プーフェンドルフ(英語表記)Samuel von Pufendorf

改訂新版 世界大百科事典 「プーフェンドルフ」の意味・わかりやすい解説

プーフェンドルフ
Samuel von Pufendorf
生没年:1632-94

ドイツ法学者。ザクセンの新教牧師を父として生まれ,イェーナ大学で法学,文献学,歴史学を修める。1661年ハイデルベルク大学に新設された自然法学の講座に教授として招かれ,67年モンツァンバノSeverinus de Monzambanoの偽名で公にした著作で,神聖ローマ帝国の〈怪物じみた〉変則的国制に厳しい批判を浴びせた。1670年にはスウェーデンルンド大学で国際法学の教授,77年からはスウェーデン王カール11世の修史官,枢密参議官としても働いた。88年にはブランデンブルク選帝侯の修史官としてベルリンに移る。法学者としてのプーフェンドルフは,グロティウスと並んで,神学から解放された合理的な近代自然法論の主要な代表者であるが,同時に,歴史的な観点から,自然法を具体的な国家の実定法と結びつけて論じたところにその特徴があり,主著《自然法と万民法》(1672)は18世紀の政治思想に深い影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プーフェンドルフ」の意味・わかりやすい解説

プーフェンドルフ
Pufendorf, Samuel Freiherr von

[生]1632.1.8. ドルフケムニッツ
[没]1694.10.13. ベルリン
ドイツの法学者。ハイデルベルク大学で最初の自然法学の教授となり,次いでスウェーデンのルンド大学教授をつとめた。主著『自然法と万民法』 De Jure Naturae et Gentium (1672) で大陸自然法学の体系をつくった。彼の自然法学は多くの点で,ホッブズとグロティウスの折衷的性格をもち自然状態に社会結合性が内在すること,服従契約以前に結合契約が要請されること,政治社会は道徳的存在であることを主張した。その自然法学は 17世紀後半から 18世紀にいたるまで,ヨーロッパの政治思想に対し一つのスタンダードとしての影響を与えた。

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百科事典マイペディア 「プーフェンドルフ」の意味・わかりやすい解説

プーフェンドルフ

ドイツの法学者,歴史学者。ハイデルベルク大学,スウェーデンのルンド大学の教授。神学的基礎づけから解放された自然法論を体系化し,その基礎を利己心より出た人間の社会性におき,国家は〈倫理的存在〉であり,その目的は社会の平和と安全にあると考えた。国際法理論においては慣習法条約の法源性を否定した。近代自然法学発展のうえで決定的役割を果たした。主著《自然法と国際法》。
→関連項目国際法ブラックストン

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世界大百科事典(旧版)内のプーフェンドルフの言及

【国際法】より

…また,科学的思考の発達により,国家の慣行の集積によって形成された慣習法や国家間の明示の合意である条約に基礎を置く実定国際法体系が確立されるようになった。この時代に活躍した学者のうち,ドイツのS.プーフェンドルフは初期の自然法的国際法の理論を引き継ぐ形で国際法体系を発展させたが,ドイツのC.ウォルフ,E.deバッテル,G.F.vonマルテンスなどは,実定法の立場から,国家の合意に基礎を置く国際法体系を築いていった。 このような国際法の拡大と発達は,19世紀に入っていっそう顕著なものとなった。…

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