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ホベリャノス

百科事典マイペディアの解説

ホベリャノス

スペインの政治家,著述家マドリード刑事裁判所長を経て,1797年ゴドイのもとで法相就任。1801年ゴドイと対立して投獄されたが,反ゴドイのアランフエス蜂起の際釈放された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ホベリャノス【Gaspar Melchor de Jovellanos y Ramírez】

1744‐1811
スペインの政治家,著述家。セビリャ,マドリードで裁判官を経て,1797年カルロス4世の宰相ゴドイの下で法相に就任。産業振興の立案に従事,〈農業法の報告〉〈公民教育計画作成の基本案〉などで啓蒙的な改革を主張してゴドイと対立し,アストゥリアスへ追放されたあと,1801年投獄された。08年皇太子フェルナンド(即位して7世)のアランフエス蜂起で釈放される。フランス軍が侵入すると最高中央評議会に参加し,カディスからヒホンへ赴き,対仏戦に従軍中に病のため没した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ホベリャノス
ほべりゃのす
Gaspar Melchor de Jovellanos
(1744―1811)

スペイン啓蒙(けいもう)主義を代表する作家、政治家。セビーリャとマドリードで司法畑の役職を経験したのち司法大臣となる。しかしその進歩主義思想が災いして、寵臣(ちょうしん)ゴドイの不興を買ってマジョルカ島に軟禁される。ナポレオン軍侵入の際、釈放されて内務大臣の椅子(いす)を提供されるが断り、反フランス的な中央評議会の一員となって国民議会を招集、フランス軍に追われて逃げる途中没する。彼は一時代前のフェイホーよりもさらに具体的な提案、たとえば『農地法に関する報告書』(1795)や『公民教育の一般計画』(1809)などをもって、当時のスペインの後進性からの脱却を主張した。彼はまた戯曲『誠実な罪人』(1774)、高雅な叙情の『ファビオよりアンフリソへの書簡』を書いたが、結局は三巻に及ぶ『日記』(公刊は1915)により時代の証言者として歴史に名をとどめている。[佐々木孝]

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世界大百科事典内のホベリャノスの言及

【スペイン文学】より

…そして文学も啓蒙主義,および17世紀フランスの古典主義にならった教条的な新古典主義に支配されたため,自発性を主柱とするスペイン精神の奔放な飛翔は抑制され,独創的な作品はほとんど生まれなかった。こうした時代精神を反映して,創作よりも文学批評やエッセーが前面に現れてくるが,この期を代表する作家が,膨大な《世界の批判的提示》で科学・哲学・文学などの広範な知識を整理したB.J.フェイホーであり,《大衆教育の一般計画》などの著作でスペインが直面していた諸問題と情熱的に取り組んだ文人政治家G.M.deホベリャノスである。新古典主義演劇の分野ではL.F.deモラティンの《娘たちの“はい”》がほとんど唯一の傑作である。…

※「ホベリャノス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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