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ブルンチュリ ブルンチュリBluntschli, Johann Kaspar

4件 の用語解説(ブルンチュリの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルンチュリ
ブルンチュリ
Bluntschli, Johann Kaspar

[生]1808.3.7. チューリヒ
[没]1881.10.21. カールスルーエ
法学者,政治家。 1833年チューリヒ大学教授,38年チューリヒ議会議員。スイスの宗教動乱でドイツに逃れ,ミュンヘン大学,ハイデルベルク各大学の教授を歴任。私法,国家学,国際法の各分野に活躍した。

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百科事典マイペディアの解説

ブルンチュリ

ドイツの公法学者。スイス出身。ハイデルベルク大学教授。国家有機体説を提唱。自由主義者だったが,彼の説は加藤弘之らによって明治政府の理論的支柱として援用された。主著《一般国法学》

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルンチュリ【Johann Kaspar Bluntschli】

1808‐81
ドイツの法学・政治学者,政治家。スイスのチューリヒに生まれ,ベルリンとボンの大学に学び,法学博士となる。チューリヒの法務官僚を経て,1833年新設のチューリヒ大学教授となり,出世作《チューリヒ市法史》全2巻(1838‐39)を書いた。また19世紀最大の立法事業の一つとされ,後世にも影響の大きいチューリヒ私法典の起草に当たる。他方チューリヒ上院議員を務めたが,ついに志を得ず,ミュンヘン大学に転じた。ここで代表作《一般国法学》全2巻(1851‐52)を書く。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブルンチュリ
ぶるんちゅり
Johann Kasper Bluntschli
(1808―1881)

19世紀ドイツの代表的法学者。スイスのチューリヒ生まれ。1827年ベルリン大学で歴史法学者サビニーに学び、1828~1829年ボン大学ローマ法の相続法関係の論文で博士号を取得。1833年チューリヒ大学准教授、1836年教授。1837年議員に当選、「自由・保守党」を創立し、急進・守旧両派に対抗して自由主義的改革を図る。1848年ミュンヘン大学に移る。1861年にはハイデルベルク大学に転ずる。ここでも政治活動を行い、ビスマルクの統一政策を支持。主著『一般国法学』(1852)は国家有機体説の立場から社会契約説を批判し、国家主権説を唱えて、反動的な家産国家論や絶対君主論とその対極にある人民主権論をともに排撃した。この本は加藤弘之(ひろゆき)によって『国法汎論(はんろん)』(1876)として抄訳され、明治政府の正統性を弁護する役割を担った。ほかに『ドイツ私法』(1853)、『一般国法学および政治学史』(1864)、『近代国際法』(1868)など。[田中 浩]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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