帝国騎士,人文主義者。ルターを支持してローマ教会や聖職者の堕落を攻撃,ジッキンゲンらに影響を与えた。ロイヒリンら進歩的人文主義者と保守的カトリック支持者との論争のさなかに刊行され後者を痛撃した《無名人の手紙》(1515年)の第2巻は,フッテンの作とされる。騎士戦争に敗れてスイスにのがれ,病没。
→関連項目人文主義
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フッテン
(Ulrich von Hutten ウルリヒ=フォン━) ドイツの人文主義者。ルターの宗教改革を支持。ジッキンゲンとともに教会
諸侯に対する帝国騎士の反乱である騎士戦争の思想的代弁者となったが、敗れてスイスに
亡命した。(
一四八八‐一五二三)
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フッテン
Ulrich von Hutten
1488〜1523
ドイツの人文主義者
ルターの宗教改革を支持。教会・諸侯の勢力におされて没落する騎士階級の再興をはかり,ジッキンゲンに協力して1522年騎士戦争を起こしたが失敗,亡命してスイスで病死。
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フッテン(Ulrich von Hutten)
[1488~1523]ドイツの人文主義者。カトリック教会の腐敗を批判して、ルターの宗教改革を支持。帝国騎士戦争に加わったが、敗れてスイスに亡命。著「無名氏書簡集」など。
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フッテン【Ulrich von Hutten】
1488‐1523
宗教改革期ドイツの人文主義者,帝国騎士。ヘッセンのシュテッケルベルク城に生まれる。幼時フルダ修道院に入れられたが,人文主義に魅せられて修道院を出奔。ドイツ,イタリア各地を遊学して詩作を発表し,名声を博した。1517年皇帝マクシミリアン1世により桂冠詩人に叙せられる。代表作《蒙昧(もうまい)人の書簡》(1515)は教会の腐敗,聖職者の堕落を嘲罵したもの。ルターの宗教改革が始まるや,これを支持し,また諸侯の除去,帝国の統一,騎士の地位回復などみずからの帝国改革理念を唱えた。
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世界大百科事典内のフッテンの言及
【騎士戦争】より
…首領のF.vonジッキンゲンはファルツ地方の富裕な騎士で,部下を率いてしばしば諸侯や都市を襲い,一時フランス王の傭兵となったが,皇帝カール5世の選挙に際しては,諸侯の抑圧,騎士の地位の回復を期待して,その選出を助けた。しかし,その期待が裏切られると,1520年以来,人文主義者,詩人として名高い騎士U.vonフッテンと結び,自力による目的達成を期した。2人はかねて傾倒していたルターを戴いて,反ローマの一大運動を起こすべく,その拠点としてトリール大司教兼選帝侯領の奪取を意図した。…
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