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ミコヤン ミコヤン Mikoyan, Anastas Ivanovich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミコヤン
ミコヤン
Mikoyan, Anastas Ivanovich

[生]1895.11.25. チフリス(現トビリシ),サナイヤン
[没]1978.10.21. モスクワ
ソ連の政治家。チフリスの神学校卒業。 1915年ボルシェビキに加入し,カフカズにおける革命運動の指導者の1人となった。 19年9月モスクワで党中央委員会の指令を受け,アゼルバイジャン共産党の組織化に成功。

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デジタル大辞泉の解説

ミコヤン(Anastas Ivanovich Mikoyan)

[1895~1978]ソ連の政治家。第二次大戦前から経済閣僚として重きをなした。副首相・ソ連最高会議幹部会議長などを歴任。1965年引退。

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百科事典マイペディアの解説

ミコヤン

ソ連の政治家。アルメニア出身。ロシア革命,内戦期にカフカスで革命運動を指導。1935年ソ連共産党政治局員。1930年代―1950年代に副首相,貿易相等として商業・貿易・物資供給に活躍。
→関連項目ミコヤン

ミコヤン

ソ連の航空機設計家。アルメニア生れ。政治家のミコヤンの弟。1936年空軍大学卒。1939年から戦闘機の開発主任となり,ミグ(MiGシリーズを設計して世界的名声を保持。

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世界大百科事典 第2版の解説

ミコヤン【Anastas Ivanovich Mikoyan】

1895‐1978
ソ連邦の政治家。アルメニア人の革命家として,1915年にソ連邦共産党の前身であるロシア社会民主労働党に入党。17年からの革命に際してはアゼルバイジャンのバクーで活躍し,20年のバクー労働者の武装蜂起に参加。この後ニジニ・ノブゴロド(現,ゴーリキー)をはじめとして地方党機関においてスターリン主流派の党官僚として活動した。23年に中央委員となって76年までその地位にあり,1926年から政治局員候補,外国貿易・国内商業人民委員として,商業,貿易の組織化を行った。

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大辞林 第三版の解説

ミコヤン【Anastas Ivanovich Mikoyan】

1895~1978) ソ連の政治家。スターリンのもとで商業・貿易関係の要職を務めるが、1956年の党大会でスターリン批判の口火を切る。64年に最高会議幹部会議長、65年引退。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ミコヤン
みこやん
Анастас Иванович Микоян Anastas Ivanovich Mikoyan
(1895―1978)

ソ連の政治家。11月25日にアルメニアに生まれる。公式には大工の息子といわれている。チフリス(現トビリシ)の神学校を卒業後、1年間、神学大学で学ぶ。1915年にボリシェビキ党に入り革命運動に従事。1922年に党中央委員候補に選ばれ、1923年に中央委員、1926年に党中央委政治局員候補となり、内外商業人民委員として初入閣。1935年に政治局員に昇格、1937年には人民委員会議副議長(副首相)となる。第二次世界大戦中は国家防衛委員会委員として食糧や燃料の供給で活躍。戦後も1946年から1955年までは副首相、それ以降1964年までは第一副首相を務める。1964年7月には最高会議幹部会議長(国家元首)となり、10月のフルシチョフの解任では重要な役割を果たした。1965年12月に健康上の理由で同議長を辞し、1966年春には党中央委幹部会員の地位からも引退した。1978年10月21日にモスクワで死去した。[中西 治]
『小川政邦・上田津訳『ミコヤン回想録1 バクー・コンミューン時代』(1973・河出書房新社)』

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