ペドロ(英語表記)Dom Pedro

改訂新版 世界大百科事典 「ペドロ」の意味・わかりやすい解説

ペドロ
Dom Pedro
生没年:1392-1449

ポルトガル王ジョアン1世の子。1415年のセウタ征服後,3年間ヨーロッパ各地を旅行し,見聞を広めた。38年兄王ドゥアルテの死により王妃レオノルが幼いアフォンソ5世の摂政についたが,翌年レオノルの摂政に反対するブルジョアジーの支持を受けてドン・ペドロが摂政についた。彼はそれまでの北アフリカ侵略政策から西アフリカ沿岸進出政策に転換し,43年弟エンリケ航海王子にボジャドール岬以南の航海交易の独占権を付与した。翌年ポルトガルはギニア海岸まで進出するが,それと並行してマデイラ,アゾレス両諸島の植民を積極的に進めた。内政では王権による中央集権化に努め,46年ポルトガル最初の民法典〈アフォンソ法典〉を編纂・公布した。同年アフォンソ5世が成人に達したので,コインブラに引退したが,国王側近の陰謀によりアルファロベイラの戦で戦死した。彼の死後,再び北アフリカ侵略が始まり,大西洋進出政策は一時中断する。
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367日誕生日大事典 「ペドロ」の解説

ペドロ

生年月日:1392年12月9日
ポルトガル王ジョアン1世の子
1449年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のペドロの言及

【ポルトガル】より

…コルテス(身分制議会)が召集され,封建的諸特権,宗教裁判所の廃止,ブラジルの再植民地を決議した。 1821年リオ・デ・ジャネイロから急いで帰国したジョアン6世は新憲法を認めたが,ブラジルは摂政ドン・ペドロを擁立して独立を宣言した。26年ジョアン6世が没すると,ブラジル皇帝(ペドロ1世)となっていた王位継承者ドン・ペドロは,1822年の急進的な憲法を廃し,王権を強化した憲章を制定して王位をマリア2世に譲った。…

※「ペドロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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