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ペドロ Pedro

大辞林 第三版の解説

ペドロ【Pedro】

(一世)(1798~1834) ブラジル皇帝(在位1822~1831)。ブラジル独立の父。ポルトガル皇太子であったが、ナポレオン戦争中ブラジルに避難していたポルトガル王室が本国に帰還後も摂政として残り、1822年9月7日ブラジルの独立を宣言。ペドロ一世。
(二世)(1825~1891) ブラジル皇帝(在位1831~1889)。の子。奴隷貿易の禁止、奴隷解放宣言、コーヒー産業の育成など近代化に尽力。共和革命のためポルトガルに亡命し同地で死去。

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世界大百科事典 第2版の解説

ペドロ【Dom Pedro】

1392‐1449
ポルトガル王ジョアン1世の子。1415年のセウタ征服後,3年間ヨーロッパ各地を旅行し,見聞を広めた。38年兄王ドゥアルテの死により王妃レオノルが幼いアフォンソ5世の摂政についたが,翌年レオノルの摂政に反対するブルジョアジーの支持を受けてドン・ペドロが摂政についた。彼はそれまでの北アフリカ侵略政策から西アフリカ沿岸進出政策に転換し,43年弟エンリケ航海王子にボジャドール岬以南の航海交易の独占権を付与した。

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367日誕生日大事典の解説

ペドロ

生年月日:1392年12月9日
ポルトガル王ジョアン1世の子
1449年没

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世界大百科事典内のペドロの言及

【ポルトガル】より

…コルテス(身分制議会)が召集され,封建的諸特権,宗教裁判所の廃止,ブラジルの再植民地を決議した。 1821年リオ・デ・ジャネイロから急いで帰国したジョアン6世は新憲法を認めたが,ブラジルは摂政ドン・ペドロを擁立して独立を宣言した。26年ジョアン6世が没すると,ブラジル皇帝(ペドロ1世)となっていた王位継承者ドン・ペドロは,1822年の急進的な憲法を廃し,王権を強化した憲章を制定して王位をマリア2世に譲った。…

※「ペドロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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