イタリアのスコラ神学者,哲学者,神秘思想家。幼名ジョバンニ・ディ・フィダンツァGiovanni di Fidanza。トスカナ地方の出身で,1234年からパリ大学人文学部で学び,学位を得て後,アレクサンデル・ハレンシスの下で神学を研究,師と同じフランシスコ会に入る。53年教授資格を得たが,紛争のため教授団に加わったのは57年10月。しかし,その年の2月にフランシスコ会第7代総長に選挙されていたため,公式の教授活動は行わず,以後ヨーロッパ各地を巡回して,ヨアキム・デ・フローリス問題,清貧の問題などをめぐって揺れる同会の運営,会員たちの信仰生活の指導に専念した。創立者アッシジのフランチェスコに傾倒し,その神秘的体験の地アルベルニア山を訪れて《神へと至る精神の道程》を著したほか,フランチェスコの公式伝記も書く。73年には枢機卿に任ぜられ,教皇グレゴリウス10世を補佐して東西教会の統一がおもな議題であったリヨン公会議の準備にあたり,同会議出席中に急死した。列聖は1482年,〈(天使)セラピムのごとき博士Doctor seraphicus〉と尊称される。
彼は同時代人のトマス・アクイナスとは対照的にアリストテレス受容には抑制をきかせ,むしろアウグスティヌスの哲学的立場にくみする。しかし,三位一体論ではアウグスティヌスによらず,偽ディオニュシウスの立場を継承するなど,独自の思想を貫く。永遠なる神的〈言葉〉が創造の範型であるごとく,キリストはキリスト教的生活の範型である,というように範型説を強調し,この世界のいたるところに三一なる神の反映を見る。さらに誤り,疑いを免れない人間精神が神や不可変の真理を確実に認識しうるためには,神的精神による直接的な照明という助けが必要であるとして,照明説を主張する。彼の思想で特に大きな影響力を後世に及ぼしたのは,その神秘神学であり,罪の除去にかかわる浄化の道,キリストの模倣をめざす照明の道,愛による神との神秘的一体化に存する一致の道,を説く《三様の道》は有名である。
執筆者:稲垣 良典
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中世イタリアの神学者、哲学者。トスカナ地方バクノリア生まれ。1257年トマス・アクィナスとともに、托鉢(たくはつ)修道会士として初めてパリ大学神学博士の称号を得る。同年フランシスコ会長に選ばれて教授活動からは退き、教団形成当時からの厳格派と寛容派の対立の融和に尽力する。1260年にナルボンヌで総会を開いてフランシスコ会憲章を改訂公布した。思想的にはアリストテレス・アラブ思想と伝統的なアウグスティニズムの総合を図り、人文学部を中心とする急進的アリストテリズムに警告を発する。1274年の東西教会の和解を目ざすリヨン公会議の準備に携わり、会期中リヨンに没した。実践的、理論的両面にわたる融和への努力の指導原理は、宥和(ゆうわ)者であり仲介者であり、存在と知と人間の交わりの源泉であり、中心であるキリストと、その全き倣(まな)びを目ざしたフランチェスコの実践である。この意味で、彼は固有の仕方でフランシスコ教団の精神を具現した人物であった。主著としてパリ大学教授時代の『命題集註解(ちゅうかい)』はスコラ的著作であり、以後のものは小品ながら彼の思想的特色を端的に表すものが多い。『魂の神への道程』は代表作といわれる。スコラの概念的、分析的方法に熟達しつつ、ネオプラトニズム的な神秘主義、照明説の盛期スコラにおける代表者であり、アウグスティヌス的な神の似姿の説やディオニシウス的顕現説に基づき、全世界に神の足跡をみる象徴主義思想家でもある。
[坂口ふみ 2015年2月17日]
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…この時期,普遍(類と種)をめぐる論争(普遍論争)が盛んに行われた。 13世紀の盛期スコラ学の特徴は,学としての神学の成立であり,いいかえると,アルベルトゥス・マグヌス,トマス・アクイナス,ボナベントゥラなどにおける,信仰と理性との偉大な総合である。その背景にはパリ,オックスフォードなどの大学における活発な学問活動,アリストテレス哲学の導入,ドミニコ会,フランシスコ会を先端とする福音運動の推進などの積極的要因が見いだされる。…
…ただし,〈生命の樹〉の場合,単独の図像としてよりも,十字架およびキリストを表すギリシア文字ΧΡの2字からなるクリスモン文様との組合せ図像として好んで使用され,それらはカタコンベの壁画(ローマ)や石棺の浮彫(コプト)などに,数多くみられる。キリスト教美術において〈生命の樹〉が独立した図像として表現されたのは,神学者ボナベントゥラが1274年に考案したものが最初であろう。キリストが磔刑にされている木の幹から,左右に12本の枝が分かれ出,その枝には48のメダイヨンが配され,そこにキリストの生涯が表されている。…
…日本にも1593年(文禄2),ペドロ・バプティスタが来て布教を開始した。その後〈第二の創立者〉とよばれるボナベントゥラが第8代総会長在任中(1257‐74),フランチェスコの遺志をめぐって争われてきた〈清貧論争〉に中庸の道が示され,説教活動とならんで神学・哲学の研究や大学教育への参加がこの修道会の社会的指導力を高めた。次の世紀にかけて会員中からドゥンス・スコトゥスやオッカム(ウィリアム・オブ・オッカム)などの碩学が輩出する。…
…署名入りの《磔刑のキリスト》(ルッカ,国立絵画館)は,アーモンド形の目,様式化された肉体や衣褶の表現など,典型的なビザンティン風イタリア様式を示す。息子ボナベントゥラBonaventura B.(?‐1274ころ)も画家で,署名入りの《フランチェスコ像》(1235,ペシアPescia,サン・フランチェスコ教会)は,やはりビザンティン風の図式的作風を見せるが,キリスト教改革者としての聖人の強いまなざしの表現などに個性がうかがわれる。【鈴木 杜幾子】。…
※「ボナベントゥラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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