通常は個人または集団の安全を守るために建造された居住可能の防備施設(城)を意味する。狭義においては,ほぼ9世紀から14世紀にかけてヨーロッパ全域で出現した王侯や貴族的領主の石造居城を指し,近世以降の邸城Schlossや要塞Festungとは区別される。古ゲルマン人やスラブ人が危急の際,住民全員が逃げ込むためにつくった避難堡塁Fluchtburgも別の範疇に属する。ブルクの成立と発展は各地域の諸事情に応じてきわめて多様であるが,ブルクが中世的実力社会における支配の中心であり基礎であるという基本性格はどこでも同じである。築城権はもともと国王大権に属していたが,ほぼ11世紀から聖俗貴族も独自にブルクを築くようになり,13世紀後半になると,その動きは下級貴族にまで広がった。なお,古ゲルマン語に由来すると思われるラテン語のブルグスburgusは,初期中世には,おそらくその防備機能のゆえに都市ないし都市的集落(フランス語でブール)を指すのに用いられ,そこから,都市住民はブルゲンセスburgenses(ビュルガーBürger)=市民と呼ばれるようになった。
→ブール
執筆者:山田 欣吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… こうしてローマの盛時といわれるアウグストゥス帝の時代に入ると,ローマはエルベ川とその支流モルダウ川から,ドナウ川を結ぶ線まで,帝国の境界を広げようとしばしば兵を出した結果,ライン,エルベ両川間のゲルマン諸族は,しばらくローマとゆるい従属関係を保ち,その間だけは大きな紛争はなかった。ところが後9年,ローマの総督ウァルスPublius Quintilius Varusが,トイトブルクの森で,ケルスキ族の長アルミニウスの軍の奇襲をうけて大敗を喫して以来(トイトブルクの戦),ローマは守勢に転ずることとなり,ライン川の中流からドナウ川の上流に達する三角地帯に長城(リメス)を築いて,ゲルマン人の侵入に備えることとなった。ローマはまたライン川左岸に下ゲルマニア,上ゲルマニアの二つの属州を設け(ゲルマニア),三角地帯のデクマテス地方に多数の城砦を築いたため,これらの地域にはローマ文化の影響が色濃く印せられた。…
…そしてそうした都市の成立には,集落史的にみて,およそ次の三つの異なった機能をもつ先駆的形態に依存したものが圧倒的に多い。その一つは防備の施設である城砦(ブルク)であり,次は宗教の中心である教会,修道院あるいは北欧古来の神殿であり,いま一つはラテン語でエンポリウムemporiumと呼ばれた市(いち)の開催地である。この三つは西ヨーロッパの全域にすでに初期中世から存在したものであるが,それが11世紀以降の中世都市の成立により,都市そのものが具備する3機能として合体したと考えてよい。…
※「ブルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新