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ボー・グエン・ザップ ボー・グエン・ザップVo Nguyen Giap

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボー・グエン・ザップ
ボー・グエン・ザップ
Vo Nguyen Giap

[生]1912.9. クアンビン
ベトナムの政治家。北ベトナム人民軍ベトナム共産党指導者。熱烈な反植民地主義の学者の子として,早くから自主ベトナムのために運動した。ホー・チ・ミンと同じ高校で学び,1926年ベトナム革命党に入党。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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百科事典マイペディアの解説

ボー・グエン・ザップ

ベトナムの軍人,政治家。仏領インドシナクアンビン省に生まれる(1911年に生まれたとの説もある)。1924年フエの国立高等学校に入学。学生運動を組織して退校処分となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボー・グエン・ザップ
ぼーぐえんざっぷ
Vo Nguyen Giap
(1911―2013)

ベトナムの軍人、革命家。ベトナム中部クアンビン省生まれ。ハノイ大学で歴史、経済学を学ぶ。1927年ころから共産主義運動に投じ、1930年インドシナ共産党創設とともに入党。1937年ハノイで中学教師となるが、1940年中国入り、ホー・チ・ミンらとベトナム独立同盟(ベトミン)を結成。1944年ホーの指令でベトナム解放武装宣伝隊を組織し、人民軍の基礎を築いた。1945年ベトナム民主共和国北ベトナム)成立とともに内相、1946年国防相に就任。1947年から人民軍総司令官として抗仏戦争を指揮。延安で朱徳から伝授された人民戦争論に基づき1954年のディエン・ビエン・フー攻略に成功、戦略家としての名声を確立した。1951年ベトナム労働党中央委政治局員。1955年副首相。革命第一世代の重鎮として1976年統一ベトナム成立後も党、政府、軍に重きをなしたが、1980年に国防相の地位を、1982年には党政治局員の地位を失い、1987年の第8期国会議員選挙にも出馬を取りやめたが、副首相の地位にはとどまり、1991年引退。ベトナム解放戦争の基本戦略を集大成した『人民の戦争・人民の軍隊』(1961)ほかの著作がある。[黒柳米司]
『レ・クアン著、寺内正義訳『ボー・グエン・ザップ――ベトナム人民戦争の知将』(1975・サイマル出版会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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20世紀西洋人名事典の解説

ボー・グエン・ザップ
Vo Nguyen Giap


1912 -
ベトナムの政治家,軍人,革命家。
元・ベトナム副首相。
クアンビン省生まれ。
別名武元甲。
ハノイ大学で歴史や経済学を学び、1927年頃から共産主義運動に参加し、’30年インドシナ共産党結成と同時に入党する。’40年中国に赴き、ホー・チ・ミンに師事し、’44年ベトナム解放武装宣伝隊を組織し、人民軍の基礎を築く。’45年ベトナム民主共和国の成立で内相となり、’46年国防相を経て、’47年人民軍総司令官となり、抗仏戦争を指揮する。’54年ディエン・ビエン・フー攻略の成功で戦略家としての名声を確立し、’55年副首相となる。’80年国防相を解かれ、’82年引退する。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
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