ドイツのカールツァイス社が1923年、本格的なレンズ式投影機を開発し、目に見える約4500個の星を再現した。近代的な機種は球形のドーム内の中央に発光機能のある機械を設置し、星の運行を映し出す。ビデオプロジェクターで映像を投影する機種もある。国内では37年、大阪市立電気科学館(現・大阪市立科学館)に初めて登場した。
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天象儀、または惑星儀という。ドームの内側に多数の椅子(いす)を同心円に並べて観覧席とし、中央の投影装置によりドーム内側の丸天井に実物どおりの天体現象を投影して見せる教育用器械である。
[石田五郎]
従来、天象を説明するには電動天球儀や三球儀があったが、本物どおりの星空を再現しようという構想は第一次世界大戦後、ハイデルベルク天文台長M・ウォルフによって始まり、具体的にはミュンヘンのドイツ博物館のミラー、カール・ツァイス社の技師バウエルスフェルトWalter Bauersfeld(1879―1959)の協力によって、1923年にカール・ツァイス光学工場で大型機が完成した。
第1号機はイエナのツァイス工場の屋上の直径16メートルのドーム内に据え付けられて大成功を収めた。第2号機はミュンヘンのドイツ博物館の直径10メートルのドーム内に設置されて、実際の天文教育に実用的役割を果たし、第二次世界大戦前には、ベルリン、ハンブルク、ドレスデン、ライプツィヒ、イエナ、ハノーバー、デュッセルドルフ、ミュンヘン、ニュルンベルクなどのドイツの各都市、モスクワ、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)、ローマ、ミラノ、ウィーン、ストックホルムなどのヨーロッパの諸都市、アメリカではシカゴ、フィラデルフィア、ニューヨーク、ロサンゼルスの4都市、と世界中に27機が設置された。このうち第23号機は1937年(昭和12)に大阪の電気科学館に、第26号機は東京の東日天文館に設置され、日本の天文愛好家の要望にこたえた。
第二次世界大戦後、カール・ツァイス社は工場が西ドイツと東ドイツに二分されるなどしてプラネタリウムの製作も一時中止された。この間、1947年にアメリカ、メリーランド州エルクトン市にあるスピッツ社が中型プラネタリウムの製作を開始し、これが全世界に普及した。
日本では、生産を再開したカール・ツァイス社のプラネタリウムが1957年(昭和32)に東京・渋谷の五島(ごとう)プラネタリウム(2001年3月閉館)に、また1960年には兵庫県明石(あかし)市の天文科学館に設置されて天文教育の活動が再開された。
また国内では五藤光学研究所、コニカミノルタプラネタリウム(1988年ミノルタからプラネタリウム事業が独立して設立されたミノルタプラネタリウムが2003年に社名変更)の2社が大型機、中型機の製作を開始し、全国各地の児童館、科学館に新型機が設置された。とくに最近はコンピュータ制御の新機種が登場して多彩な上映手段を駆使して演出効果をあげている。
[石田五郎]
プラネタリウムの基本的な機械構造は星座部と太陽系部に分かれる。ツァイス型プラネタリウムでは中央の投影装置は円筒形のかごの両端に亜鈴のように球形の投影器が2個つき、ここに配置された32個のレンズで全天の約9000個の恒星を投影する。恒星球の中央には強力な特殊電球を置き、コンデンサーレンズ、星野原版、投影レンズにより星空の映像を球面スクリーンに投影する。星野原版は銅の薄板に丸孔(口径20~700マイクロメートル)をあけ、孔の大小で恒星の等級を表現し、地平線下に向くときは特殊シャッターが作動して光を覆うようになっている。
投影機全体はやぐら形の架台の上にのり、モーターによって日周運動(緩急自由)が行われる。北極の位置を変えてやれば、南極から赤道、そして北極まで、地球上のどの緯度の地点からでも見える星野が自由に再現できる。また歳差現象の調節で、過去・未来のいかなるときの空も見ることができる。
中央のかご形の円筒部が太陽系部である。太陽の投影装置は、黄道に沿って回転させるが回転中心は円の中心から偏った位置に置き、偏心円により地球軌道の楕円(だえん)を近似する。
月の投影装置は、公転が速く、1か月に全周するので機械的にさまざまな考慮が払われるが、黄道に対して5度8分の傾斜を保ったまま18.6年で1周する白道の動きも正確に再現する。また特殊な光学装置で三日月から満月までの満ち欠けも投影できる。
惑星の投影装置は、この器械がプラネタリウムとよばれる由縁のように、もっとも重要な部分である。有理数では表せない公転周期の比を、複雑な歯車の組合せで近似することが第一の問題である。二重の円周上に支点を置いた投影レンズの支持棹で地球の運動を差し引き、順行・逆行・留などの複雑な惑星の動きを再現するのが第二の問題で、普通は赤い火星、縞(しま)のある木星、リングのある土星などがかなり大きな画像で投影される。このほかに赤道座標目盛り、星座図、天の川、黄道光、流星、彗星(すいせい)、人工衛星などの特殊投影装置が付属する。
上映の開始、終了時の前後には、薄明の投影が行われ、またバックグラウンド・ミュージックなどが流されて臨場感を高める。
大型のプラネタリウムの場合には、直径20メートル程度の球面のスクリーンを仰ぎ見る形に椅子を配列するが、傾斜ドームに椅子が正対し、投影はコンピュータによって任意の方向が選択できるように設計されたものが近年流行している。
[石田五郎]
『小林悦子編著『プラネタリウムへ行きたくなる本』(1992・リバティ書房)』▽『伊東昌市著『地上に星空を――プラネタリウムの歴史と技術』(1998・裳華房)』
太陽系の惑星の運動を説明するために作られた模型。古くは機械的な太陽系運動儀のようなものもかなり数多く作られたが,現在では丸天井の内側に実際の星空と同様な諸天体を映し出す装置をもっぱらプラネタリウムと呼んでいる。これは1910年代の初めころ,ドイツのミュンヘンのドイツ博物館のミラーO.von Miller館長が,天体運行の原理を示す装置を作りたいと当時のハイデルベルク天文台長M.ウォルフと相談した結果,カール・ツァイス光学会社にその製作を依頼し,同社のバウエルスフェルトW.Bauersfeldらが開発完成したのがその初めであって,23年夏ツァイス社屋上の直径16mのドーム内で仮公開されて大好評を博した。当時の機械はイェーナ,あるいはミュンヘンで見られる星空を現すだけであったが,その後まもなく改良されて世界中のどの緯度の土地の星空も現すようになり,さらに各種の改良が加えられていった。ツァイス・プラネタリウムの本体は両端に2個の球形の投影機があり,その間を籠形の円筒部分でつないだ大きな鉄亜鈴のような形をしている。球形の部分は直径75cmほどの大きさで,それぞれ16個の投影レンズをもち北半球と南半球の恒星を分割投影するようになっている。中間の籠形の部分にはプラネタリウム最大の特徴である太陽,月,水星,金星,火星,木星,土星の各天体の運動を示す投影機がおさめられていて,それぞれ複雑な歯車の組合せを用いて各惑星の視運動を再現できるようになっている。この投影機本体は三つの軸のまわりに回転できるようになっていて,それぞれ天体の日周運動,各緯度での星空,歳差現象による天体位置の変化を現せるようになっている。このようにして天体のさまざまな運動を短時間のうち(例えば1年間の動きを7秒間)で示すことができ,天文知識の普及,教育に非常な効果をあげるものとして世界各地に作られた。日本では1937年に大阪市立電気館に設置されたものが最初である。近年は日本でも優秀なものが作られるようになり,各種の改良,付属投影機類の開発,コンピューターによる自動制御などが加わって目覚ましい進歩を遂げている。
執筆者:村山 定男
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…《マルトロー》(1953)などの一見心理主義と見える作風は,中産階級の客間での浮薄なやりとりの風刺にすぎないようであるが,意識下の牽引,反発,接近願望,嫌悪などの交錯が,あたかも輪郭のおぼろな内面に懸濁し散乱する微粒子の不随意的な運動としてとらえられ,深部の実存のありようを形象化してみせている。この方法は《プラネタリウム》(1959)で画期的な成功を収め,《黄金の果実》(1963)で国際出版社賞を得た。劇作もある。…
…それは対象から独立した意識は存在せず,〈自転車の意識とは自転車のイメージである〉というフッサールの現象学とも符合する。とはいえ,今なお,作中人物の心理分析に関心を集中しているN.サロートや中村真一郎のような作家も健在で,ことに前者の《プラネタリウム》(1959)は,意識と無意識の相互干渉を解説せずに具象化した,現代に可能な唯一の心理小説と見なせよう。【平岡 篤頼】。…
※「プラネタリウム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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