コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

マヨリカ

百科事典マイペディアの解説

マヨリカ

英語ではマジョリカ。イタリアのスズ釉の陶器。中世末マリョルカ島商人によって輸入されたイスパノ・モレスク様式の陶器をイタリアで呼んだ。さらに,その技法によって14―16世紀にイタリアで作られたスズ釉陶器もこの名で呼ばれるようになった。
→関連項目デルフト陶器ラスター彩

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

マヨリカ【Majolica】

中世末期からルネサンス期にかけてイタリア各地で製作されたスズ釉(ゆう)陶器の総称。その名称は中世末期にスペインからイタリアへラスター彩イスパノ・モレスク陶器を輸入する際,それらがマリョルカ島の商人を通じて送られてきたので,それらをイタリア語なまりでマヨリカ陶器と呼んだことに由来する。マジョリカはその英語読みである。したがって当初マヨリカは金属的な輝きのラスター彩陶器のみを指していたが,後にはスズ釉の多彩色絵陶器をすべてこのように呼んだ。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マヨリカ

マジョリカ」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典内のマヨリカの言及

【釉】より

…ことに金属的な輝きをもつラスター彩は鉛とスズによって合成した釉をかけて焼成し,その上に硫化銅や硫化銀を顔料として描き,還元炎で焼成したもので,顔料の金属の配合,窯の温度によってさまざまな色調を呈した。このスズ釉陶器の技法はやがてイスラム教徒の支配下にあったイベリア半島に伝えられ,13世紀後半からイスパノ・モレスク陶器として開花し,さらにイタリアでも模倣されマヨリカ陶器として発展をみた。マヨリカ陶器の釉は,とくにマルザコットmarzacottoと呼ぶ,ブドウの搾りかすを灰にし,これに鉛とスズの酸化物を加え,砂と水を混ぜて合成したものである。…

【デルフト陶器】より

…イギリスではこれらのスズ釉陶器を模したものをイングリッシュ・デルフト陶器と呼んでいる。 もともとフランドル地方におけるスズ釉陶器の誕生は16世紀の初めカステル・デュランテ窯の陶工グイド・ダ・サビノ(のちにグイド・アンドリエスと改名)をはじめ,イタリアの陶工たちが自由都市アントワープやブリュージュに移住し,そこでマヨリカ陶器を焼成したのに始まる。その後ハプスブルク王家の新教徒弾圧と戦乱を逃れて1564年以降多くの陶工たちは北部のホラントやフリースラントに移住し,デルフト,アムステルダム,ロッテルダム,ミッデルブルフ,ハールレムなどに窯を築いてマヨリカ風の美しい色絵のスズ釉陶器を焼いた。…

【陶磁器】より

…オリエントで開花した銀・銅酸化の金属で絵付した美しいスズ釉陶器が,11~12世紀ころにマラガ,セビリャ,グラナダなどの南スペインに伝えられ,その技法はやがて同地方のスペイン人にも普及し,14世紀以降はバレンシアのマニセスやパテルナでも盛んに焼造された。イスパノ・モレスク陶器と呼ばれる金属的な輝きをもつこれらの陶器は,14世紀から15世紀初めスペインの東海上に浮かぶマリョルカ島を経由してイタリアに多量に輸出されたので,当時のイタリア人はこの島の名にちなんでこれらをマヨリカ(焼)と呼んだのである。 当時イタリアではルネサンスの人文主義が台頭し,イスパノ・モレスク陶器の技法を受け継いでファエンツァ,フィレンツェ,ウルビノ,グッビオなどの中部イタリアの各地でマヨリカ陶器が焼かれた。…

※「マヨリカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

マヨリカの関連キーワードファイアンスルーアン陶器ペリパリオ沢田美喜ウルビノ