中世ドイツの詩人。シュワーベンの騎士の出身(従士)。諸作品のうち《哀歌》と《エーレクErek》は1180年ころに着手され,90年ころに完成,《グレゴリウス》と《哀れなハインリヒ》はこの順で90-97年の間に書かれたと推定されている。この時期に彼は世俗と愛(ミンネ)に決別する抒情詩,そして十字軍参加(1189-91)の所産の十字軍遠征の歌を書いた。《イーワインIwein》は1199-1205年に書かれたが,8000余行の最初の1000行は《グレゴリウス》執筆の前か後に書かれたと推定されている。《イーワイン》と《エーレク》は,アーサー王物語で,いずれもクレティアン・ド・トロアの翻案で,これを初めてドイツに移入した。エーレクは妻エニーテの愛におぼれ,騎士の務めを怠って嘲笑の的となった。イーワインは反対に武者修業に気を取られ,妻ラウディーネとの約束を忘れてしまい,妻から愛の破棄を言い渡される。彼らは苦悩を経て愛と騎士道の間に調和を見いだす。聖徒物語《グレゴリウス》は,幼い兄妹の間に生まれたグレゴリウスは,それとは知らず母と結婚する。彼はこの二重の近親相姦による大罪をあがない,神託により教皇となる。《哀れなハインリヒ》では,癩にかかったハインリヒは,進んで心臓の血を捧げようとする少女の美しさにうたれ,むしろ自分を犠牲にしようとするとき,神はハインリヒの回心を認め病をいやす。
ハルトマンの文体はゴットフリートがその《トリスタン》の中で,〈水晶のような言葉〉と評しているように修辞を駆使した,優美で洗練された文体である。彼は押韻には方言形を避け,中世高地ドイツ語の詩人の言語の発達に寄与した。彼はゴットフリートをはじめ,ルドルフRudolf von Ems(1200ころ-52ころ),コンラートKonrad von Würzburg(1220-87)など同時代および後代の詩人たちに大きな影響を与えた。現代文学では《グレゴリウス》を素材としたT.マンの《選ばれし人》(1951)がある。
執筆者:古賀 允洋
ドイツの哲学者。リガに生まれ,マールブルク学派(新カント学派)のH.コーエンに学んで,マールブルク,ケルン,ベルリン,ゲッティンゲンの各大学教授を歴任した。現象学の影響を受け入れてしだいに新カント学派の論理主義的観念論の立場を脱し,独自な存在論的形而上学の体系を建設した。それは,哲学の方法として現象学,問題学,理論の三つの層位を分別し,これに対応して存在の層位に実在的存在(物質,生命,意識,精神),認識的存在(知覚,直観,認識,知識),論理的存在(概念,判断,推理)を区別し,これらをそれぞれのカテゴリーとその連関によって説明するものである。このような彼の哲学は,認識論を基軸とする近代哲学から存在そのものを問う存在論への哲学の基軸転換と,その層位論的探求の方法によって,ハイデッガーとならんで,20世紀前半のドイツ哲学の動向の一面を代表した。主著に《存在論の基礎づけ》(1935),《可能性と現実性》(1938),《実在的世界の構成》(1940),《自然の哲学》(1950)がある。
執筆者:荒川 幾男
ドイツの哲学者。1861年プロイセンの砲兵学校に入学するが,宿痾となる膝の損傷により職業軍人となることを断念。哲学へと転じ,69年《無意識の哲学》を著して広く認められ,以後一貫して在野で活躍した。当時の生物学に支配的であった機械論に抗して生気論的立場から帰納的形而上学の構築を図った。ハルトマンは,初期シェリングの同一哲学と後期シェリングの積極哲学から理論的骨格を抽出し,能動的かつ盲目的な意志と受動的で合目的的な表象の統一を,世界の普遍的一元的根拠たる〈無意識〉(今日の精神分析学や心理学でいう無意識概念とはまったく異なる)に求める点で,また,世界観的にはペシミズムとオプティミズムの結合を図る点で,ショーペンハウアーとヘーゲルを独自なかたちで総合したことになる。彼の哲学的営為は多岐にわたったが,《無意識の哲学》の射程から大きく離れることはない。その思想は後にニーチェによって批判されるように,時代精神にくみする流行哲学の一つであった。
執筆者:木田 元
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ドイツの哲学者。マールブルク、ケルン、ベルリン、ゲッティンゲン各大学教授を歴任。初め新カント学派に属したが、フッサールの現象学の影響を受けつつ独自の実在論的存在論にたち、20世紀前半のドイツの指導的哲学者の一人となる。彼によると、認識とは、あらゆる認識に先だち、それから独立して存在するものそのものを把握することであるから、まず「自体的に存在するもの」の研究が行われねばならず、認識の批判は存在問題すなわち認識の形而上(けいじじょう)学に進む。存在問題は、認識されるにせよ認識されないにせよ、人間的関係を含めてあらゆるものにかかわる。だが、この存在の世界を構成する実在的な存在するものの全体は物質、有機体、意識、精神の4層に区別され、これらの層に対応したカテゴリーと4層に共通な基本カテゴリーがあり、存在論は「カテゴリー分析」となる、と考えた。著書『認識の形而上学綱要』Grundzüge einer Metaphysik der Erkenntnis(1921)、『存在論の基礎づけ』Zur Grundlegung der Ontologie(1935)など。
[千田義光 2015年3月19日]
『熊谷正憲訳『存在論の新しい道』(1976・協同出版)』▽『石川文康・岩谷信訳『哲学入門』(1982・晃洋書房)』
ドイツの哲学者。プロイセン将校の家に生まれる。軍人となったが(1858)病気のために若くして哲学に転じ、『無意識の哲学』の出版(1869)によって一躍有名となった。時事、社会、宗教問題などについて多方面な文筆活動を行ったが、彼の哲学はドイツ思弁哲学の諸成果、すなわちヘーゲルの概念的理性とその自己止揚の思想、ショーペンハウアーの意志の観念、シェリングの無意識の理論を統合し、さらにそれを帰納的・自然科学的方法に基づいた近代科学の実証的知識と総合するという、壮大な形而上学(けいじじょうがく)的体系を目ざすものであった。
[伊東祐之 2015年3月19日]
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…中でも,フランチェスコの特異な人柄,その清貧の教えはその言行を録した《完全の鑑》に現れ,ことにイタリア語をもってした《太陽の歌》の〈いと高く,全能にまし善なる主よ〉は,中世を通じて最も浄(きよ)らかな歌の一つである。国民文学は,その傾向上,世俗文学に流れやすいが,それでも中には〈武勲詩〉中の《アミとアミール》の物語,エッシェンバハのウォルフラムの聖杯探求の物語《パルツィファル》,ことに同じく13世紀初めころアウエのハルトマンの清純な愛と奇跡の物語《哀れなハインリヒ》は,高揚した宗教的雰囲気に包まれている。また〈武勲詩〉中の傑作である《ローランの歌》(11~12世紀初め)も十字軍の理想を掲げ,教会の宣伝である点において,すぐれて宗教的な作品といえよう。…
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【フロイト以後の精神分析】
フロイトは自我を,エスの欲動を制御し,超自我の圧力に対しながら外界との適応を図るものとしていわば受身的にとらえたが,自我機能そのものについての検討は徹底しないままに終わった。このフロイトの自我研究を継承発展させ自我の積極的機能を明らかにした代表者は,フロイトの娘であるA.フロイト,ならびにH.ハルトマンらであり,彼らにはじまる自我心理学ego psychologyは,以後アメリカにおける精神分析学の主流となった。この系譜に属するE.H.エリクソンの自我の心理的‐社会的発達理論,すなわちアイデンティティ形成理論は,臨床的にも社会学的にもきわめて有用な概念である。…
…無臭の白色結晶で,水に溶けず,アルコール,アセトンに溶ける。卵巣の黄体が内分泌機能を行うことは19世紀から予測されていたが,黄体ホルモンの本体といえるプロゲステロンがブタなどの黄体から結晶として抽出されたのは1934年のことで,それはブテナントA.F.J.Butenandt,スロッタK.H.Slotta,アレンW.M.Allen,ハルトマンM.Hartmannらによってそれぞれ独立に行われ,ほぼ同じ時期に合成にも成功した。 プロゲステロンは,後述のように黄体,胎盤から分泌されるが,このホルモンは他のステロイドホルモンの中間産物で,副腎皮質や睾丸でも生合成される。…
※「ハルトマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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