ブコビナ(その他表記)Bukovina[ロシア]
Bucovina[ルーマニア]

デジタル大辞泉 「ブコビナ」の意味・読み・例文・類語

ブコビナ(Bukovina)

ヨーロッパ東部、カルパチア山脈ドニエストル川に挟まれた地域の歴史的呼称。オスマン帝国とロシア領を経て、オーストリアに併合。第二次大戦後のパリ条約によって、北部はソ連(現ウクライナ)、南部はルーマニア領となった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ブコビナ」の意味・わかりやすい解説

ブコビナ
Bukovina[ロシア]
Bucovina[ルーマニア]

カルパチ山脈の中央部から南東部にかけての森林の多い丘陵地帯で,現在北部はウクライナ,南部はルーマニアの領土である。カルパチ山脈の峠を越えて西方トランシルバニアハンガリーへ通じ,またドニエストル川,プルート川シレト川によって黒海と結ばれているこの地方は,商業・軍事上の要地であったが,独立した国家組織をもったことはなかった。

 10世紀にキエフ・ロシアの支配下におかれ,12~13世紀にはガリツィア・ボルイニ公国に属したが,〈ブナの森のくに〉を意味するこの地名が初めて文献に現れたのは1392年であり,14世紀以降に一つの地域を形成するようになったとみてよいであろう。もっとも14世紀中葉モンゴル人のキプチャク・ハーン国支配を脱してモルドバ公国が成立した当初には,この地方は公国の主要部をなし,南ブコビナの中心都市スチャバが公国の首都であった。モルドバ公国はやがて16世紀初めからオスマン帝国に服属し,ブコビナもスルタンの宗主権下におかれ,この状態は1769年までつづいた。

 1768-74年の露土戦争によってオスマンの支配から脱したが,この地方の軍事的意義に着目したオーストリアは,1774年にロシア軍が撤退したのち,75年にこの地を領有した(ホティン地区のみが1812年以後ロシア領となる)。オーストリア支配期にブコビナは皇帝直轄領として一つの行政単位をなし(面積1万0452km2),ドイツ人の大規模な植民が行われ,ドイツ人が社会・文化の指導的地位を占めた。こうして1875年にはチェルノフツィ大学(講義はドイツ語で行われた)が創設されたが,経済的にはオーストリア・ハプスブルク帝国内の最後進地域にとどまっていた。この時期に民族問題も発生するが,1910年の統計によれば総人口79万5000のうち,ウクライナ人30万5000,ルーマニア人27万3000,ドイツ人およびユダヤ人16万9000,このほかに少数のハンガリー人,ポーランド人,アルメニア人が居住していた。宗派別にみれば,ウクライナ人とルーマニア人のほとんどを含む東方正教徒が全体の71%を占め,東方正教・カトリックの合同教会派3%,カトリック11%,ルター派2.5%,ユダヤ教12%であった。18年1月,ロシア革命の影響をうけブコビナ人民会議は北ブコビナのウクライナ併合を決議したが,同年11月ルーマニア軍が占領,19年サン・ジェルマン条約によって全ブコビナがルーマニアに帰属した。ルーマニア統治期にはウクライナ人学校の閉鎖のような差別政策がとられたが,40年ソ連はベッサラビアとともに北部ブコビナへの領有権を主張して取得した。なおドイツ人の多くは,ドイツ・ソ連,ドイツ・ルーマニア間の協定によって本国へ帰国した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブコビナ」の意味・わかりやすい解説

ブコビナ
Bukovina

東ヨーロッパの地域名。カルパチア山脈東北部とそれに続く平野部をさす。6~12世紀ウクライナ人,ルーマニア人が移住。その後オスマン帝国,続いてロシアに帰属。 1775年以来オーストリアに併合され,第1次世界大戦を契機にルーマニア領となった。しかし 1940年「ウクライナ人のウクライナ」を主張するソ連はチェルノフツィ市を中心とする北部を占領。 47年パリ平和条約によって北部 (約 8400km2) はソ連,南部 (約 4900km2) はルーマニアに帰属することが確認された。住民は北部のウクライナ人,南部のルーマニア人を中心に,ロシア人,ユダヤ人,ドイツ人など。全地域の半分近くがモミ,ブナ (ブコビナの名称はスラブ語のブナ bukに由来) の森林で,製材業が盛ん。プルト川,シレト川流域の平野部ではトウモロコシ,テンサイ,オオムギ,ジャガイモなどを産する。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブコビナ」の意味・わかりやすい解説

ブコビナ
ぶこびな
Bukovina

ヨーロッパ東部、ウクライナとルーマニアにまたがる地域の歴史的呼称。カルパティア山脈北東の山麓(さんろく)地方をさし、シレト川、プルート川、ドニエストル(ドニステール)川の上流地帯にあたる。面積4031平方キロメートル。北部はウクライナに属し、住民の多数はウクライナ(ルテニア)人。南部はルーマニア領で、ルーマニア人を相対多数とする多民族が住む。トルコ領であったが、1774年にオーストリア(当時)のガリツィア地方に編入された。1919年にルーマニア軍により占領され、パリ平和会議でもルーマニア領とされた。1940年6月にソ連はベッサラビアとともにブコビナの割譲をルーマニアに要求、ドイツが難色を示したので、ブコビナは北部のみがソ連に帰属、1991年のソ連解体でウクライナ領となった。

[木戸 蓊]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ブコビナ」の意味・わかりやすい解説

ブコビナ

ルーマニア語ではBucovina。カルパティア山脈とドニエストル川の間にあり,ルーマニア北東部とウクライナ南西部にまたがる地方。プルート川,シレト川の流域で,森林と豊かな農業地帯よりなる。1775年オスマン帝国の支配下からオーストリア領となり,1919年ルーマニア領となったが,1940年北半がソ連領(1991年のソ連崩壊後はウクライナ領)となった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のブコビナの言及

【スチャバ】より

…都市の近代化が急速に進み,パルプ・製紙工業が導入された。ブコビナ地方と呼ばれる市の北西40~70kmには,ボロネツ,モルドビツァ,プトナ,シュツェビツァなど宗教壁画のある修道院があり,ルーマニアの代表的な観光地の一つとなっている。【佐々田 誠之助】。…

※「ブコビナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android