ハルトマン(英語表記)Hartmann von Aue

デジタル大辞泉 「ハルトマン」の意味・読み・例文・類語

ハルトマン(Nicolai Hartmann)

[1882~1950]ドイツの哲学者。初め新カント学派に属して認識論を研究したが、フッサール現象学の影響を受けて存在論を哲学の中心と考えるようになり、独自の批判的存在論を提唱した。著「認識の形而上学綱要」「存在論の基礎づけ」など。

ハルトマン(Karl Robert Eduard von Hartmann)

[1842~1906]ドイツの哲学者。シェリングの影響のもとで、ショーペンハウアーの「意志」とヘーゲルの「理性」とを包括する「無意識者」をたて、これを万有の根源とした。著「無意識者の哲学」。

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精選版 日本国語大辞典 「ハルトマン」の意味・読み・例文・類語

ハルトマン

  1. [ 一 ] ( Karl Robert Eduard von Hartmann カール=ロベルト=エドゥアルト=フォン━ ) ドイツの哲学者。ヘーゲルとショーペンハウエルの哲学を総合、シェリングの無意識の概念などをとり入れ、思弁的哲学体系「無意識の哲学」を樹立した。(一八四二‐一九〇六
  2. [ 二 ] ( Nicolai Hartmann ニコライ━ ) ドイツの哲学者。初めマールブルク学派の新カント派に属したが、のち存在論の立場をとる。認識の問題、精神、歴史の問題の存在論的解明を行なった。主著「認識形而上学綱要」。(一八八二‐一九五〇

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改訂新版 世界大百科事典 「ハルトマン」の意味・わかりやすい解説

ハルトマン
Hartmann von Aue
生没年:1165ころ-1215ころ

中世ドイツの詩人。シュワーベンの騎士の出身(従士)。諸作品のうち《哀歌》と《エーレクErek》は1180年ころに着手され,90年ころに完成,《グレゴリウス》と《哀れなハインリヒ》はこの順で90-97年の間に書かれたと推定されている。この時期に彼は世俗と愛(ミンネ)に決別する抒情詩,そして十字軍参加(1189-91)の所産の十字軍遠征の歌を書いた。《イーワインIwein》は1199-1205年に書かれたが,8000余行の最初の1000行は《グレゴリウス》執筆の前か後に書かれたと推定されている。《イーワイン》と《エーレク》は,アーサー王物語で,いずれもクレティアン・ド・トロアの翻案で,これを初めてドイツに移入した。エーレクは妻エニーテの愛におぼれ,騎士の務めを怠って嘲笑の的となった。イーワインは反対に武者修業に気を取られ,妻ラウディーネとの約束を忘れてしまい,妻から愛の破棄を言い渡される。彼らは苦悩を経て愛と騎士道の間に調和を見いだす。聖徒物語《グレゴリウス》は,幼い兄妹の間に生まれたグレゴリウスは,それとは知らず母と結婚する。彼はこの二重の近親相姦による大罪をあがない,神託により教皇となる。《哀れなハインリヒ》では,癩にかかったハインリヒは,進んで心臓の血を捧げようとする少女の美しさにうたれ,むしろ自分を犠牲にしようとするとき,神はハインリヒの回心を認め病をいやす。

 ハルトマンの文体はゴットフリートがその《トリスタン》の中で,〈水晶のような言葉〉と評しているように修辞を駆使した,優美で洗練された文体である。彼は押韻には方言形を避け,中世高地ドイツ語の詩人の言語の発達に寄与した。彼はゴットフリートをはじめ,ルドルフRudolf von Ems(1200ころ-52ころ),コンラートKonrad von Würzburg(1220-87)など同時代および後代の詩人たちに大きな影響を与えた。現代文学では《グレゴリウス》を素材としたT.マンの《選ばれし人》(1951)がある。
執筆者:


ハルトマン
Nicolai Hartmann
生没年:1882-1950

ドイツの哲学者。リガに生まれ,マールブルク学派(新カント学派)のH.コーエンに学んで,マールブルク,ケルン,ベルリン,ゲッティンゲンの各大学教授を歴任した。現象学の影響を受け入れてしだいに新カント学派の論理主義的観念論の立場を脱し,独自な存在論的形而上学の体系を建設した。それは,哲学の方法として現象学,問題学,理論の三つの層位を分別し,これに対応して存在の層位に実在的存在(物質,生命,意識,精神),認識的存在(知覚,直観,認識,知識),論理的存在(概念,判断,推理)を区別し,これらをそれぞれのカテゴリーとその連関によって説明するものである。このような彼の哲学は,認識論を基軸とする近代哲学から存在そのものを問う存在論への哲学の基軸転換と,その層位論的探求の方法によって,ハイデッガーとならんで,20世紀前半のドイツ哲学の動向の一面を代表した。主著に《存在論の基礎づけ》(1935),《可能性と現実性》(1938),《実在的世界の構成》(1940),《自然の哲学》(1950)がある。
執筆者:


ハルトマン
Karl Robert Eduard von Hartmann
生没年:1842-1906

ドイツの哲学者。1861年プロイセンの砲兵学校に入学するが,宿痾となる膝の損傷により職業軍人となることを断念。哲学へと転じ,69年《無意識の哲学》を著して広く認められ,以後一貫して在野で活躍した。当時の生物学に支配的であった機械論に抗して生気論的立場から帰納的形而上学の構築を図った。ハルトマンは,初期シェリングの同一哲学と後期シェリングの積極哲学から理論的骨格を抽出し,能動的かつ盲目的な意志と受動的で合目的的な表象の統一を,世界の普遍的一元的根拠たる〈無意識〉(今日の精神分析学や心理学でいう無意識概念とはまったく異なる)に求める点で,また,世界観的にはペシミズムとオプティミズムの結合を図る点で,ショーペンハウアーとヘーゲルを独自なかたちで総合したことになる。彼の哲学的営為は多岐にわたったが,《無意識の哲学》の射程から大きく離れることはない。その思想は後にニーチェによって批判されるように,時代精神にくみする流行哲学の一つであった。
執筆者:


ハルトマン
Carl Sadakichi Hartmann
生没年:1867-1944

アメリカの芸術家。日本人を母としドイツ人を父として長崎で生まれ,ドイツのハンブルクで育ち,1882年に渡米。晩年のホイットマンに親しみ,《ウォルト・ホイットマンとの対話》(1894)を出版。そのころからグリニチ・ビレッジの〈王者〉といわれるボヘミアン生活をしながら前衛芸術運動に従事,日本美術を紹介したり,短歌・俳句形式の英詩を書いたりもし,後にはハリウッドやサンフランシスコで映画・演劇活動をした。うさんくさい誇大妄想家の面もあったが,生涯に30冊以上の英文著作を残し,反逆的国際人として果たした文化的役割は小さくない。
執筆者:


ハルトマン
Moritz Hartmann
生没年:1821-72

ボヘミア生れのドイツ系ユダヤ人で,詩人,政治家,ジャーナリスト。プラハで学んだのち,1844年オーストリアを出る。ドイツ各地を歩き,その後パリでハイネ,ミュッセらと親交を結ぶ。48年にはフランクフルト国民議会議員に選ばれ,極左派議員を代表。彼は同年10月のウィーン革命,バーデンの蜂起に参加,革命敗北後ヨーロッパ各地を転々とし,68年からウィーンの新聞の学芸欄の編集に携わる。詩風は40年代の政治的抒情詩からのちに牧歌的詩にかわる。代表作として《聖杯と剣》(1845),《僧侶マウリティウスの韻文年代記》(1849),《放浪物語》(1858)がある。
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ハルトマン
Heinz Hartmann
生没年:1894-1970

精神分析的自我心理学を発展させたオーストリア出身の精神分析医。ウィーン生れ。《自我心理学と適応問題》(1937)を発表し,自我心理学の基礎を作った。精神分析を深層心理学から発展させて,自我の働きを防衛と適応の観点から理解し,適応を精神発達にそって解明しようと試みた。第2次大戦前にウィーンを離れてニューヨークに移り,ニューヨーク精神分析研究所長や国際精神分析学会会長などを務めた。
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百科事典マイペディア 「ハルトマン」の意味・わかりやすい解説

ハルトマン

ドイツの作曲家。ショスタコービチヘンツェなどとともに,20世紀後半における重要な交響曲作曲家の一人。ミュンヘンに生まれ,ベルリンでシェルヘンウェーベルンに師事。またベルクの音楽に強い影響を受ける。バイオリンと弦楽のための《葬送協奏曲》(1939年,改訂1959年)などでナチスへのプロテストを行い,第2次大戦中は国内での作品発表を禁じられる。戦後名声が高まり,ミュンヘンで音楽団体〈ムジカ・ビーバ〉を組織(1945年)し現代作品のコンサートを主催するなど,ドイツ音楽界のリーダー格として活動。戦争と圧政の体験が投影された8曲の交響曲(初演1948年−1963年)できびしく彫琢(ちょうたく)された独自の音楽世界を築き,ドイツ音楽の伝統を継承した。ほかに,室内オペラ《ジンプリチウス・ジンプリチシムスの青年時代》(1934年−1935年,初演1949年),《ピアノ,管楽器と打楽器のための協奏曲》(1953年),2つの弦楽四重奏曲(1933年,1945年−1946年)など。
→関連項目クベリーク

ハルトマン

中世ドイツの宮廷叙事詩人。作品はクレティアン・ド・トロアを典拠とするアーサー王伝説《エーレク》《イーワイン》,贖罪(しょくざい)物語《グレゴリウス》,清純な少女の愛のもたらす奇跡をえがいた《哀れなハインリヒ》など。その文体は優美で洗練されており,ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクによって〈水晶のような言葉〉とたたえられた。
→関連項目ウォルフラム(エッシェンバハの)

ハルトマン

ドイツの哲学者。初めマールブルク学派に属したが,後に同派の論理主義的認識論を批判し,存在と哲学の方法に3層を区別する存在論的形而上学の体系化を図った。主著《存在論の基礎づけ》(1935年),《実在的世界の構成》(1940年)。
→関連項目存在論

ハルトマン

ドイツの哲学者。ヘーゲルとショーペンハウアーを結びつけ,さらにシェリングの積極哲学を取り入れて,万有の根源を意志的かつ理性的な〈無意識〉とした。在野の流行哲学の典型。主著《無意識の哲学》(1869年)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハルトマン」の意味・わかりやすい解説

ハルトマン(Nicolai Hartmann)
はるとまん
Nicolai Hartmann
(1882―1950)

ドイツの哲学者。マールブルク、ケルン、ベルリン、ゲッティンゲン各大学教授を歴任。初め新カント学派に属したが、フッサールの現象学の影響を受けつつ独自の実在論的存在論にたち、20世紀前半のドイツの指導的哲学者の一人となる。彼によると、認識とは、あらゆる認識に先だち、それから独立して存在するものそのものを把握することであるから、まず「自体的に存在するもの」の研究が行われねばならず、認識の批判は存在問題すなわち認識の形而上(けいじじょう)学に進む。存在問題は、認識されるにせよ認識されないにせよ、人間的関係を含めてあらゆるものにかかわる。だが、この存在の世界を構成する実在的な存在するものの全体は物質、有機体、意識、精神の4層に区別され、これらの層に対応したカテゴリーと4層に共通な基本カテゴリーがあり、存在論は「カテゴリー分析」となる、と考えた。著書『認識の形而上学綱要』Grundzüge einer Metaphysik der Erkenntnis(1921)、『存在論の基礎づけ』Zur Grundlegung der Ontologie(1935)など。

[千田義光 2015年3月19日]

『熊谷正憲訳『存在論の新しい道』(1976・協同出版)』『石川文康・岩谷信訳『哲学入門』(1982・晃洋書房)』


ハルトマン(Karl Robert Eduard von Hartmann)
はるとまん
Karl Robert Eduard von Hartmann
(1842―1906)

ドイツの哲学者。プロイセン将校の家に生まれる。軍人となったが(1858)病気のために若くして哲学に転じ、『無意識の哲学』の出版(1869)によって一躍有名となった。時事、社会、宗教問題などについて多方面な文筆活動を行ったが、彼の哲学はドイツ思弁哲学の諸成果、すなわちヘーゲルの概念的理性とその自己止揚の思想、ショーペンハウアーの意志の観念、シェリングの無意識の理論を統合し、さらにそれを帰納的・自然科学的方法に基づいた近代科学の実証的知識と総合するという、壮大な形而上学(けいじじょうがく)的体系を目ざすものであった。

[伊東祐之 2015年3月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハルトマン」の意味・わかりやすい解説

ハルトマン
Hartmann, Nicolai

[生]1882.2.20. リガ
[没]1950.10.9. ゲッティンゲン
ドイツの哲学者。 1920年マールブルク,25年ケルン,31年ベルリン,45年ゲッティンゲンの各大学教授。マールブルク学派から出発したが,フッサールの現象学の影響を受け,新カント派の形式主義から離れ,観念論実在論の統一を試みた。彼の立場はフッサールの構成的現象学やハイデガーの解釈学的存在論と比べれば客観的傾向が強く,対象中心の存在論であり,実在的世界の層構造が問題とされた。倫理学的にはシェーラーの実質的価値倫理学の立場に近い (→価値論 ) 。美学的には美的対象を「前景」としての感覚的形象と「後景」としての理念的内容の2層的構造として把握した。主著『認識の形而上学』 Grundzüge einer Metaphysik der Erkenntnis (1921) ,『倫理学』 Ethik (26) ,『存在論の基礎づけ』 Zur Grundlegung der Ontologie (35) ,『実在的世界の構造』 Der Aufbau der realen Welt (40) ,『美学』 Ästhetik (53) 。

ハルトマン
Hartmann, Karl Robert Eduard von

[生]1842.2.23. ベルリン
[没]1906.6.5. グロースリヒターフェルデ
ドイツの哲学者。無意識の哲学の提唱者として知られる。終生講壇に立たず,個人教師として過した。彼の哲学は,無意識の概念をシェリングから導入し,ヘーゲルの「理性」とショーペンハウアーの「盲目的意志」の総合の上に築かれている。また認識論的には,物自体の存在を認める「先験的実在論」を主張した。美学的には「具象的観念論」の立場に立った。主著『無意識の哲学』 Philosophie des Unbewussten (1869) ,『認識論の根本問題』 Das Grundproblem der Erkenntnistheorie (89) 。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ハルトマン」の解説

ハルトマン

ドイツの作曲家。ブルックナーマーラー、レーガー、ストラヴィンスキー、バルトーク、ベルクと様々な作曲家から受けた影響をもとにした8曲の交響曲が代表作となっている。ミュンヘン音楽院で学び、ウィーンでは ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ハルトマン」の解説

ハルトマン Hartmann, Carl Sadakichi

1867-1944 アメリカの作家,芸術家。
慶応3年10月13日長崎生まれ。慶応3年10月13日長崎生まれ。父はドイツ領事館員,母は日本人。ハンブルクでそだち,1882年渡米。ボヘミアン生活をおくりながら前衛芸術運動に従事し,グリニッチ-ビレッジで王者とよばれる。日本の美術や俳句などを紹介する著作も多数のこした。1944年11月24日死去。77歳。

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世界大百科事典(旧版)内のハルトマンの言及

【哀れなハインリヒ】より

…アウエのハルトマンの作(12世紀末)で,全編1500余行の叙事詩。領主ハインリヒは若くして徳を積み,富と名誉に包まれたが信仰心を忘れ,天罰として癩にかかる。…

【キリスト教文学】より

…中でも,フランチェスコの特異な人柄,その清貧の教えはその言行を録した《完全の鑑》に現れ,ことにイタリア語をもってした《太陽の歌》の〈いと高く,全能にまし善なる主よ〉は,中世を通じて最も浄(きよ)らかな歌の一つである。国民文学は,その傾向上,世俗文学に流れやすいが,それでも中には〈武勲詩〉中の《アミとアミール》の物語,エッシェンバハのウォルフラムの聖杯探求の物語《パルツィファル》,ことに同じく13世紀初めころアウエのハルトマンの清純な愛と奇跡の物語《哀れなハインリヒ》は,高揚した宗教的雰囲気に包まれている。また〈武勲詩〉中の傑作である《ローランの歌》(11~12世紀初め)も十字軍の理想を掲げ,教会の宣伝である点において,すぐれて宗教的な作品といえよう。…

【精神分析】より


【フロイト以後の精神分析】
 フロイトは自我を,エスの欲動を制御し,超自我の圧力に対しながら外界との適応を図るものとしていわば受身的にとらえたが,自我機能そのものについての検討は徹底しないままに終わった。このフロイトの自我研究を継承発展させ自我の積極的機能を明らかにした代表者は,フロイトの娘であるA.フロイト,ならびにH.ハルトマンらであり,彼らにはじまる自我心理学ego psychologyは,以後アメリカにおける精神分析学の主流となった。この系譜に属するE.H.エリクソンの自我の心理的‐社会的発達理論,すなわちアイデンティティ形成理論は,臨床的にも社会学的にもきわめて有用な概念である。…

【プロゲステロン】より

…無臭の白色結晶で,水に溶けず,アルコール,アセトンに溶ける。卵巣の黄体が内分泌機能を行うことは19世紀から予測されていたが,黄体ホルモンの本体といえるプロゲステロンがブタなどの黄体から結晶として抽出されたのは1934年のことで,それはブテナントA.F.J.Butenandt,スロッタK.H.Slotta,アレンW.M.Allen,ハルトマンM.Hartmannらによってそれぞれ独立に行われ,ほぼ同じ時期に合成にも成功した。 プロゲステロンは,後述のように黄体,胎盤から分泌されるが,このホルモンは他のステロイドホルモンの中間産物で,副腎皮質や睾丸でも生合成される。…

※「ハルトマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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