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ホイットラム Whitlam, Gough

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ホイットラム
Whitlam, Gough

[生]1916.7.11. キュー
[没]2014.10.21. シドニー
オーストラリアの政治家。首相(在任 1972~75)。フルネーム Edward Gough Whitlam。1938年シドニー大学を卒業。第2次世界大戦中,数年間空軍に所属した。1946年に法律の学位を取得,1947年に法廷弁護士となった。1952年に連邦下院議員に当選,1967年にオーストラリア労働党の党首に就任。1972年に労働党が政権を握ると,徴兵制を廃止し,アジアからの移民に門戸を開き,オーストラリア先住民(アボリジニ)の権利を拡大し,国歌を承認した。外交面では,アメリカ合衆国への依存の解消に尽力した。しかし,行政上の失態やインフレーション,失業などの解決に苦労し,1975年の半ばには議会の支持を失った。新たな選挙の実施を拒否し,1975年11月にジョン・カー連邦総督に罷免された。1978年議員を辞職。1978年コンパニオン勲章を授与された。

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百科事典マイペディアの解説

ホイットラム

オーストラリアの政治家メルボルンに生まれ,シドニー大学文学部および法学部卒業。1952年労働党連邦下院議員になり,1967年党首に就任,保守退潮に乗じて,1972年党首として3度目の総選挙で勝利し,23年ぶりの労働党政権を誕生させた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ホイットラム【Edward Gough Whitlam】

1916‐
オーストラリアの政治家。メルボルン生れ。シドニー大学文学部および法学部卒業。1952年労働党連邦下院議員に,67年同党党首となり,平党員の発言力を強めて左右両派の分裂を防ぎ,社会各層の要求にアピールする政策を打ち出した。72年党首として3度目の総選挙で23年ぶりに労働党政権を樹立した。首相就任後ただちにベトナム撤退,徴兵制廃止,中国承認,フランスの南太平洋核実験の国際司法裁判所への提訴と,リベラルな面で実績をあげた。

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世界大百科事典内のホイットラムの言及

【オーストラリア】より

…65年のベトナム派兵は国内に反戦運動を引き起こし,アメリカから入ってきたカウンターカルチャー(対抗文化)的雰囲気を助長することになった。
[ホイットラム政権の輝きと70年代]
 前述のように60年代には東ヨーロッパ,中東からの移民,難民が増え,例えばメルボルンがアテネ,ニューヨークに次ぐ世界第3位のギリシア人人口を擁するなど,オーストラリアは多民族社会化して,古い体制を打破する荒ごなしが行われた。1967年には国民投票による憲法修正で,アボリジニーに公民権が与えられた。…

※「ホイットラム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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