ベトナム独立同盟会の略称。インドシナ共産党(現,ベトナム共産党)第8回中央委員会(1941年5月)の決議に基づき,1941年5月19日,フランスおよび日本に対する民族解放の戦いに各階層,党派,大衆団体に属する人民を広範に結集させるために設立された統一戦線組織。ベトミンに参加する大衆団体には,国を救うことを重要な目的とする意味で,例えばベトナム労働者救国会,ベトナム農民救国会,ベトナム婦人救国会などのように,その団体名に救国会の3文字がつけられた。ベトミンの組織には,まず全国的な活動を指導するベトミン本部があり,その下にベトナムの北部,中部,南部の活動を指導する各執行委員会があり,以下,村のレベルまでの各レベルに執行委員会が存在した。そして,この各レベルの組織が下級は上級に従わなければならないという縦の関係で結ばれていた。目標である独立の達成までの具体的政策としては,政治面では普通選挙の実施,言論,思想の自由などの民主的諸権利の保障を要求し,軍事面では民衆を武装させる一方,革命根拠地の形成を進めた。また経済面では帝国主義の経済支配の打倒と封建的搾取関係の一定の制限をめざした。ベトミンはその設立当初からインドシナ共産党の直接指導を受けていたが,党とは別に上記の諸政策を宣伝,実施するために独自に中央機関紙《キュークオック(救国)》や各地方レベルの宣伝・扇動機関紙,さらに雑誌なども発行して,広範な大衆の参加,支持を得た。そして,その勢力は45年の八月革命成功の原動力となった。45年9月2日,ホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言したのちもベトミンは活動を継続したが,のちにベトミンの革命的伝統はベトナム国民連合会(1946年5月創立)を経て,ベトナム祖国戦線(1955年9月創立)に引き継がれた。
→インドシナ戦争
執筆者:五島 文雄
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越盟。ベトナム独立同盟Viet Nam Doc Lap Dong Minhの略称。1941年5月のインドシナ共産党第8回中央委員会決定に基づいて結成された民族統一戦線。目的はインドシナのあらゆる勢力を結集して帝国主義を打倒し、インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)の独立を達成することで、それ以降、反日・反仏闘争を展開、日本軍の敗北後は抗仏闘争の支柱となり、インドシナの独立と解放に中心的役割を果たした。
[丸山静雄]
『アジア・アフリカ研究所編『ベトナム』上下(1977・水曜社)』▽『石山昭男著『ベトナム解放戦史』(1977・三省堂)』
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…1945年3月,日本軍はクーデタによってフランス勢力を倒し,かわってベトナムのバオダイ帝,カンボジアのシアヌーク王,ラオスのシー・サワン・ウォン王を擁立して独立させた。同年8月日本軍が降伏するや,ベトナムでは反日抵抗組織ベトナム独立同盟会(ベトミン)が,インドシナ共産党の主導の下に各地でバオダイ政権からの奪権闘争を行い,9月2日ベトナム民主共和国を樹立した。一方,ラオスでは反仏組織ラオ・イッサラ(自由ラオス),カンボジアではソン・ゴク・タンSon Ngoc Tanh首相らが中心となって,3月の独立が再確認された。…
…しかし38年に大弾圧を受け,地下に潜った。 40年日本軍がインドシナに進駐するや,共産党はバクソン蜂起によって軍事組織をつくる一方,翌年ベトミン(ベトナム独立同盟会)を結成して,日・仏二重支配に抵抗した。45年三・九クーデタにより日本軍はフランス領インドシナを解体し,バオダイ帝の独立を認めたが,もはや封建王朝ではベトナム人の支持を得られなかった。…
※「ベトミン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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