マリー(英語表記)Moray

デジタル大辞泉 「マリー」の意味・読み・例文・類語

マリー(Mary)

トルクメニスタン南東部の都市。マリー州の州都。1937年までの旧称メルブ。ムルガブ川カラクム運河沿いに位置する。郊外に紀元前6世紀から紀元後13世紀まで栄えたオアシス都市メルブの遺跡があることで知られる。マーリ

マリー(marry)

為替リスクを回避するために、外貨建て債権債務を組み合わせてバランスさせ、相殺してしまうこと。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリー」の意味・わかりやすい解説

マリー
Moray

イギリススコットランド北東部の単一自治体(カウンシルエリア council area)。旧称エルギンシャー。行政府所在地エルギンマリー湾の南岸から内陸に広がる。旧マリー県と旧バンフシャー県の大部分からなる。1975年の自治体再編でグランピアン県の一部となり,1996年に単一自治体となった。スペー川,フィンドホーン川は南部の丘陵地帯や泥炭湿原水源とし,沿岸部の肥沃な平野を横切りマリー湾に注ぐ。南端には標高 1220m近いケアンゴーム山地の大山塊がそびえる。古くはピクト人が住んでいたが,9世紀にケネス・マカルピンによりスコット人の土地と統合され,マリーと呼ばれるようになった。かつてのマリーは旧県よりはるかに広く,スコットランドの七つの伝統的地方の一つであった。19世紀の産業革命の影響はほとんど受けなかったが,鉄道の開通により観光業と漁業が発展した。おもな農産物は穀物,ジャガイモ,干し草用の牧草。平野部では肉牛が飼育され,丘陵地帯では羊の放牧が行なわれる。製造業は食品加工,造船,北海の石油産業用機器を主とし,ウイスキーの製造も行なわれる。スペー川でのサケ釣りや海辺のリゾート,美しい田園風景などにより,観光も地域経済の重要な柱となっている。最大都市エルギンは商業の中心でもある。面積 2238km2。人口 8万9030(2006推計)。

マリー
Murry, John Middleton

[生]1889.8.6. ロンドン
[没]1957.3.13. サフォーク
イギリスの批評家。 K.マンスフィールドの夫。妻や D. H.ロレンスの影響を受け,雑誌『アシニーアム』 Athenaeumの編集者,『アデルフィ』 Adelphiの創刊者として,T. S.エリオットに対抗してロマン主義を唱道した。『ドストエフスキー論』 Dostoevski (1916) が出世作で,以後シェークスピアブレークキーツスウィフトなどの作家論,マンスフィールド,ロレンスの評伝など多彩な文筆活動を行なった。また『未知なる神に』 To the Unknown God (24) やイエス伝などで宗教に,『共産主義の必要』 The Necessity of Communism (32) や『自由社会』 The Free Society (48) などでは政治にも関心を示した。

マリー
Mallee

オーストラリア,ビクトリア州北西部,ウィンメラ川とマレー川との間の地方。マリーと呼ばれる独特のユーカリ植生地帯で,かつてコムギ栽培のために開墾され,土壌浸食問題が生じた。現在はウィンメラ=マレー給水地区の一部として約2万 5000km2に給水され,灌漑牧草地,飼料作物,穀作の組合せによる農牧開発が進められている。

マリー

「マレー」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「マリー」の意味・わかりやすい解説

マリー
John Middleton Murry
生没年:1889-1957

イギリスの批評家。生涯を通じてロマン主義的,主観的な立場を堅持した。貧しい家庭に育ち,オックスフォード大学を卒業後,雑誌《アシニーアム》の副主筆を経て,雑誌《アデルフィ》を刊行,主筆(1923-48)となった。彼が批評界に登場したのは《ドストエフスキー評伝》(1916)によってである。当時の批評界には,古典主義的,主知的な傾向が強かったが,彼はT.S.エリオットに対してはロマン主義をもって,I.A.リチャーズに対しては主観主義によって対立して,これらの批評家からぬけ落ちていたロマン主義の詩人やD.H.ロレンスを熱烈に擁護する批評,エッセーを発表した。すなわち,《キーツとシェークスピア》(1925),《キーツ研究》(1930),ロレンス評伝《女の息子》(1931),《ウィリアム・ブレーク》(1933),《ジョナサン・スウィフト》(1954)などである。一時共産主義に共鳴し,その後反共的になったが,彼が最も親近性をもった立場はキリスト教的社会主義である。K.マンスフィールドは彼の妻であり,彼女の死後,著書や書簡の編纂に携わった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリー」の意味・わかりやすい解説

マリー(トルクメニスタン)
まりー
Мары/Marï

トルクメニスタン共和国マリー州の州都。カラクム砂漠の南辺、ムルガーブ川とカラクム運河に臨み、共和国首都アシガバートの東320キロメートルに位置する。人口12万3000(1999)。1937年までメルブМерв/Mervと称した。メルブはアケメネス朝時代に知られ、中央アジアにおける東西交通の要地として経済・文化の面で重要な役割を果たしていたが、1221年モンゴル軍によって破壊された。当時の遺跡は東方30キロメートルのムルガーブ川右岸に残る。1884年軍事上の拠点として現在の町ができ、ロシア革命(1917)後はこの地方の綿花栽培の中心となる。1950年代に始まったカラクム運河開削工事(1986年完成)により、灌漑(かんがい)が進んだ。鉄道の分岐点で農・工業の集散地である。周辺での綿花栽培のほか、繊維工業や製粉、食肉、乳製品などの食品工業、家具・敷物製造などの工業が活発である。近郊には運河の水を利用した水力発電所もある。

 マリー州は面積8万6800平方キロメートル、人口114万6800(1999)。人口密度は1平方キロメートル当り13.2人。

[山下脩二]


マリー(George Gilbert Aimé Murray)
まりー
George Gilbert Aimé Murray
(1866―1957)

イギリスの古典学者。オーストラリアのシドニー生まれ。23歳でグラスゴー大学ギリシア語教授となったあと、母校オックスフォード大学のギリシア語欽定(きんてい)講座教授を務めた(1908~36)。多くのギリシア劇の翻訳・校本のほかに『ギリシア叙事詩の成立』(1907)、『エウリピデスとその時代』(1913)、『ギリシア宗教の五段階』(1925)、『詩における古典的伝統』(1927)などがある。

[戸田 基]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「マリー」の意味・わかりやすい解説

マリー

英国の文芸批評家。オックスフォード大学に学び文学活動に入る。現実を混乱のままにとらえ詩的調和を見いだすという,ロマン主義的,主観主義的立場に立ち,I.A.リチャーズやT.S.エリオットらと対立。1923年雑誌《アデルフィ》を創刊。夫人はK.マンスフィールド

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「マリー」の解説

マリー〔菓子〕

森永製菓株式会社が販売するビスケットの商品名。牛乳の風味を活かしている。1923年発売。

マリー〔生活用品〕

四国特紙が販売するティッシュペーパーの商品名。3個入りパック。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

367日誕生日大事典 「マリー」の解説

マリー

生年月日:1897年12月3日
フランスの政治家
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマリーの言及

【外国為替】より

…手形代金の支払はその満期日に行う。 マリーmarry銀行や企業が自社のなかで生じる買為替と売為替を見合わせ,為替持高の極小化を図ることをいう。〈為替のマリー〉ともいう。…

【マンスフィールド】より

…いくつかの情事と自己中心的なきわめて不幸な結婚を経験。1912年文学青年の貧しいオックスフォード大学生J.M.マリーと同棲(正式結婚は1918年)。彼の編集する《リズム》誌や《アシニアム》誌に,鋭いがきわめて主観的なエッセー,書評を載せるかたわら,《序曲》(1918),《幸福》(1920),《園遊会》(1922),《鳩の巣》(1923)などの短編集を続々発表。…

※「マリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android