マジャール人(読み)マジャールジン

世界大百科事典 第2版の解説

マジャールじん【マジャール人 Magyarok】

ハンガリー人の自称。フィン・ウゴル語派のウゴル語系に属するマジャール語を話す。フィン・ウゴル語派の原住地は,現在のところ,ウラル山脈中・南部付近とされている。前3~前1世紀にフィン語系とウゴル語系の民族は北と南に分かれ,それぞれ西進するが,マジャール人はバシキール(バシコルトスタン)あたりで独自の人種的言語形成を行った。7~8世紀ころにドン川中流へ移り,ここでブルガール,トルコ系諸族の文化的影響を受けた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

マジャールじん【マジャール人】

ハンガリー人の自称。原住地はウラル山脈中・南部とされる。九世紀末南ロシアから現在の地に移住。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マジャール人
まじゃーるじん

ハンガリー人のこと。マジャールMagyarは彼らの自称で、もとは部族連合内の一部族名に由来する。言語はマジャール語(ハンガリー語)で、フィン・ウゴル語族に属す。現在の人口は周辺諸国をあわせて1500万ほどで、同語族のなかでは最大。紀元前1000年ごろに揺籃(ようらん)の地ウラルを離れ、その後は長期にわたってトルコ系諸民族と共存、牧畜・農耕を学ぶ。Ungar(ドイツ語)、Hongrois(フランス語)などの今日のヨーロッパでの呼称は、トルコ語のオノグルonogur(10の部族の意)に起源をもつ。紀元後はフン人、ハザール人などの支配下にあったが、9世紀初めに独自の部族連合を形成。ただし二重首長制は前支配部族から継承した。895年ころの建国時の人口は約50万。13世紀モンゴル人来襲による人口激減を受けて、ベーラ4世によるドイツ人、イタリア人、トルコ系クン人などの入植が行われた。周辺のスラブ人も含めて、これらの諸民族との混住から、今日のマジャール人の基礎ができた。[家田 修]
『E・パムレーニ編、田代文雄・鹿島正裕訳『ハンガリー史』(1980・恒文社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のマジャール人の言及

【ウラル語系諸族】より


[分布]
 ウラル山脈の西側(山脈の東側も含むとの説もある)が原郷とされているウラル語系諸族は現在,スカンジナビアからタイミル半島に至る北方ユーラシア西部(東経56゜~70゜)に広く分布するが,スラブ,ゲルマン,バルト,チュルク,ツングース系諸族と交錯しあっており,分布は連続性を欠くところが多い。なかでも最有力民族の一つであるマジャール人は9世紀に東ヨーロッパへ移住して以降,上記の分布域から遠く隔たった離れ島をなしている。総人口は約2400万。…

【トランシルバニア】より

…トランシルバニアは〈森の彼方の国〉という意味で,12世紀のラテン語文献にTerra Ultrasilvanaの形で初めて現れる。これはマジャール人(ハンガリー人)がハンガリー南部の平原から西カルパチ山脈以遠の地をさして呼んだことばであった。ハンガリー語ではエルデーイErdélyと呼ばれるが,これも同じ意味をもち,ルーマニア人もそれに由来するアルデアルArdealという名称をトランシルバニアと併用している。…

【レヒフェルトの戦】より

…ドイツ国王オットー1世マジャール人の侵入を撃退した戦い。955年バイエルンに侵入したマジャール人は,さらにシュワーベンに侵入を企て,アウクスブルクを攻撃したが,アウクスブルク司教の指揮する守備軍の抵抗により,陥落させることができなかった。…

※「マジャール人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

ダブルベーグル

テニス競技において、一方の選手がゲームカウント6-0で2セット連勝することの通称。真ん中に穴が空いたパンの一種であるベーグルの形が数字の「0」に似ていることが語源となっている。1セットの場合は単に「ベ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android