百科事典マイペディア 「ブランデージ」の意味・わかりやすい解説
ブランデージ
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国際オリンピック委員会(IOC)の第5代会長。アメリカ人。苦学してイリノイ大学を卒業,その後建設業界に入り成功をおさめ財をなす。学生時代から陸上競技の選手として活躍,1912年の第5回ストックホルム・オリンピック大会では五種競技で5位に入賞。28-36年AAU(全米体育協会)会長,また1927-45年アメリカ・オリンピック協会会長を務め,ナチズムにスポーツで戦うとの考えからベルリン・オリンピック大会(1936)にアメリカ選手団を引き連れて参加,オーエンスらの活躍で一石を投じた。この年IOC委員に選出され,52年に第5代IOC会長に就任,72年までの20年間,第2次大戦後のオリンピック運動のリーダーとして活躍した。彼は〈オリンピック運動は社会的な力である〉との信念をもって行動し,また〈ミスター・アマチュア〉と呼ばれ,アマチュアリズムの擁護のために商業主義とたたかった。主著に《オリンピックの将来》がある。
執筆者:広畑 成志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アメリカ、国際オリンピック委員会(IOC)第5代会長を1952年から72年まで務めた。とくに64年(昭和39)東京オリンピック、72年の札幌冬季オリンピックの際、IOC会長として日本の大会運営に好意を寄せ、大会成功に大きな貢献をした。また会長在任中、アマチュアリズムについて厳格で、世界のスポーツ界にアマチュアの純粋性を説いたことで有名。札幌冬季大会でも、スキーの用具を商業宣伝に使ったとの理由で、オーストリアのメダル候補の追放も決めるなど厳しい姿勢を示した。陸上競技の出身で、第5回オリンピックでは五種競技で第5位に入賞している。一方、古代東洋美術のコレクターでもあり、しばしば来日した。
[深川長郎]
『A・ブランデージ著、宮川毅訳『近代オリンピックの遺産』(1974・ベースボール・マガジン社)』
…これにならって,世界の主要な国際テニス大会はすべてオープン制になり,イギリス伝統のアマチュアリズムは,この一角から崩壊を早めた。オリンピック大会では,戦後もブランデージ会長時代(1952‐72)には依然としてアマチュアリズムが強調されていたが,キラニンM.M.Killanin会長就任(1972)後,IOCは現実路線をとり,74年の総会でオリンピック憲章の参加者資格規定を大幅に改正し,アマチュアの定義を削除し,当該競技団体が管理することを条件に,選手が必要経費や広告出演料などを受け取ることを承認した。従って,憲章全文から〈アマチュア〉の字句は完全に消滅し,オリンピックは〈世界のアスリート(競技者)のスポーツ祭典〉となった。…
…ヘルシンキではソ連選手のために別の選手村を用意するなど,異様な空気が漂ったが,ソ連選手の勢力はアメリカに迫り,世界のスポーツはいやおうもなく冷戦体制に組み込まれた。1946年IOC会長に就任したエドストレムは高齢のため52年辞任し,A.ブランデージ(アメリカ)が第5代会長に就任した。以後IOCは72年まで20年にわたってスポーツの純粋性を主張する理想主義者ブランデージ会長の統率下に置かれ,激発するナショナリズムや横行する商業主義と苦闘を重ねることになる。…
※「ブランデージ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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