ホームズ(読み)ほーむず(その他表記)Arthur Holmes

デジタル大辞泉 「ホームズ」の意味・読み・例文・類語

ホームズ(Sherlock Holmes)

コナン=ドイルの一連の推理小説主人公である私立探偵の名。博学で体術の心得もあり、常に冷静な推理を行う。相棒であるジョン=ワトソン医師と共に、ロンドンベーカー街に住む。シャーロック=ホームズ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホームズ」の意味・わかりやすい解説

ホームズ(Arthur Holmes)
ほーむず
Arthur Holmes
(1890―1965)

イギリス地質学者。ニューカッスル・アポン・タインに近いヘッバーンに生まれる。ロンドン大学インペリアル・カレッジ卒業後、ダラム大学教授、エジンバラ大学教授を歴任した。1914年、地球年齢の推定に鉛同位体比を利用することを考察し、放射年代学を創始した。また、大陸移動説の説明としてマントル対流説を提唱し、プレートテクトニクスの先駆者となった。火成岩および変成岩の岩石学においても、数々の業績を残した。主著『一般地質学』(1944)は、地球科学のあらゆる分野の人々に愛読され、高い評価を受けている。

[橋本光男]


ホームズ(Oliver Wendell Holmes、法律家)
ほーむず
Oliver Wendell Holmes
(1841―1935)

アメリカの同姓同名の医師・随筆家(1809―1894)の子で、著名な法律家ハーバード大学卒業(1861)、南北戦争(1861~1865)に参戦、のちに弁護士となった(1867)。『アメリカン・ロー・レビュー』誌の編集(1870~1878)等に携わり、『コモン・ロー』(1881)という著作のなかで自己の思想を体系化した。ハーバード大学で法律学を講じた(1882.9~12)のち、マサチューセッツ最高裁の判事(1882~1899)、同長官(1899~1902)を歴任、1902年には合衆国最高裁の判事に任命され、1932年まで活躍した。裁判官としては、アメリカの歴史に残る数々の判決のなかで合衆国最高裁の保守的な態度を批判し、自己の意見を堂々と述べたので、「偉大な少数意見者」との異名をとった。しかし、彼の少数意見のなかにはのちに多数意見として影響力をもつに至ったものも少なくない。著書としては、前掲のほか、『法律論文集』(1920)などがある。

堀部政男


ホームズ(Oliver Wendell Holmes、医学者、随筆家)
ほーむず
Oliver Wendell Holmes
(1809―1894)

アメリカの医学者、随筆家。母校ハーバード大学で解剖学・生理学教授のかたわら、知的ユーモアと軽い詩情で愛された『朝食テーブルの独裁者』(1858)をはじめとするエッセイや小説を残したが、その社会的無関心をJ・R・ローウェルに批判されたこともある。今日の評価は低い。ケンブリッジの名門の家に生まれてエリートとして育ったホームズにとっては、奴隷問題もメキシコ戦争も、移民やスラムの問題も、差し迫った問題ではなかったのである。

[後藤昭次]


ホームズ(シャーロック・ホームズ)
ほーむず

シャーロック・ホームズ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホームズ」の意味・わかりやすい解説

ホームズ
Holmes, Oliver Wendell

[生]1841.3.8. ボストン
[没]1935.3.6. ワシントンD.C.
アメリカの法律家。同名の父ホームズは医師で詩人としても高名。 1861年にハーバード大学卒業,同年に始った南北戦争には北軍に属して従軍。 67年ボストンで弁護士となる。やがて法律雑誌などの編集にたずさわったり,みずから論文を発表して活躍,とりわけ 81年に公刊した『コモン・ロー』 Common Lawは多大の反響を呼んだ。同書冒頭の「法の生命は論理ではなく経験であった」という言葉は,法に対する彼のアプローチの本質を示すものである。 82年,母校の教授となったが,その後3ヵ月でマサチューセッツ州最高裁判所裁判官となり,1902年には合衆国最高裁判所裁判官に任命された (1902~32) 。法に絶対的なものはありえないとする彼の基本的見解は,社会経済立法に対しては寛大な態度をとらせ,同時に他方では「思想の自由市場」論を打出して,精神的自由の保全に格別の努力を払うところとなった。現代アメリカ法の展開は彼の思想および活動に負うところが少くない。 (→明白かつ現在の危険 )  

ホームズ
Holmes, Oliver Wendell

[生]1809.8.29. マサチューセッツ,ケンブリッジ
[没]1894.10.7. ボストン
アメリカの医師,詩人,ユーモア作家。ハーバード大学で法律を学んだが,のち医学に転じ,1833~35年パリに留学し,36年ハーバードから学位を得,開業したのち,47~82年母校の解剖学と生理学の教授をつとめた。 43年に産褥熱が細菌の感染による伝染性のものであることを発表,これは医学史で伝えられているゼンメルバイスの 47年の同じ報告より4年早い。かたわら文筆に親しみ,57年 J.R.ローエルらと『アトランティック・マンスリー』 The Atlantic Monthly誌を創刊。ユーモアとウイットに富んだ詩と随筆を得意とし,随筆集に『朝の食卓の独裁者』 The Autocrat of the Breakfast-Table (1858) などの「朝の食卓」シリーズがある。

ホームズ
Holmes, Arthur

[生]1890.1.14. ダラム,ヘバーン
[没]1965.9.20. ロンドン
イギリスの地質学者,岩石学者。ロンドン・インペリアル・カレッジで物理学を修めたのち,ロイヤル・カレッジで地質学を学ぶ。モザンビーク探検に参加。ダラム大学教授 (1924~43) 。エディンバラ大学教授 (43) 。 1911年岩石中の放射性物質により地質年代測定の可能性を示唆し,絶対年代に基づく地質年代研究分野を開拓。また大陸移動や褶曲山脈の成因として,マントル対流説を提唱した。主著『一般地質学』 Principles of Physical Geology (44) 。

ホームズ
Holmes, William Henry

[生]1846.12.1. オハイオ,ハリソン
[没]1933.4.20. ミシガン,ローヤルオーク
アメリカの考古学者,美術研究者。スミソニアン・インスティテューションのアメリカ考古・人種部局の主任研究員 (1902~09) ,アメリカ自然史博物館主任研究員 (10~20) ,ナショナル・ギャラリー館長 (20~32) を歴任。おもに北・中央アメリカの考古学調査を行い,多くの研究書,報告書を著わした。主著『古代アメリカ入門』 Handbook of Aboriginal American Antiquities (19) 。

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百科事典マイペディア 「ホームズ」の意味・わかりやすい解説

ホームズ

米国の法学者,弁護士。1902年―1932年連邦最高裁判所判事。随筆家O.W.ホームズの子。進歩的な法解釈で言論の自由の擁護などに活躍した。実定法規範を技術的体系とみ,それが裁判所によって実現されるかどうかに法の実定性の根拠をおいた。主著《コモン・ロー》など。
→関連項目カードーゾープラグマティズム法学ブランダイス

ホームズ

米国のエッセイスト。医師でもあり,ハーバード大教授も務めたが,軽妙なエッセー集《朝食テーブルの独裁者》(1858年)《朝食テーブルの教授》(1860年)《朝食テーブルの詩人》(1872年)で知られる。他に小説,詩,評伝など。同名の息子は高名な法律家。
→関連項目ホームズ

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