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ボルシェビキ ボルシェビキBol'sheviki; Bolsheviks

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボルシェビキ
Bol'sheviki; Bolsheviks

ソ連共産党の前身。十月革命を指導。ロシア語で「多数派」の意味。ロシアマルクス主義者は 1898年ミンスクロシア社会民主労働党を結成したが,1903年第2回党大会 (ブリュッセルロンドン) において,党員の資格をきびしくするように要求するレーニン派と,それに反対するマルトフ派の間に対立が起った。レーニンの主張は 28対 22 (保留1) で敗れたが,その後党内における自組織の自治を否定されたブント派ら7人の代議員が退場したため逆に多数派となり,党人事などで優位を占めるようになった。このとき以後レーニン派は自派を多数派と称し,マルトフらを少数派 (メンシェビキ ) と呼ぶようになった。メンシェビキが,当面する革命をブルジョア革命と規定してプロレタリアートの従属的役割を主張するのに対し,ボルシェビキはプロレタリアートが農民と提携してブルジョア革命を徹底することこそ重要であることを説くなど,両派の間には党の性格,革命戦術などの点で大きな差があった。第4回党大会 (1906,ストックホルム) ,第5回党大会 (07,ロンドン) を合同で開催したにもかかわらず,両派の対立はやまず,12年プラハ開かれた第6回全ロシア党協議会で,レーニンはメンシェビキと袂を分ち,独自の党を結成した。第1次世界大戦に際しては,敗北主義の立場をとり,自国の敗北を革命に転化させることを主張した。 17年の二月革命後,特に4月レーニンが帰国して,戦争中止,ソビエトによる全権力の奪取 (→四月テーゼ ) を呼びかけて以後,ボルシェビキの勢力は強まり,労働者,農民,兵士の間に次第に影響力を増大していった。同年 10月 23日 (旧暦 10日) ボルシェビキ党中央委員会はレーニンの提唱する即時武装蜂起を 10対2で決議,11月7日 (旧暦 10月 25日) 臨時政府を倒して政権を掌握した。翌年3月党名をロシア共産党と改め,52年第 19回党大会においてさらにソ連共産党と改称した。

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大辞林 第三版の解説

ボルシェビキ【Bol'sheviki】

〔多数派の意〕
ロシア社会民主労働党の左派。レーニンを指導者とし、マルトフらのメンシェビキと対立。三月革命後の臨時政府を支持せず、十一月革命を起こしプロレタリア独裁を樹立。1918年ロシア共産党と改称。ボリシェビキ。 → メンシェビキソビエト共産党

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