ホット・マネー(読み)ほっとまねー(英語表記)hot money

翻訳|hot money

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホット・マネー」の意味・わかりやすい解説

ホット・マネー
ほっとまねー
hot money

国際間を転々として移動する浮動的な短期資金のことをいい、1935年にアメリカ大統領F・D・ルーズベルトが用いて以来一般に使用されるようになった。国内の政治・通貨不安を避ける目的で行われる資金移動(資本逃避)と、国際間の金利差や為替(かわせ)相場の変動を見越して為替差益をねらう投機的な移動とがあるが、ともに外国為替市場、金融市場、さらには相場商品市場を攪乱(かくらん)させる機能をもつ。

 金本位制が崩壊し、通貨に対する信頼感が失われてから、国際間にはこのような不安定な資金移動がきわめて活発になった。その対策として採用されたのが為替平衡資金(アメリカ流では為替安定基金、イギリス流では為替平衡勘定)の設置と為替管理によって、この種の資金移動を規制することであった。

 第二次世界大戦後、国際通貨基金IMF)はこの種の資金移動について加盟国に対策を要請したが、正常な資金移動との区別がむずかしく、貿易・為替の自由化につれてふたたびこの種の資金移動が激化した。とくに1970年代以降は、オイル・ダラーユーロ・ダラーの激増に伴って資金源が豊富になったことを契機に、年代を経るごとに、ますます影響力が増大し、国際的な通貨・金融危機の引き金になっている。その原因は、主として次の点にある。

(1)1971年のニクソン・ショックによりIMF体制が崩壊し、国際収支均衡への節度から開放されたアメリカが経常収支赤字を続け、海外にドルをばらまいたため、世界的な過剰流動性状態にあること
(2)先進国さらには開発途上国へと、為替管理、資本取引の自由化が進展し、国際資本移動が容易になったこと
(3)情報化の進展と金融技術の発展によって、国際的に巨額の金融取引が瞬時に行えるようになったこと。とりわけ、デリバティブの登場によって、少額の資金で大きな取引が可能になり、市場への影響力が飛躍的に増大したこと
 この結果、1992年のヨーロッパ通貨危機、1994年のメキシコ通貨危機、1997年のアジア通貨危機およびロシア等への伝播(でんぱ)、1999年のブラジル通貨危機、2001年のアルゼンチン通貨危機、2008年までの原油等資源価格の急騰およびその後の暴落、世界金融危機直後の国際流動性の逆流等において、ホット・マネーの動きが多大な影響を与えている。

 近年では、ホット・マネーというとヘッジファンドがとくに注目されているが、その資金力はアジア通貨危機当時には、3000のファンドで約3700億ドル(ヘッジ・ファンド・リサーチ調べ)、今日でも多数のファンド全体で、1兆5000億~2兆ドルといわれており、ひとつひとつはさほど大きくはない。むしろ、アジア通貨危機においてみられたように、アメリカ人投機家ジョージ・ソロスGeorge Soros(1930― )が率いるヘッジ・ファンドなどが少額の資金で多額の先物アジア通貨売りをしたことを機に不安が高まり、海外商業銀行の短期貸付金の回収や新規貸付の手控え、アジアの国内資金の逃避が起こったことが重要である。何かを契機にした期待や不安の高まりが、大量のホット・マネーの移動を引き起こしているということである。

[土屋六郎・中條誠一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホット・マネー」の意味・わかりやすい解説

ホット・マネー
hot money

国際間を浮動するきわめて不安定な短期資金。アメリカの F.ルーズベルト大統領が 1935年に初めて用いた言葉といわれるが,国際金融用語として一般化している。 1930年代には各国の金本位制離脱が相次ぎ,国際的通貨不安が極度に高まった。こうした状況のなかで安息地を求めて浮動する短期資金が激増し,国際通貨不安を一段と増幅することとなった。第2次世界大戦後の国際通貨基金 IMFは,こうしたホット・マネーの跳梁を阻止するためのものであったが,50年代の末頃から為替管理の自由化が進むなかで,再び短期的浮動資金の動きが活発になった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報