コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ベルリングエル ベルリングエル Berlinguer, Enrico

2件 の用語解説(ベルリングエルの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベルリングエル
ベルリングエル
Berlinguer, Enrico

[生]1922.5.25. サルジニア,サッサリ
[没]1984.6.11. パドバ
イタリアの政治家。家系は貴族。父は下院議員,上院議員をつとめた自由主義者。 1943年共産党入党。第2次世界大戦中は地元サッサリで,解放後はミラノローマ共産主義青年同盟の組織づくりに専念した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ベルリングエル
べるりんぐえる
Enrico Berlinguer
(1922―1984)

イタリアの政治家、共産党指導者。サルデーニャ島のサッサリの名家に生まれ、元代議士で反ファシストの父と、とりわけ叔父の影響で高校時代から社会的関心をもち、サッサリ大学在学中の1943年に共産党に入党。翌1944年サッサリにおける反ファシズム暴動の首謀者として逮捕、投獄された。釈放後トリアッティに師事し、その直系の弟子として中間派幹部の道を歩むことになる。1945年末の第5回党大会で中央委員に抜擢(ばってき)され、1948年の第6回大会では指導部員に推挙され、一時期その任にあった。最初の党活動はおもに青年運動であって、共産主義青年同盟書記長(1949~1956)、世界民主青年連盟議長(1950~1952)を務めた。1957年にサルデーニャ州党委員会の副書記になり、翌1958年、中央委員会の書記局に移り、1960年の第9回大会で指導部員に復帰し、1969年の第12回大会でロンゴ書記長の下で副書記長となり、1972年の第13回大会以降書記長を務めた。1973年秋チリ反革命の教訓に学んで、左翼勢力とカトリック勢力の提携を求める歴史的妥協路線を提唱し、党内外の反響をよんだ。またチェコスロバキアへのソ連の軍事介入(1968)に抗議しただけでなく、翌1969年のモスクワ共産党会議で、主権の尊重と他国への内政不干渉の原則を主張し、ソ連共産党からの自主独立を求めるユーロコミュニズムの先駆けとなった。
 彼の提案は1970年代には国民に受け入れられ、1976年の総選挙では党の得票率は34.4%に達し、翌1977年マドリードにおけるフランス・イタリア・スペイン三国共産党の共同声明も複数政党制などとともに彼の主張を受け入れた。しかし1970年代末から1980年代初めにかけて彼を支えてきた内外の運動と状況が後退し、1983年の第16回大会では歴史的妥協路線は、社会党との左翼連合を目ざす民主的選択の路線に修正を余儀なくされた。それでも翌1984年の死に至るまで彼はユーロコミュニズムの旗手として声望を保ち続けた。[重岡保郎]
『エンリコ・ベルリングェル著、大津真作訳『先進国革命と歴史的妥協』(1977・合同出版) ▽山崎功著『エンリーコ・ベルリングェール』(1980・読売新聞社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ベルリングエルの関連キーワードサルジニア語ジニアサルジニアサルデーニャユニバーサルジョイントトルジニーコロナーダベレトルジニー宮殿バージニア・エスバージニア・スリム水谷まさる

今日のキーワード

カルテット

四重唱および四重奏。重唱,重奏の形態のなかで最も基本的なもので,声楽ではルネサンスの多声歌曲の形式であるシャンソンやフロットラから始り長い歴史をもつ。器楽も同様で,特に弦楽四重奏は室内楽の全レパートリ...

続きを読む

コトバンク for iPhone