改訂新版 世界大百科事典 「デルフト陶器」の意味・わかりやすい解説
デルフト陶器 (デルフトとうき)
Delft faïence
オランダのデルフトで製作されたスズ釉陶器およびその窯。広義にはオランダで焼かれたすべてのスズ釉陶器をいう。16世紀中ごろ,フランドル南部のアントワープの陶芸の影響により開花,17世紀には中国磁器を写した陶器と青色および多彩色の絵付けのタイルの生産によって一躍有名となり,その製品は広くヨーロッパ各国に輸出された。以後アムステルダム,ロッテルダム,ハールレム,ホールンなどオランダ各地で焼かれたすべてのスズ釉陶器をデルフト陶器と呼ぶようになった。イギリスではこれらのスズ釉陶器を模したものをイングリッシュ・デルフト陶器と呼んでいる。
もともとフランドル地方におけるスズ釉陶器の誕生は16世紀の初めカステル・デュランテ窯の陶工グイド・ダ・サビノ(のちにグイド・アンドリエスと改名)をはじめ,イタリアの陶工たちが自由都市アントワープやブリュージュに移住し,そこでマヨリカ陶器を焼成したのに始まる。その後ハプスブルク王家の新教徒弾圧と戦乱を逃れて1564年以降多くの陶工たちは北部のホラントやフリースラントに移住し,デルフト,アムステルダム,ロッテルダム,ミッデルブルフ,ハールレムなどに窯を築いてマヨリカ風の美しい色絵のスズ釉陶器を焼いた。81年,フランドル地方の北部7州は長年のスペイン支配から独立してオランダ共和国を樹立,1609年の和平後北部諸州の商工業,海外貿易の繁栄とあいまって陶器の生産が増大した。
デルフトは,以前はビールの醸造で栄えていたが,再度の大火でその生産は徐々に縮小,これに代わって新たに隆盛となった陶器の生産に着手した。17世紀の中ごろデルフトではそれまで焼成していたマヨリカ風の装飾や器形に加えて,当時オランダ東インド会社が輸入した極東の磁器を模倣することに着目し,これが人気を博してデルフト陶器は以後オランダ陶芸の中心的な位置を占めた。デルフトの陶芸は初期のマヨリカ風の多彩色の陶器やタイルから中国や日本の染付磁器を模した青一色のもの,あるいは染錦手(そめにしきで)を模した青と多色金彩のもの,さらに繊細な絵付けの陶板画,婦人の靴や鳥籠,本をかたどった水筒や酒瓶,陶製のバイオリンまで,多種多様なものが焼かれている。しかし,このような繁栄も1709年ドイツで硬質のマイセン磁器が焼成され,他方でイギリスのウェッジウッドがクリーム色陶器の量産に成功して安価な陶器が市場に送り出されたため,デルフト陶器はしだいに衰退に向かい,往時30社を超えた陶器工房も1808年にはわずか8社,そして50年にはついに1社となった。現在デルフトでは2社が伝統的な装飾の高級陶器と磁器,新しい陶器や陶板を製作している。
執筆者:前田 正明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報