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ブルンジ ブルンジ Burundi

翻訳|Burundi

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルンジ
ブルンジ
Burundi

正式名称 ブルンジ共和国 République du Burundi。面積 2万7816km2。人口 857万5000(2011推計)。首都 ブジュンブラアフリカ大陸中東部の内陸国。グレートリフトバレーに位置し,北はルワンダ,東と南はタンザニア,西はコンゴ民主共和国と国境を接する。

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デジタル大辞泉の解説

ブルンジ(Burundi)

アフリカ中東部、タンガニーカ湖の北東にある共和国。首都ブジュンブラドイツ領、ベルギー委任統治領、国連信託統治を経て、1962年に王国として独立。66年に共和制。農業が行われ、コーヒーを産する。人口986万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

ブルンジ

◎正式名称−ブルンジ共和国Republic of Burundi。◎面積−2万7830km2。◎人口−852万人(2010)。◎首都−ブジュンブラBujumbura(50万人,2008)。
→関連項目ブルンジ王国

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルンジ【Burundi】

正式名称=ブルンジ共和国République du Burundi面積=2万7816km2人口(1996)=594万人首都=ブジュンブラBujumbura(日本との時差=-7時間)主要言語=ルンジ語,フランス語スワヒリ語通貨=ブルンジ・フランBurundi Francアフリカ中部の共和国。独立以前はウルンジUrundiと呼ばれていた。赤道に近く,インド洋まで1200km,大西洋までは2000kmを超える内陸国である。

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大辞林 第三版の解説

ブルンジ【Burundi】

アフリカ中部、タンガニーカ湖の北岸に臨む内陸国。共和制。コーヒー・綿花を産する。主な住民はフツ族とツチ族。主要言語はフランス語とルンジ(キルンジ)語。1962年ベルギー信託統治領から独立。首都ブジュンブラ。面積2万8千平方キロメートル。人口750万( 2005)。正称、ブルンジ共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルンジ
ぶるんじ
Republic of Burundi英語
Rpublique du Burundiフランス語
Republika y'Uburundiルンジ語

アフリカ南東部、タンガニーカ湖の北東岸に位置する小国。北はルワンダ、東と南はタンザニア、西はコンゴ民主共和国(旧ザイール)に接する内陸国である。正称はブルンジ共和国Republika y'Uburundiで、植民地時代はウルンジUrundiとよばれた。面積2万7834平方キロメートル、人口648万3000(1999年推計)、844万(2011年推計)。人口密度は1平方キロメートル当り303人(2011)である。首都はブジュンブラで、人口は30万~35万(2006)と推定されている。[赤阪 賢・近藤有希子]

自然

国土の大部分は高原からなる。最西部にはアフリカ大地溝帯の西翼が走り、標高800~1000メートルの陥没帯が南北に延びている。ここにはタンガニーカ湖(湖面標高772メートル)と、それに注ぐルジジ川の河谷があり、コンゴ民主共和国との国境をなしている。陥没帯の東側は巨大な断層崖(がい)で、その肩部はヘハ山(2670メートル)を最高峰とする標高2000メートル級の山脈となっている。中央部の高原は東に向かって緩やかに傾斜し、標高は平均1500メートルである。火山性の肥沃(ひよく)な土壌に覆われ、ナイル川源流の小河川が流れている。タンザニア国境にかけてはさらに低くなり、標高1000メートルの堆積(たいせき)平野となっている。
 赤道直下であるが気候は全体に温和で、中央部の高原では年平均気温は20℃にとどまる。年降水量は1200ミリメートルで、3~5月と10~12月の年間2回に集中して降る。アフリカでは降水に恵まれた所で、山腹では熱帯雨林の景観もみられる。西部の大地溝帯では年平均気温は23℃とやや高くなるが、貿易風の風下にあたるため年降水量は750ミリメートルとやや乾燥し、ユーフォルビア(トウダイグサ科の植物)が点在するサバンナの植生が広がっている。
 首都のブジュンブラはタンガニーカ湖の北岸に位置し、ブルンジ最大の都市で国際空港を備え、政治や経済の中心地となっている。[赤阪 賢・近藤有希子]

歴史

もともと狩猟採集民のトゥワが先住民であった。従来の説では、「7~10世紀にコンゴ盆地からバントゥー系の農耕民フツ人が来往、その後15~16世紀に北東よりナイロート系の牛牧民ツチ人が侵入、フツ人を征服し、土地の支配者、家畜の所有者としてフツ人を支配し、階層的なブルンジ王国を形成した」とされてきた。しかし、近年このような説は疑問視され、ツチとフツは出自の異なる別々の民族ではなく、生業の違いによる分類だと理解されている。ツチ人もフツ人もバントゥー系の言語を話す。ツチ人は牧畜中心、フツ人は農耕中心の生業を営み、両者は対立しつつ混交してきた。またブルンジにはツチ、フツ、トゥワという三つのエスニック・グループ(民族集団)とは区別される社会的カテゴリーとしてガンワという王家が存在した。ツチとフツの境界が明確に区分され対立を深めたのは、19世紀以来のヨーロッパ諸国による植民地政策によってであった。20世紀初め植民地当局は住民の身分証明書に、ツチ、フツ、トゥワいずれかの出自を書き込ませ、待遇に格差をつけることによって間接的に統治を強化したのである。
 19世紀後半ブルンジはドイツの勢力圏下に入り、1890年ドイツ領東アフリカ(タンガニーカ)に編入された。その後1899年には同じようにツチがフツを支配するルワンダ(植民地時代はルアンダとよばれた)と併合され、新たな植民地ルアンダ・ウルンジが構成された。第一次世界大戦後、この植民地は国際連盟委任統治領としてベルギーの統治下に入り、第二次世界大戦後も国際連合信託統治領として同国に支配された。しかし、ドイツもベルギーも間接統治の方法をとったため、この間、伝統的な王国の権力は温存され、むしろ強化されたといわれている。
 1959年にルアンダとウルンジはそれぞれ内政の自治権が認められたが、ウルンジではフツの民族主義的な運動は比較的遅く開始され、政治は王家がリードした。多くの政党が誕生したが、ルイ・ルワガソレLouis Rwagasore王子(1932―1961。暗殺)が結成した国民進歩統一党(UPRONA:Union pour le progrs national)が圧勢を誇り、同党はルワンダとの連邦制による独立を要求した。しかし1961年にルワンダがツチ人の王朝を倒してフツ人による共和制を宣言したため、両国は別々に独立することになり、翌1962年7月1日、ウルンジはブルンジ王国として独立した。独立後のブルンジでは国王が政治の主導権を確立させていったが、ブルンジ政界の権力闘争を基盤とした暴力的な体制移行と内閣の交代が相次いだ。政情不安が続くなか、1966年7月、国軍長官のミコンベロMichel Micombero(1940―1983)を中心とする勢力が政治の主導権を握り、外遊中のムワンブツァ国王を廃位して、皇太子シャルル・ンディゼエCharles Ndizeye(1947―1972)を同年9月にンタレ5世Ntare として即位させた。ところが同年11月には、新王は自らが首相に指名したツチ人のミコンベロによって追放され、ブルンジは共和国に移行した。
 大統領に就任したミコンベロは、フツ人も含む政権を構成するなどエスニック・グループ間の対立解消を図っていたが、1972年のンタレ5世の帰国に伴う政情混乱(フツ武装勢力が南部で反乱を起こしておもにツチ人を殺戮、犠牲者数は約3000人ともいわれる事件)を機に、徹底的なフツ人弾圧を行った。虐殺されたフツ人は10万~20万人ともいわれ、約15万人の難民がタンザニアを中心とする近隣諸国に流出した。また政権獲得後、UPRONAを唯一の政党としていたが、1974年に共和国憲法を制定して、同党の党首が自動的に大統領に就任することにし、自身の独裁体制を強化した。しかし1976年11月、ツチ人の中佐バガザJean Baptiste Bagaza(1946―2016)が軍事クーデターを起こしてミコンベロを追放し、かわって大統領に就任した。[赤阪 賢・近藤有希子]

政治

バガザ政権も前政権同様ツチ人が主体であったがエスニック・グループ間の対立緩和に力を入れた。クーデターによって瓦解(がかい)したUPRONAは1979年に再建され、体制は民主化し新憲法が国民投票で承認された。1987年9月、大統領バガザが外遊中、少佐であったツチ人のブヨヤPierre Buyoya(1949― )が軍事クーデターを起こし、憲法停止、国家救済軍事委員会設立の事態となった。1988年に大統領に就任したブヨヤは国民和解を標榜(ひょうぼう)し、内閣にツチ人とフツ人を同数登用、国民統一憲章の制定、複数政党制を定めた憲法の制定などの政策を進めた。1993年の選挙では、27年ぶりの政権交代が行われ、野党のブルンジ民主戦線(FRODEBU:Front pour la dmocratie au Burundi)が政権を握った。ブルンジ初の民主選挙で選出されたフツ出身の大統領ンダダエMelchior Ndadaye(1953―1993)は、就任後3か月でツチ人が掌握する軍の手で暗殺された。また、5万人以上のフツ人虐殺が行われ、大量の難民が流出するなど政治情勢が悪化した。後任大統領のンタリャミラCyprien Ntaryamira(1955―1994)もルワンダの大統領とともに、1994年4月の搭乗機撃墜に遭遇し死去した。ついで大統領に就任したンティバントゥンガニャSylvestre Ntibantunganya(1956― )も事態掌握に失敗し、1996年7月、軍のクーデターで元大統領のブヨヤが暫定大統領に就任した。民政復帰を求めてFRODEBUを支援してきた近隣諸国は、この軍事政権(UPRONA)に反対し、経済制裁により退陣を求めたが、暫定大統領ブヨヤはこれに応じず、1998年6月、新憲法制定までの移行期憲法の公布に続き、正式に大統領に就任した。2000年8月、南アフリカ共和国の大統領であったマンデラなどの仲介によって、フツ系反政府武装勢力を除いた紛争当事者によるアルーシャ和平合意が成立し、2001年11月、民主制度移行のための暫定政府が発足、ブヨヤはそのまま大統領に留任した。
 2003年4月末、アルーシャ和平合意に基づいてFRODEBU事務局長で副大統領を務めるフツ人のンダイゼイエDomitien Ndayizeye(1953― )が大統領に就任。この間もフツ反政府武装勢力は戦闘を継続していたが、2003年11月、暫定政府と最大のフツ系反政府武装勢力である民主主義防衛国民会議・民主主義防衛軍(CNDD-FDD:Conseil national pour la dfense de la dmocratie-Forces pour la dfense de la dmocratie)が停戦合意した。2005年2月、エスニック・グループごとに政治ポストの割合を定めた権力分有制度が盛り込まれた新憲法が採択された。2005年8月の大統領選挙において、CNDD-FDDのフツ人ピエール・ンクルンジザPierre Nkurunziza(1963― )が当選し、大統領に就任。2006年9月、ンクルンジザ率いる政府と唯一武装闘争を継続していたフツ系反政府武装勢力の解放国民勢力(FNL:Forces nationales de liberation)ルワサ派との包括的停戦合意が締結された。2010年6月の大統領選挙においてンクルンジザが再選された。
 政体は共和制。議会は上院と下院(国民議会)の二院制で、議席数は上院54、下院118(任期5年)。大統領の任期は5年。[赤阪 賢・近藤有希子]

経済・産業

ブルンジでは、国民の9割以上が農業に従事し、国土の半分近くが耕地にあてられ、過密な人口を支えている。農産物の大部分は自給用の食料で、キャッサバ、バナナ、サツマイモ、豆類、トウモロコシ、ソルガム(モロコシ)、ミレット(キビの一種)、タバコなどが細分化された耕地で生産される。そのほかに灌漑(かんがい)によるイネの栽培が、インボ平原やルジジ平原、東部の平地などで行われている。主要な換金作物はコーヒーで、ベルギー領時代にプランテーションで栽培が開始され、1992年には3万4000トンを生産した。コーヒーは輸出全体における最大の外貨獲得資源であり、大半がアメリカに出荷される。しかし、その生産量は不景気やコーヒーの木の老朽化などが原因で毎年顕著な変化を示し、2006年には2万9951トン、2007年は8210トン、2008年は2万4700トンと回復したが、2009年には6814トンにまで減少している。茶の栽培は1963年より西部のテザとムランビヤ高地の農園で導入され、順調に成長を続けた。綿花はインボ平原、ルジジ平原で生産され、輸出のほとんどはベルギー向けである。しかし、いずれの生産量も、2009年で茶6729トン、綿花2547トンと小さく、近年は生産量の増加もほとんどみられない。中西部の高原地帯を中心に牧畜も盛んで、2009年にはウシ55万頭、ヤギ272万頭、ヒツジ29万頭、ブタ21万頭が飼育され、皮革の一部が輸出されている。
 なお、1968年より五か年計画による国の経済開発が行われてきたが、1983年から始まった第四次計画では、農村の開発に重点が置かれるようになった。2007~2009年には世界銀行と国際通貨基金(IMF)主導のもと、第一次成長・貧困削減戦略(GPRS)が実施され、グッド・ガバナンス(良い統治)、公正で持続的な成長、人的資源開発、エイズの抑制が重点分野とされた。
 他の産業では、漁業がタンガニーカ湖で行われ、ドイツも漁業資源に対する援助を行っている。工業は未発達で、コーヒー、綿花、茶などの農産物加工と、ビールや清涼飲料水の製造などに限られている。鉱産物資源ではニッケルの埋蔵量が豊富で、開発が期待される。1人当り国内総生産(GDP)は144ドル(2008)で、GDP成長率は3.4%(2009)である。
 内陸国で、東のダルエス・サラーム港(タンザニア)からは1400キロメートル、西のマタディ港(コンゴ民主共和国)からは2000キロメートル離れているため、貿易は不振で、毎年大幅な輸入超過が続いている。貿易相手国は、かつてはベルギーが中心であったが、近年では輸出はドイツ、スイス、ベルギー、スウェーデン、輸入はサウジアラビア、ベルギー、ウガンダ、ケニアなどがおもな貿易相手国となっており、ベルギー以外の国との取引も多い。
 2007年にルワンダとともに東アフリカ共同体(EAC)に加盟したことも受けて、観光産業に力を入れ始めている。外国人来訪者の数は、1990年には10万人、その後紛争時には1.5万人にまで減少したものの、2007~2008年には22万人と増加した。使用通貨はブルンジ・フラン。[赤阪 賢・近藤有希子]

社会・文化

住民構成はルワンダとほとんど同じで、フツ人が人口の85%を占め、ツチ人が14%で、トゥワ人は1%とされる。三つのグループはともにルンジ語を話すが、これはルワンダのニャルワンダ語と言語的に近縁で、ともにバントゥー語に属する。公用語はルンジ語とフランス語であるが、スワヒリ語もよく普及している。宗教はキリスト教がほとんどで、カトリックが人口の65%に浸透、プロテスタントが20~25%、イスラム教が5%、残りは伝統的な宗教を奉じている。教育も従来はキリスト教団体が中心となって行ってきたが、2005年以降、7歳からの初等教育(6年間)は無償で受けられるようになり、政府も多くの助成金を出している。その結果、学校への入学者率は年々改善されており、2005年の59.8%から、2009年には89.7%に達している。高等教育機関は、1964年に首都ブジュンブラに国立大学が開設され、公私立を含む多数の大学などが存在する。[赤阪 賢・近藤有希子]

日本との関係

ブルンジの日本への輸出はコーヒーや茶を中心に880万ドル(2010)、日本からの輸入は自動車や二輪車(オートバイ)で11億円(2010)である。1980年代に無償資金協力で日本は135台のバスを供与。ツチとフツ両民族間の紛争(1993~2005)後、日本はブルンジに対して「平和の定着」と「基礎生活環境の改善」を支援の柱に据え、おもにインフラの整備と人材育成に力を入れている。2009年(平成21)より国際協力機構(JICA)は「公共交通公社運営能力再生プロジェクト」を開始し、2010年には86台のバスが供与された。
 文化交流は希薄であるが、ブルンジのドラム楽団がこれまでに数回の来日を果たしている。2012年時点で、ブルンジは在中国ブルンジ大使館が日本を兼轄、日本は在ケニア日本大使館がブルンジを兼轄している。[近藤有希子]
『武内進一編『現代アフリカの紛争を理解するために』(1998・アジア経済研究所) ▽武内進一編『現代アフリカの紛争―歴史と主体―』(2000・アジア経済研究所) ▽望月克哉編『人間の安全保障の射程――アフリカにおける課題』(2006・アジア経済研究所)』

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