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マサダ マサダ Masada

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デジタル大辞泉の解説

マサダ(Masada)

イスラエル東部、死海西岸にある遺跡。標高約390メートルの切り立った岩山の上に位置する。紀元前2世紀に要塞が築かれ、のちにヘロデ王が改築して離宮を置いた。城壁の内部には宮殿、浴場、武器庫、現存する最古のシナゴーグなどの遺構がある。紀元後1世紀に古代ローマ帝国の支配に対してユダヤ人が反乱を起こした第一次ユダヤ戦争において、籠城の末に1000人近くものユダヤ人が集団自決をした。2001年、世界遺産文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

マサダ

イスラエル中部,死海の西岸にそびえる高さ約400m,南北約600m,東西約300mのひし形の丘。紀元前37〜31年にヘロデ王が要塞宮殿を築いた所で,第1次ユダヤ戦争のときユダヤ反乱軍がここに籠城し,73年ローマ軍の総攻撃を前に1000名近い全員が自害して果てたイスラエル最大の史跡。

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世界遺産詳解の解説

マサダ

2001年に登録されたイスラエルの世界遺産(文化遺産)で、同国東部、死海南西岸の岩山に位置する、南北600m、東西300mに及ぶ天然の要塞である。ユダヤ王国のヘロデ王(在位紀元前37~前4年)がここに800人の部下とともに立てこもったのが最初で、後に離宮兼要塞として改修し、難攻不落といわれた。66年にローマ帝国との戦争(ユダヤ戦争)が始まり、70年にティトゥスが率いるローマ軍がエルサレムを陥落すると、エルアザルを指導者とする熱心党員(ゼロテ)のユダヤ人反徒960人がマサダ要塞を占拠した。これに対して、シルヴァが指揮するローマ軍1万人が侵攻して要塞を包囲すると、3年間抵抗した籠城軍も73年には集団自決した。同年のローマ軍による破壊後は、長い間、その所在が不明だったが、1838年にドイツ人研究者によって発見された。岩山の周辺には、今もローマ帝国陣営の遺跡が点在する。これが人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして世界遺産に登録された。◇英名はMasada。マサダの名の由来は、アラム語の「ハ・メサド(要塞)」といわれる。

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世界大百科事典 第2版の解説

マサダ【Masada】

死海西岸のユダの荒野のほぼ中央に位置するひし形の丘で,死海から比高約400m。南北約600m,東西は中央部で約300m。前37‐前31年にヘロデ大王が要塞宮殿を築いたことで知られる。ヘロデの死後ローマ軍が駐留していたが,第1次ユダヤ戦争のとき,ユダヤ反乱軍が奪取してここに籠城し,73年ローマ軍の総攻撃を前に全員960名が自害して果てたイスラエル国最大の史跡。1963‐65年の発掘で,西の宮殿と北のけわしい崖を削って造られた三段テラス式懸崖宮殿,1000名以上の籠城軍の生活を支えた容積4000m3の大貯水槽と巨大な穀物倉庫,およびローマ式大浴場跡などが明らかにされた。

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大辞林 第三版の解説

マサダ【Masada】

イスラエル、死海南西にある岩山。また、その崖がけの上にある遺跡。紀元後73年、ローマ軍の攻撃を受けてユダヤ反乱軍の全員九六〇名が自害。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マサダ
まさだ
Masada

イスラエル東部の古代遺跡。死海西岸の孤立した台地(東側の高さ約390メートル)の上にあり、北、東、南側は絶壁に囲まれ、西側も急斜面をなす。紀元前2世紀後半にマカベア朝の王たちがここを要塞(ようさい)とした。前40年にはパルティア人の侵入の際、ヘロデ大王が自分の家族をここに避難させたが、その後、彼の王国の最南端防衛線上の拠点兼離宮の所在地として開発された。崖縁(がいえん)に三段の小宮殿のある北側を除いて、台地は城壁で囲われ、その内部には西側にある本宮殿をはじめとして兵舎、浴場、武器庫、食糧庫、大貯水槽、プールなどが備えられた。水は冬季の雨と涸(か)れ川の一時的流水から得られた。また、現存する最古のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)とされる建造物も発見された。台地上の居住地に達するためには、東側の「蛇形通路」とよばれる険しい上り道を利用するほかなかったが、現在はそこに索道が設けられている。その後、ローマ軍がここに駐屯したが、紀元後66年に始まったユダヤ人の反乱では、約1000人の過激派(熱心党(ゼーロータイ)の一派)が奪取して立てこもった。7000人のローマ兵がフラウィウス・シルワの指揮下にこれを包囲し、73年5月陥落させた。その悲劇的状況は、発掘調査とヨセフスの『ユダヤ戦記』によって知られる。包囲軍が台地の麓(ふもと)に設置した八つの陣営、囲壁、西側侵入路の遺跡がみられるほか、大破された台地上の遺構からは、家具、古銭、食物、布片、巻物、碑文付き土器片などが出土した。[小川英雄]
『Y・ヤディン著、田丸徳善訳『マサダ』(1972・山本書店)』

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