改訂新版 世界大百科事典 「プレームチャンド」の意味・わかりやすい解説
プレームチャンド
Premchand
生没年:1880-1936
インドのウルドゥー語およびヒンディー語の作家,編集者。本名ダンパト・ラーエDhanpat Rāy。ワーラーナシー近郊の農村に生まれ,苦学して教員,作家,編集者生活を続け,短編小説300余,長編小説11,その他を残した。ウルドゥー語を学び,ウルドゥー大衆小説に読みふけり,1903年よりナワーブ・ラーエの筆名でウルドゥー語で執筆。08年に《愛国心》刊行,翌年,発禁・焚書処分を受ける。10年より筆名をプレームチャンドとかえる。19年,39歳で学士試験に合格。21年ガンディーの非暴力不服従運動の呼びかけに応じ,21年間の教職を辞任。ヒンディー語で書かれた長編小説《休護所》(1918),《愛の道場》(1922)で社会改良の理想を描き,《人生劇場》(1924),《行動の広場》(1932)で,ガンディーの思想と行動の理解,解説に努め,晩年にはソ連の動きに心を動かされながら,虐げられた人々,悲惨な農民の生活と運命を,自らの造語でいう〈理想主義的写実主義〉の立場に立って描いた。
36年,ウルドゥー語,ヒンディー語の論争,対立に心を痛め,ヒンドゥスターニー・アカデミーの会議,ヒンディー文学会年次大会,インド文学会議などに出席し,和解と融和に努めた。同年4月,ラクナウで開催されたインド進歩主義作家協会の第1回年次大会議長を務めたことは文学史上重要である。6月,長編小説《牛供養》刊行,10月,死去。未完の《マンガル・スートル》が遺作となった。80年,プレームチャンド生誕100周年記念国際シンポジウムが開催され,《プレームチャンド百科事典》などが刊行された。日本では,井伏鱒二の協力を得てサバルワルが短編小説の翻訳を雑誌《改造》(1928)で初めて紹介した。
執筆者:田中 敏雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報