日本大百科全書(ニッポニカ) 「フロイト学派」の意味・わかりやすい解説
フロイト学派
ふろいとがくは
Freudian school
S・フロイトの思想を出発点とし、フロイト主義を理論上、組織上の指導原理とする学派。フロイト自身は、内容的には「無意識」「抵抗と抑圧」「幼児性欲とくにエディプス・コンプレックス」の理論を承認すること、方法的には「力動的」「局所論的」「経済的」見地をとることを、精神分析家の基礎資格と考えた。しかしフロイト自身の思想の変貌(へんぼう)もあって、フロイトのどの部分を受け入れ、どの部分を修正もしくは拒否するかによって、さまざまの分派が形成された。
草創期の協力者でいち早くたもとを分かった者に、A・アドラーとユングがいる。アドラーは、性的欲求の重視に反対し、人間の基本的な衝動を、劣等感を脱して優越感を求める権力意志に求め、過去の心的外傷による決定論を離脱しようとした。ユングは、同じく性エネルギーではなく、一般的生命力を基礎的欲求とみ、さらに個人を超えた民族や人類の「集合的無意識」を想定し、それにいくつかの原型を設定した。こういう発想は、狭い医学的枠を超えた広い精神現象、とりわけ神話、宗教、芸術などの神秘的象徴の解釈に地平を開き、第二次世界大戦後の解釈学的人間諸科学に大きな影響を与えた。ナチスへの協力などについての非難もあるが、現代ではフロイト主義を超えた独自の意義が注目されている。
やや遅れて1920年代には、とりわけベルリンの精神分析診療所に集まった人々によって、フロイト主義とマルクス主義との結合の試みが行われた。なかでもライヒは、性格構造と社会構造の対応から性革命と社会革命の相関を説くラディカルな方向に進んだが、ドイツ共産党と学会との双方から異端視された。この傾向の人々は1930年代ナチスの台頭とともにアメリカに亡命し、いわゆる「フロイト左派」(新フロイト派)を形成する。ホーナイ、フロム、サリバン、カーディナーAbram Kardiner(1891―1981)、ローハイム、マルクーゼといった人々である。彼らはフロイトの生物学的傾向に反対し、文化的・社会的要因の与える影響を重視する。同時に彼らはマルクスの経済学主義を脱して、ナチス台頭の社会心理的分析や、アメリカ社会の文化的葛藤(かっとう)の研究などに優れた業績を残した。
他方、「フロイト右派」ないし正統派とよばれる人々は、「自我心理学」の方向がフロイトの正統であると主張し、児童の精神分析や自我の防衛機制など自我発達論に貢献した。フロイトの娘アンナAnna Freud(1895―1982)、ジョーンズErnest Jones(1879―1958)、ハルトマン、クラインや、「自我同一性」の概念で名高いエリクソンなどがこの傾向に数えられる。
そのほかドイツ語圏では、ハイデッガーの現存在分析と精神分析を結び付けようとするビンスバンガーや、ボスMedard Boss(1903―1990)がおり、フランスでは、新フロイト派の修正主義に対して「フロイトへ帰れ」を合いことばに、無意識のもつ言語構造に注目するラカンらの「パリ精神分析学派」や、イギリスでは、「反精神医学」を旗印とするレインRonald David Laing(1927―1989)ら、ドイツでは左派に連なるミッチャーリヒAlexander Mitscherlich(1908―1982)やローレンツェンなどが広く活躍した。
[徳永 恂]
『P・A・ロビンソン著、平田武靖訳『フロイト左派』(1972・せりか書房)』▽『E・フロム著、佐野哲郎訳『フロイトを超えて』(1980・紀伊國屋書店)』▽『A・エスナール著、影山任佐訳『フロイトからラカンへ』(1983・金剛出版)』