マイブリッジ(その他表記)Eadweard Muybridge

改訂新版 世界大百科事典 「マイブリッジ」の意味・わかりやすい解説

マイブリッジ
Eadweard Muybridge
生没年:1830-1904

アメリカの写真家。イギリスに生まれるが,1852年ころアメリカに渡り,56年からサンフランシスコ本屋を始める。このころから写真を始め,ヨセミテ渓谷をはじめとするロッキー山脈の風景を巨大な湿板で撮影した。このマイブリッジの風景写真は,同時代のワトキンスCarleton Watkins(1825-1916),ジャクソンWilliam Henry Jackson(1843-1942),オサリバンTimothy H.O'Sullivan(1840-82)らの写真とともに,開拓時代のアメリカ西部の景観を記録したものとして著名である。また72年,リランド・スタンフォード(元カリフォルニア州知事)の要請で,馬が走るとき4本の足が地上を離れるか否かという動物の運動についての論争決着をつけるため,特別な感光板と露光装置をつくり高速度瞬間撮影に成功,4本の足が地上を離れることを証明した。80年には〈ズープラクシスコープzoopraxiscope〉(〈動物の動きを見る装置〉の意味)を開発し,人間や動物のあらゆる動きの連続撮影に成功した。これは単に動作分析にとどまらず,動作そのものを再現したという点において,映画への発展を胚胎するものとして大変重要である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイブリッジ」の意味・わかりやすい解説

マイブリッジ
まいぶりっじ
Eadweard Muybridge
(1830―1904)

イギリス出身のアメリカの写真家。湿板写真術を習得して、1852年に渡米、西部開拓の調査と記録の仕事につく。78年、元カリフォルニア州知事L・スタンフォードの依頼で、速足で走る馬の脚が空中でどのようになっているかを調べるため、多数の湿板カメラと自動シャッターをセットした特設馬場に馬を走らせ、史上初の動体の分解写真を撮影した。ついで人体や動物の動体を同様の方法で撮影、87年には『Animal Locomotion』と題した写真集を出版した。このマイブリッジの業績は、同時期、フランスで同種実験を進めていたマレーの研究成果とともに、絵画表現をはじめ動物学・生理学の世界に至るまでさまざまな反響をよんだ。これはまた、時間経過の視覚表現を達成したものであり、後の映画の発明に寄与した。

[平木 収]


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百科事典マイペディア 「マイブリッジ」の意味・わかりやすい解説

マイブリッジ

英国出身,米国の写真家。キングストン生れ。1850年ころ一家で米国に移住。1860年代初めにサンフランシスコでダゲレオタイプ技師に写真を学ぶ。1860年代中ごろより,ヨセミテ渓谷などで風景写真を撮影。1868年政府の委託で前年米国領となったアラスカの調査団に同行。1877年疾走する馬の瞬間撮影に成功。翌年には12台のカメラを馬の走路と平行して並べ,動体の連続撮影に成功し,それまで絵画で描かれてきた馬の疾走時の描写が事実と反することを証明した。1880年連続撮影した写真を映画のように動いて見せる装置〈ズープラクシスコープzoopraxiscope〉を発明。ペンシルベニア大の後援で,写真による動物や人間の動きについての研究を継続し,その成果を著書《動物の運動,電気写真による動物の運動の連続形態の研究》(1887年)にまとめた。1889年に英国に戻り死去。
→関連項目マレー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイブリッジ」の意味・わかりやすい解説

マイブリッジ
Muybridge, Eadweard

[生]1830.4.9. キングストンアポンテムズ
[没]1904.5.8. キングストンアポンテムズ
イギリスの写真家。 1852年にアメリカに移住。 72年以後,技師 J.アイザックスと共同で 12台 (のち 24台) のカメラによる装置を考案してモーション・ピクチャー (活動写真) を開発し,各地で講演。ペンシルバニア大学の後援で人間,動物,鳥などの動体の連続写真集を完成した。これらの連続写真は,動くものに対する肉眼視覚の限界を明らかにし,絵画表現に大きな影響を与え,また未来派の四次元的表現を先取りするものといわれた。 1900年生地に帰る。主要作品『動く馬』 (1878~79) ,『動く動物』 (87) ,『動く人間』 (1901) 。

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世界大百科事典(旧版)内のマイブリッジの言及

【イギリス映画】より

…イギリスには,映画の前史を形成したもっとも重要な人々が存在した。18世紀後半に〈パノラマ〉を考案したR.バーカー,19世紀前半に〈ファラデーの車輪〉と呼ばれる装置を発案したM.ファラデー,〈ソーマトロープ〉を考案したフィットンとパリス,〈ゾーエトロープ〉を考案したW.G.ホーナー,19世紀後半には初めて〈連続写真〉の撮影を行ったE.マイブリッジ,映画用カメラを初めて作ったW.フリーズ・グリーン等々。次いで1896年3月に《ドーバーの荒海》と題した自作のフィルムのイギリスでは初めての興行上映を行ったR.W.ポール,1900年前後にいち早くクローズアップやカット・バックといった映画的手法や,ロケーション撮影や書割を背景に用いたセット撮影を駆使して世界最初の〈モンタージュ〉を試みたG.A.スミスをはじめ,J.ウィリアムソン,C.アーバン,C.ヘプワースら,映画史家G.サドゥールによって〈ブライトン派〉と名づけられた映画のパイオニアたちが輩出した。…

【映画】より

… 1839年,フランスの画家L.ダゲールが写真を発明し,ダゲレオタイプ(銀板写真)と名づけた。この後,24台の写真機を一列に並べて一つの動き(走る馬など)を連続的に撮影したアメリカの写真家E.マイブリッジから,1枚の乾板に12コマの撮影ができる〈写真銃〉を発明したフランスの生理学者E.マレーらに至るまで〈連続写真〉の試みが盛んに行われた。89年,イギリスの写真家W.フリーズ・グリーンが,バイファンタスコープbiphantascopeと名づけた最初の映画用カメラ(キネマトグラフィーkinematography)を考案(1952年にロバート・ドーナット主演による彼の伝記映画《魔法の箱》が作られている)。…

【写真】より

…こうした記録写真あるいは写真による記録への執着は,写真が〈芸術〉であるとしても,記録性に基づいてこそその特質が発揮されるのであり,また記録性自体の力によって成立する写真も,世界を知るもう一つの方法として重要なのだ,といった考え方が早くから芽ばえていたことを証明するものであろう。 たとえば,後の映画の発明にもつらなるものとしてよくあげられるE.マイブリッジが撮った有名な馬が駆ける連続写真(1877)にしても,当時の人々にとっては,馬が疾駆する様子を分析的に見ることなどは,誰にとっても初めて出会う視覚体験であったはずで,そうした驚異は深い感動とともに味わわれたことだろう。この無垢の好奇心を満たすのが,記録写真の最初の動機であり,風景写真にしてもその点は同じであったと思われる。…

※「マイブリッジ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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