大陸移動説(読み)タイリクイドウセツ

デジタル大辞泉 「大陸移動説」の意味・読み・例文・類語

たいりくいどう‐せつ【大陸移動説】

古生代後期まで一つの大陸塊(パンゲア)をなしていたものが、分裂し移動して現在の位置に至ったという説。1912年にドイツのウェーゲナーが提唱。1950年代以降、古地磁気学などの進歩により見直され、海洋底拡大説プレートテクトニクスに発展。大陸漂移説

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精選版 日本国語大辞典 「大陸移動説」の意味・読み・例文・類語

たいりくいどう‐せつ【大陸移動説】

  1. 〘 名詞 〙 地球上の大陸は、かつては一つあるいは二つの大陸であったが、地質時代に分裂、かつ移動して、現在の状態になったとする説。ドイツの科学者ウェゲナー(Alfred Lothar Wegener)が提唱。現在では、プレートテクトニクス説に総合されている。大陸漂移論。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大陸移動説」の意味・わかりやすい解説

大陸移動説
たいりくいどうせつ

大陸が水平方向に移動することによって、大陸どうしの相対的位置関係が時代とともに変わるという説。大陸漂移説ともいう。今日では、プレートテクトニクス理論のなかに組み入れられている。

 この説を初めて体系的に展開したのは、ドイツ人気象・地球物理学者ウェゲナーである。彼は1912年に大陸移動に関する二つの学会講演を行ったのち、1915年に『大陸と海洋の起源』を著して大陸移動説を世に発表した。この本は、その後新たなデータを加えつつ、1929年の第4版まで出版された。深海によって遠く隔たれている大陸どうしの間に、かつて陸地のつながりがあったという古生物学的な証拠は、20世紀初頭にはすでに多数知られていた。その陸地のつながりの実態を説明するものとしては、現在深海となっている地域に、かつて、大陸もしくは大陸どうしを結ぶ細長い陸地があったという考え(陸橋説)が当時は主流であった。ウェゲナーは、陸地のつながりを、陸橋説ではなく、現在遠く隔たれている大陸がかつては接合していたと考えることによって説明しようとしたのである。ここにウェゲナーの学説の新しさと鋭さがあった。

[伊藤谷生]

ウェゲナーの移動説

ウェゲナーによれば、古生代末期には地球上には巨大な大陸(彼はこれをパンゲアPangaeaとよんだ)があって、これがその後分裂し水平方向に移動して現在のような大陸の配置になったのである(図A)。彼がこうした大陸の移動を思い付いた端緒は、大西洋の両岸の海岸線の凹凸がよく合致することであるが、それを科学的な体系にまで高めるうえで、いくつかの重要なステップがあった。

 その第一は、古生物学的証拠を含めて大陸の連結を示す多数の事実を吟味し、大陸の分裂と移動を明快に示したことである。もっとも有名なものに、古生代後期の石炭紀からペルム紀(二畳紀)の大陸氷河の問題がある。この大陸氷河は、アフリカ南部、南アメリカ、オーストラリア、インドに分布するが、現在の諸大陸を図Aの(1)のように集めれば、大陸氷河の分布域は、アフリカ南部を中心として半径30度以内に収まる(図B)。ここを当時の南極とすると、大陸氷河の分布はきわめて合理的に説明される。さらに、当時の赤道はヨーロッパ大陸の中・南部を通ることになるが、実際そこでは熱帯の泥炭(トロピカルピート)沼地の植物遺骸(いがい)からつくられた大量の石炭が分布する。

 第二は、大陸と深海底の関係にアイソスタシーの原理を導入したことである。地球表面の高度の出現頻度を調べると、大陸と深海底のそれぞれに対応して二つの極大をもつ曲線が描かれる。このことと、アイソスタシーの原理を結び付けると、相対的に軽い大陸塊が深海底をつくる重い物質の中に浮かんでいるということになる。したがって、大陸どうしを結び付けていた大陸もしくは陸橋が沈んで深海底となることを主張する陸橋説は、アイソスタシーと矛盾するので退けられなければならない。こうして、大陸は深海底をつくる物質の上に浮きながら、水平方向に移動するとウェゲナーは主張した。

 ウェゲナーの大陸移動説は、しかしながら移動の原動力を説明できなかったために、1930年代になると下火となった。それでも、スイスのアルガンE. Argand(1879―1940)、南アフリカのデュ・トワA. L. du Toit(1878―1948)、イギリスのホームズなどの少数の研究者が、大陸移動説に基づく造山運動論や移動のメカニズムについての研究を発展させていた。

[伊藤谷生]

大陸移動説の復活

1950年代後半、古地磁気学の進歩に伴い、世界各地で地質時代の極の位置が決められるようになってきた。そして、測定した地域を固定した場合、極の位置が時代とともにどのように移動したかを示す極移動(極漂移)曲線が描かれ始めた。こうして求められたヨーロッパ大陸および北アメリカ大陸についてそれぞれの極移動曲線を比べると、両者が系統的にずれていることがわかる。そこで、ウェゲナーがいうように、かつて大西洋が閉じていたとして、両大陸を移動させると、二つの曲線はほぼ一致する。このことから、イギリスのアービングE. Irving(1927― )とランコーンS. K. Runcorn(1922―1995)は、二つの曲線の系統的なずれを大陸移動によるものと考えたのである。こうして、大陸移動説は、ウェゲナーの時代とは別の新しい事実によって劇的な復活を遂げた。

 さらに、海洋底に関する地学的研究の著しい進捗(しんちょく)に基づいて、アメリカのヘスおよびディーツによる海洋底拡大説が1960年代初めに提出され、1960年代後半にはプレートテクトニクス理論が登場する。今日の段階からみれば、ウェゲナーの大陸移動説のなかには間違っている部分もあるが、大陸の水平移動と、それによる相対的位置関係の変化という根本的思想は、プレートテクトニクス理論の一部を構成している。なお、現在では、人工衛星を用いた測量技術によって、大陸移動を直接測定できるようになった。

[伊藤谷生]

『A・ヴェーゲナー著、都城秋穂・紫藤文子訳『大陸と海洋の起源』全2冊(岩波文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「大陸移動説」の意味・わかりやすい解説

大陸移動説 (たいりくいどうせつ)
continental drift theory

大西洋両岸の海岸線の一致,古い地層や動植物の分布,古気候(氷河や石炭層,サンゴ礁などの分布),造山運動の成因などを説明するのに,アジア・ヨーロッパ(ユーラシア),アフリカ,南北アメリカ,インド,オーストラリアなどの諸大陸はその形や面積を大きくは変えないままで地表を水平に移動したと仮定して統一的に説明しようとする学説。ドイツのA.L.ウェゲナーが1912年に二つの論文として発表し,15年に《大陸と海洋の起源》と題する本として出版したのが本格的な学説としてとりあげられた最初とされる。 大西洋の両岸の海岸線の形がよく似ていることは1620年にイギリスの哲学者F.ベーコンによって指摘されていたが,長い間これは聖書に記された大洪水によって削られてできたと考えられていた。1858年に発表されたA.シュナイダーの考えは現代の大陸移動説や海洋底拡大説に近いところがあったが,天変地異観をぬけ出ていなかった。彼は大洪水に際して地球内部から大量の物質が湧き出して,大陸を裂き,東西に押し広げて大西洋をつくったとした。

 ウェゲナーの大陸移動説は実証的立場に立つ。大西洋をへだてた南北アメリカ,ユーラシア,アフリカばかりかインド,南極大陸などが,約3億年前の石炭紀には一つにまとまって単一の超大陸パンゲアをつくっていたことを地質学,古生物学,古気候学などの資料から証拠だてようとした。今日まで大陸移動の証拠としてあげられているものに次のような事実がある。(1)石炭紀(約3億年前)の植物分布 たとえば,グロッソプテリスガンガモプテリスなどのシダ種子類の1属の化石は南アメリカとアフリカの南部,マダガスカル,インド,オーストラリア,南極大陸にわたって見いだされる。(2)二畳紀初期(2億8000万年前ころ)の淡水生爬虫類の一種メソサウルスの化石分布 南アフリカと南アメリカ南東部だけに産する。(3)現生動植物の分布 キツネザルやツパイなどの原猿類はマダガスカル島と対岸の東アフリカおよびスリランカ,インド,東南アジアに産する。カンガルーなどの有袋類はオーストラリアのほかにははるか海をへだてた南アメリカに産するのに,オーストラリア北方のスンダ列島には存在しない。植物では,たとえばブナ科ナンキョクブナ属は南半球にしか産せず,北半球には別種のブナ属が分布する。(4)石炭紀・二畳紀(2億4000万~3億6000万年前)の氷河分布 この時代には南極はもとより,オーストラリア南部や南アメリカ南東部のほか,現在では赤道直下にあるアフリカ北部や北半球のインドにまで大陸氷河が広がっていた証拠がある。前述のグロッソプテリス植物群もモレーンとともに産することが多く,極地寒冷気候を示す。(5)ジュラ紀(1億4000万~2億1000万年前)のサンゴ礁 北アメリカ東岸沿いには北緯45度のカナダ付近までサンゴ礁でできた化石が産出する。サンゴ礁は水温が約20℃以下では成長しないから,この事実はジュラ紀には北アメリカ東岸が現在よりもずっと赤道寄りに存在したことを示す。(6)アフリカと南アメリカの先カンブリア層(約20億年以上前)および北アメリカとアフリカとヨーロッパの古生層(2億~5億年前)の分布 パンゲア大陸の結合を考えるとうまくつながる。それに反し,2億年前以後の地層はつながらないものが多い。

 ウェゲナーはさらに,大陸が移動した背後にとり残された大陸の小片が,日本列島やカリブ海の島々のような島弧をつくったと考え,このような大陸移動は現在も進行中であると主張した。大陸移動のしくみとしては,軽い大陸がそれより密度の大きい物質の上に浮いていて,流氷が流れるように水平方向に動くのだと想像した。

 大陸移動説はイギリスのホームズArthur Holmes,南アのデュ・トアAlexanderhogie du Toit,オーストラリアのケアリーS.Warreu Careyらによって支持された。日本の寺田寅彦もウェゲナーの大陸移動説に共鳴し,本州日本海岸沿いに小さい島が特に多いことが日本海が開いた証拠であろうと考えた(1927年発表)。そして1928年には山形県の飛島(とびしま)と本州との距離を一定期間ごとに測定することでこの学説を実証することを測地学委員会に提案し,自身で現地調査を行った。また,大陸移動のモデル実験を試みている。

 大陸移動説の造山論への応用はスイスのアルガンÉmile Argand(1879-1940)によって推進された。彼は褶曲山脈の成因に対する地球収縮説に反対し,地殻の変形は大陸の水平運動から生じると主張した。

 大陸移動をひき起こす原動力については,地球回転の遠心力にもとづく〈避極力〉(大陸を両極から遠ざける力)と〈潮汐力〉(大陸に西方移動を起こさせる力)が考えられたが,多くの物理学者の反論をあびた。イギリスの天文・地球物理学者ジェフリーズHarold Jeffreys(1891-1989)は大陸移動説に対する強力な反対者の一人であった。

 大陸移動説に対する有力な証拠は1950年代初めころから古地磁気学によってもたらされた。イギリスのブラケットPatric Maynard Stuart Blackett(1897-1974)とランコーンS.Keith Runcorn(1922-95)の両グループは世界各地の各種の岩石の自然残留磁気を測定し,それらが大陸の緯度変化と回転の定量的な証拠であることを示した。インドの北上やイベリア半島の回転などがはっきり示された。ブラケットらは1960年にそれまでに得られた膨大な古地磁気データを統計的処理した結果,その信頼性を一段と高め,大陸移動説の確からしさをさらに強固なものにした。

 1960年代に入ると,海洋底拡大説と結びつけられて全世界的な大陸移動が約2億年前から現在までの各地質時代について詳しく議論できるようになった。また,大陸移動が海底の生成,移動,消滅に伴って移動する海底に乗って進行することがわかって,大陸移動の原動力についての最大の難関がとりのぞかれ,1970年代にはプレートテクトニクスとして発展するにいたった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大陸移動説」の意味・わかりやすい解説

大陸移動説
たいりくいどうせつ
continental drift theory

現在いくつかに分かれて存在する大陸が,かつては単一の巨大な大陸であり,これが割れて分離して移動し,現在のような配列と形をとるようになったという学説。アルフレッド・ロタール・ウェゲナーによって 1912年に提唱された。大西洋を挟んで向かい合う南北アメリカ大陸とヨーロッパ・アフリカ大陸の海岸線の凹凸が一致するように見えることや,南半球の各大陸の古生代末から中生代初めの植物化石,陸生動物化石が共通することなどが,そのおもな根拠になった。しかし,この学説はその原動力をうまく説明することができなかったので当時の学界では受け入れられず,やがて見捨てられてしまった。第2次世界大戦後になって,磁極の移動などを研究する古磁気学が進歩し,これによってかつての磁極分布を図にすると,大陸が互いに位置を変えて移動したという考え方があてはまり,大陸移動説が復活した。これらの大規模な移動はマントル内の熱対流(→マントル対流)に原因があるとみられ,海洋底が拡大しているという海洋底拡大説が生まれた。移動の速度は 1年に数cmから 10cm。そのほか古生物の研究や各大陸の造山帯の研究などが進歩して,大陸移動説を裏づける多くの資料が得られた。

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百科事典マイペディア 「大陸移動説」の意味・わかりやすい解説

大陸移動説【たいりくいどうせつ】

大陸が地球表面を漂移し,相互の位置関係が変化するという説。最も有名なのはウェゲナーが1912年に発表したもの。シアル質の大陸がそれより密度の大きいシマ質の大洋の上に浮かんでいて,現在の諸大陸は古生代後期まで単一の大陸(パンゲア)をなしていたものが地球の自転による遠心力などのため分裂して離れ離れとなったという。1930年ころにはこの説は見捨てられた。第2次大戦後,古地磁気学の研究が進んだ結果,大陸が相互の位置を変えたと考えなければならなくなり,大陸移動説が再びとり上げられ,現在は,その機構をプレートテクトニクスで説明する考えが学界の主流。
→関連項目海洋底拡大説大陸

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法則の辞典 「大陸移動説」の解説

大陸移動説【continental drift theory】

現在の諸大陸はもともとは単一の塊で地質時代に分裂・移動した結果,今日の形となったという理論.ドイツのヴェーゲナーが最初に提案した理論であるが,当時は大陸を移動させる力が考えられなかったためにきわめて冷たい扱いを受けた.のちにマントル対流,大洋底移動などの事実が判明し,これによって復活したともいえる.

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世界大百科事典(旧版)内の大陸移動説の言及

【ウェゲナー】より

…ドイツの地球物理学者。大陸移動説の提唱者として知られる。牧師の子としてベルリンに生まれ,ハイデルベルク大学,インスブルック大学で学び,1905年に惑星運動の計算によってベルリン大学で学位を得た。…

【古地磁気】より

…極移動が地球磁場の一側面の現れであると考えると,地域差はないはずである。極移動曲線が一致するように地域の相対位置を移動させる大陸移動説が出されてきた。A.L.ウェゲナーは1912年に大陸移動説を唱えているが,この説が古地磁気学によって復活し,動かぬ事実となった。…

【中生代】より

…地質時代の一区分で,化石に残りやすい生物が出現した以降の顕生累代を三分した第2の地質時代をいう。放射性同位体による絶対年代の推定では,約2億4800万年前から約6500万年前までの約1億8300万年の期間に相当する。これよりも古い古生代Paleozoic era,これよりも新しい新生代Cenozoic eraとの境界はそれぞれ動物界に起こった大きな変革によって引かれる。すなわち,古生代末には三葉虫,四射サンゴ,フズリナなどが絶滅し,その他の海生の動物分類群も大きな打撃を受けて内容が一新している。…

※「大陸移動説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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