ペローフ(英語表記)Perov, Vasilii Grigor'evich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペローフ
Perov, Vasilii Grigor'evich

[生]1834.1. トボリスク
[没]1882.6.10. モスクワ
ロシアの画家。パーベル・A.フェドートフの弟子で移動展派に属した。民衆の生活を主題として中産階級を風刺し,下層階級の悲惨な状況を描いたが,晩年の作品は風俗画,肖像画,歴史画などが多い。主要作品はトレチヤコフ国立美術館所蔵の『村の復活大祭の十字架行進』(1861),『野辺の送り』(1865),『関所のそばの最後の居酒屋』(1868)など。(→ロシア美術

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百科事典マイペディアの解説

ペローフ

ロシアの〈移動展派Peredvizhniki〉の主要な画家。トポリスク生れ。1862年―1864年にパリに滞在,クールベの影響を受け,帰国後民衆生活に取材した風俗画的作品をおもに描いた。代表作は《トロイカ》(1866年,モスクワ,トレチヤコフ美術館蔵),《関所のそばの最後の居酒屋》(1868年,同美術館蔵)など。《ドストエフスキーの肖像》(1872年,同美術館蔵)などの肖像画もある。
→関連項目トレチヤコフ美術館

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世界大百科事典 第2版の解説

ペローフ【Vasilii Grigor’evich Perov】

1834‐82
ロシアの画家。〈移動展派〉の主要作家。地主や聖職者をテーマに,社会の実態と下層階級の悲惨さを訴えた。1862‐64年をパリで過ごす。帰国後,進歩思想の弾圧の中で,悲惨な運命を担う人々の姿を,同情的に描いた風俗画や進歩的な思想家たちの肖像画を制作した。【浜田 靖子】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペローフ
ぺろーふ
Василий Григорьевич Перов Vasiliy Grigor'evich Perov
(1833―1882)

ロシアの画家。トボリスクに生まれたが、生年については34年説もある。アルザマスとモスクワの美術学校に学び、美術アカデミーの留学生としてパリで勉強した。学生時代から社会的関心の強いテーマを描いていたが、『村の復活祭の聖行列』(1861)、『ムイチシチ家の茶会』(1862)では当時のロシア農村の現実がきわめて的確に描かれている。政治情勢の変化とともにその主題も先鋭化し、『葬式』(1865)、『トロイカ』(1866)、『溺死(できし)した女』(1867)、『関門わきの居酒屋』(1868)などはドストエフスキー文学の世界に通ずるものがある。また、肖像画家としても優れ、『オストロフスキー』(1871)、『ドストエフスキー』(1872)、『ダーリ』(1872)(以上いずれもモスクワ、トレチャコフ美術館)などが有名。晩年は後進の指導にあたり、カサートキン、コロービン、ネステロフ、リャーブシキンらを育てた。[木村 浩]

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世界大百科事典内のペローフの言及

【ロシア・ソビエト美術】より

…さらに19世紀中期には,A.A.イワーノフのような国民の意識改革を促す者も現れた。1850年代末から60年代は,専制政治下の社会批判を含む傾向が強まり,V.G.ペローフのように絵筆により社会の最下層階級の悲哀を訴える画家たちの登場を見る。1870年,進歩的思潮に影響されアカデミズムとの決別を宣言して生まれた移動展派の画家たちは,ロシア的写実主義を完成するとともに,絵画を通じ鋭い社会批判を行った。…

※「ペローフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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