フランスの哲学者。パリに生まれ、ソルボンヌ大学で神学を学ぶ。1660年アウグスティヌス主義にたつオラトワール会に入る。1664年司祭。同年、偶然デカルトの著作を読み、哲学的使命を自覚する。10年後『真理の探究』を世に問い、以後『キリスト教的対話』(1677)、『自然と恩寵(おんちょう)』(1680)、『形而上(けいじじょう)学と宗教に関する対話』(1688)、『神の存在をめぐるキリスト教哲学者と中国の哲学者との対話』(1708)などを次々と刊行した。万象は神の媒介によって生じるもので、たとえば物体相互の接触や心身の変化は神の作用の「機会」にすぎないという「機会原因論」を主唱した。そして彼はこの立場から、アウグスティヌス神学とデカルト哲学との総合を企て、壮大な形而上学体系を構築した。認識論的には、アウグスティヌスのイデア説を継承し、「われわれは万物を神のうちに観(み)る」と考える。彼によれば人間精神の物体認識は、神の理性における物体のイデア(叡知(えいち)的延長)の直観によって初めて可能になるとされた。また、唯一の作用原因たる神が「一般法則」によって世界を支配するが、この「一般法則」を分化実現する「機会原因」としての一定の役割が、心身問題のみならずすべての被造物にも認められ、摂理と自由の問題の解決が図られた。だが、キリスト教の教義や奇跡を法則によって合理的に説明する態度は、ボシュエやアルノーらとの激しい論争を生んだ。また彼は幾何学者、自然学者でもあり、『運動伝達論』などの業績で、1699年科学アカデミーの会員にも選ばれている。
[香川知晶 2015年6月17日]
『竹内良知訳『真理の探求』(1949・創元社)』▽『桂寿一著『デカルト哲学とその発展』(1966・東京大学出版会)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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