精選版 日本国語大辞典 「ベッサラビア」の意味・読み・例文・類語
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ヨーロッパ東部、ともに黒海に注ぐドニエストル川とプルート川に挟まれた歴史的地域。面積約4万5000平方キロメートル。ルーマニア語名バサラビアBasarabia。「ベッサラビア」は英語名。モルドバ共和国の大部分を占めるが、歴史的な係争地域で、住民の3分の2弱がルーマニア人(旧ソ連では独自の「モルダビア人」だとしていた)、残りはウクライナ人、ロシア人などである。中心都市キシニョフ。14世紀にルーマニア人が建国したモルダビア公国の一部となったが、16世紀にはモルダビアとともにオスマン・トルコの宗主権下に入った。トルコは1812年のブカレスト条約によってベッサラビアをロシアに割譲。1917年のロシア革命後、同地は混乱に陥ったが、18年4月に同地のルーマニア人の評議会(スファト)は、進攻してきたルーマニア軍を背景にルーマニアとの合併を決議した。ソ連はそれに強く抗議し、39年の独ソ不可侵条約でドイツの了解を得たうえで40年6月に最後通牒(つうちょう)を発し、ルーマニアから同地を奪還。第二次世界大戦時に枢軸側にたったルーマニアが同地を奪ったが、戦争末期にソ連が回復した。1960年代に入って、歴史論争の形でベッサラビアをめぐる両国の抗争が再燃した。
[木戸 蓊]
ドニエストル川,プルート川,ドナウ川,黒海に囲まれた地域。ドナウ河口に領土を広げたワラキア公バサラブ(在位1310頃~52)の名前に由来。14世紀後半以降モルドヴァ公国領。1812年ロシア‐トルコ戦争後のブカレスト条約でロシア領に編入され州となった。56年パリ条約で南部はモルドヴァに割譲されたが,78年ベルリン条約で再びロシア領となった。1918年ルーマニアとの合併が宣言されたがソ連は認めず,40年ソ連が併合。第二次世界大戦中一時ルーマニア領となったが,ソ連が再併合。南部はウクライナ領となり,残る地域はドニエストル左岸地域を加えモルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国となり,91年モルドヴァ共和国として独立。モルドヴァ人とロシア人あるいはトルコ系民族ガガウズ人の間で対立が表面化。
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…ドイツに信任のあついアントネスクが国家指導者となり,やがて日独伊三国同盟に加盟した。この間40年6月にソ連はルーマニアに最後通牒を送り,ベッサラビアと北ブコビナを領有,ブルガリアも南ドブロジャを領有,またドイツ,イタリアのウィーン裁定によってトランシルバニア北部がハンガリーに与えられた。第2次大戦が始まると,41年6月ルーマニアは対ソ戦に参加したが,国内では労働者や知識人による反戦運動が起き,44年8月ソ連軍がルーマニア領土への反攻を開始したのに呼応して,戦争からの離脱工作があわただしく行われた。…
※「ベッサラビア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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