デジタル大辞泉
「ベッカー」の意味・読み・例文・類語
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ベッカー(Gary Stanley Becker)
べっかー
Gary Stanley Becker
(1930―2014)
新古典派経済学の牙城であるシカゴ学派を代表するアメリカの経済学者。ペンシルベニア州ポッツビル生まれ。1951年にプリンストン大学卒業後、1955年にシカゴ大学で博士号を取得。コロンビア大学教授などを経て1970年からシカゴ大学教授。この間、全米経済調査研究所(NBER)のメンバーとして「人的資本」研究プロジェクトに取り組み、その成果として主著『Human Capital』(『人的資本』)を1964年に出版し、当時の労働経済学に革新的な影響を及ぼした。教育に経済分析的手法を導入した「人的資本理論」の第一人者として、1967年にジョン・ベーツ・クラーク賞、1992年にノーベル経済学賞を受賞した。
ノーベル賞受賞理由は「ミクロ経済分析の領域を、非市場的行動も含めた人間活動と相互作用の広い分野に広げ」たことで、雇用・賃金、教育だけでなく家族、結婚・離婚、出生、差別、犯罪など市場原理が働きにくいと考えられていた社会現象に経済学の領域を拡張した。新古典派経済学では、伝統的に人の能力(限界生産力)は所与のもので企業はそれに見合った賃金で雇用すると考えられてきたが、人的資本理論は、人間を機械や工場などと同じ資本ととらえ、教育・訓練(投資)を受けるほど労働生産性は向上し賃金も増大すると分析する。能力と賃金の乖離(かいり)が生じることを合理的に示し、どの企業にも役だつ「一般的訓練」と特定の企業でしか役だたない「特殊的訓練」の概念を導入することで、年功序列型賃金や終身雇用制などの論拠を説明した。
[金子邦彦]
『佐野陽子訳『人的資本 教育を中心とした理論的・経験的分析』(1976・東洋経済新報社)』
ベッカー(Howard Paul Becker)
べっかー
Howard Paul Becker
(1899―1960)
アメリカの社会学者。シカゴ大学でパークの指導を受け、1937年ウィスコンシン大学における社会学講座を担当、定年まで在職した。アメリカにおける指導的理論家であるが、それは、M・ウェーバー、ウィーゼをはじめとするドイツ社会学の影響下にあったこと、さらにはG・H・ミードやズナニエツキー、W・トマスの影響を受けたことによる。またM・シェラーなどとの関連において社会思想史や社会学説史の優れた研究者としても著名であり、『知識から科学への社会思想』(1938)は名著といわれている。
[鈴木幸寿]
ベッカー(Oskar Becker)
べっかー
Oskar Becker
(1889―1964)
ドイツの哲学者。ライプツィヒに生まれる。1931年以来ボン大学教授として、とくに論理学や数学の哲学的研究に携わる。また美学の領域でも、『美のはかなさと芸術家の冒険性』(1929)において、フッサールやハイデッガーの現象学や存在論に基づいて、ゾルガーKarl Wilhelm Ferdinand Solger(1780―1819)の「美のはかなさ」の概念や、シェリングの美の規定を改めて取り上げ、「美のもろさ」という独自のカテゴリーをたてた。著書には『歴史的展開における数学の基礎』(1954)や『現存在と現実体』(1963)などがある。
[西村清和 2015年4月17日]
『久野昭訳『美のはかなさと芸術家の冒険性』(1964・理想社)』
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ベッカー
Becker,Gary S.
[生]1930.12.2. ペンシルバニア,ポッツビル
[没]2014.5.3. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Gary Stanley Becker。1951年プリンストン大学を卒業。1955年シカゴ大学で博士号を取得,同大学助教授となって 1957年まで在職。その後コロンビア大学で教鞭をとり,1970年にシカゴ大学に戻って経済学の教授を務め,1983年から社会学の教授を兼務した。労働市場における人種差別は,差別される側だけでなく差別する側にも不利益となることを分析した博士論文『差別の経済学』The Economics of Discriminationで注目された。その後,非経済学的な分野において,「効用の最大化」を前提とした経済学の論理の枠内で人々の行動を合理的に説明した。『人的資本 教育を中心とした理論的・経験的分析』Human Capital(1964)で,教育を経済的な意思決定に基づくものとして取り上げ,労働経済学の領域に新しい理論を提示した。その後,犯罪と刑罰の関係を分析。『家族の研究』A Treatise on the Family(1981)では家庭を企業と同様にみなして分析。先進国における婚姻率の低下や離婚率の上昇,出生率の低下などは,女性の教育水準の向上と就業機会の拡大などに伴う,経済的動機に左右されると考えた。1985~2004年『ビジネス・ウィーク』誌のコラムニストとしても健筆をふるった。1992年,「経済学的な論理を,経済学が伝統的に取り扱ってきた分野を越えて,これまで社会学や犯罪学(→刑事学)などが対象としていた人間行動の一般にまで広めた」功績によりノーベル経済学賞を授与された。2000年ナショナル・メダル・オブ・サイエンスを受章,2007年大統領自由勲章を受章。
ベッカー
Becker, Carl Lotus
[生]1873.9.7. アイオワ,ウォータールー近郊
[没]1945.4.10. ニューヨーク,イサカ
アメリカの歴史家。ウィスコンシン大学で F.ターナーに師事。 1917年以後コーネル大学で教鞭をとった。 C.ビアードやターナーとともに 20世紀前半のアメリカ革新主義史学を代表する歴史家。 18世紀のアメリカをおもな研究対象とし,アメリカ史の解釈に保守派対急進派の社会的対立の図式を導入し,また思想史を開拓した。主著『アメリカ独立革命前夜』 The Eve of the Revolution (1918) ,『独立宣言論』 Declaration of Independence (22) ,『18世紀思想史』 Heavenly City of the Eighteenth Century Philosopher (32) など。
ベッカー
Becker, Oskar
[生]1889.9.5. ライプチヒ
[没]1964.11.13. ボン
ドイツの哲学者,美学者。 1931年ボン大学教授。フッサールとハイデガーの影響を受けた。数理哲学に解釈学的現象学の方法を導入し,数学的実存のあり方を考察した。哲学的には,存在範疇として実存に対して副次的実存を,超越に対して副次的超越の概念を提唱。美学的には,美の「はかなさ」の概念を現象学的に基礎づけた。主著『数学的実存』 Mathematische Existenz (1927) ,『美のはかなさと芸術家の冒険的性格について』 Von der Hinfälligkeit des Schön und der Abenteuerlichkeit des Künstlers (29) 。
ベッカー
Bekker, Paul
[生]1882.9.11. ベルリン
[没]1937.3.7. ニューヨーク
ドイツの音楽批評家,指揮者。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のバイオリニストであったが,1906年から『ベルリン新報』『ベルリーナー・アルゲマイネ・ツァイトゥンク』,11年から『フランクフルト新聞』の音楽批評家として活躍。 25年よりカッセルの,また 27~32年ビースバーデンの劇場総監督をつとめたが,33年以後はニューヨークに移住。 G.マーラー,F.シュレーカー,A.シェーンベルク,E.クシェネックの擁護者。主著『ベートーベン』 (1911) ,『マーラーの交響曲』 (21) ,『形式変遷の歴史としての音楽史』 (26) 。
ベッカー
Bekker, August Immanuel
[生]1785.5.21. ベルリン
[没]1871.6.7. ベルリン
ドイツの古典学者。ハレ大学で F.ウォルフに師事し,1810年ベルリン大学教授。 10~21年各国を旅行し,主としてギリシアの文献を研究,プラトン (3巻,1816~23) などの校訂本を出した。主著に『ギリシア逸話集』 Anecdota Graeca (14~21) 。
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ベッカー
Carl Lotus Becker
生没年:1873-1945
アメリカの歴史学者。ウィスコンシン大学でF.J.ターナーの薫陶を受け,1909年博士論文《ニューヨーク植民地における政党史》を公刊,歴史学界に名を知られ,17年以来コーネル大学教授。22年刊行の《独立宣言--政治思想史の一研究》は,独立宣言研究の古典となったが,最近,アメリカ独立革命へのロックの影響を過大評価したと批判されている。ベッカーは,その流麗な文体で有名であり,またよき教育者でもあった。
執筆者:斎藤 真
ベッカー
Oskar Becker
生没年:1889-1964
ドイツの哲学者。1931年以来ボン大学教授を務めた。フッサール,ついでハイデッガーの影響下に,数学を営む人間のあり方を究めようとしていたが,第2次大戦後は現象学をはなれ,おもに様相論理学および数理哲学の分野で活躍した。美学にも深く関与,現象学派時代の《美のはかなさと芸術家の冒険性》(1929)は,小論ながら美特有の存在性格を鮮やかに語り,あわせて芸術家の実存の危うさを鋭く解明した卓説である。
執筆者:細井 雄介
ベッカー
Carl Heinrich Becker
生没年:1876-1933
ドイツのイスラム研究者,政治家。ハンブルク植民地研究所およびボン大学の教授を経て,1916年にプロイセン文部省に入り,後に文部大臣として教育行政に携わった。イスラム研究者としては1910年刊の学術誌《イスラム》の創刊に関与し,《イスラム研究》2巻(1924-32)の多くの論考において初期イスラムの社会・政治史的解釈を行った。ほかにイスラム期のエジプト史の研究がある。
執筆者:矢島 文夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ベッカー
生年月日:1889年9月5日
ドイツの哲学者,美学者
1964年没
ベッカー
生年月日:1785年5月21日
ドイツの古典学者
1871年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報