ミハイロフスキー(読み)みはいろふすきー(英語表記)Николай Константинович Михайловский/Nikolay Konstantinovich Mihaylovskiy

デジタル大辞泉 「ミハイロフスキー」の意味・読み・例文・類語

ミハイロフスキー(Nikolay Konstantinovich Mikhaylovskiy)

[1842~1904]ロシアの思想家ナロードニキ運動の代表的理論家として雑誌「祖国雑記」「ロシアの富」に多くの評論を執筆。著「進歩とは何か」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ミハイロフスキー」の意味・読み・例文・類語

ミハイロフスキー

  1. ( Nikolaj Konstantinovič Mihajlovskij ニコライ=コンスタンチノビチ━ ) ロシアの社会思想家、文芸批評家ナロードニキの代表的理論家として一八七〇~八〇年代に活躍し、文学社会性を強調した。著に「個性のための闘い」、ドストエフスキー論「残酷なる才能」など。(一八四二‐一九〇四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミハイロフスキー」の意味・わかりやすい解説

ミハイロフスキー
みはいろふすきー
Николай Константинович Михайловский/Nikolay Konstantinovich Mihaylovskiy
(1842―1904)

ロシアのナロードニキの理論家。没落貴族の家庭に生まれ、鉱山学校に学ぶ。1860年代末から『祖国雑記』誌の中心的論客として青年層に多大な影響を与えた。『進歩とは何か?』(1869)でスペンサーの社会有機体説を批判し、社会的分業が現実の人間にとっては退歩であると主張し、反資本主義、共同体社会主義というナロードニキの中心思想を基礎づけた。これはのちにレーニンによって主観的社会学として批判されるが、歴史発展類型と段階という区分は、いまなお学問的独創性を失ってはいない。主著の標題『個性のための闘い』(1875~1876)が示すとおり、彼は社会主義における個性の問題を終生追究した。その点でゲルツェンの継承者と目される。ナロードニキの心情を「悔悟する貴族」と形容し、生涯亡命せずその立場を貫いた。主要論文には、ドストエフスキー文学を病理学的に分析した『残酷な才能』(1882)や、「批判的に思考する個人」の責務を説いた『英雄と群衆』(1882)がある。

[渡辺雅司]

『石川郁男訳『進歩とは何か』(1994・成文社)』『A・ヴァリツキ著、日南田静真他訳『ロシア資本主義論争』(1975・ミネルヴァ書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ミハイロフスキー」の意味・わかりやすい解説

ミハイロフスキー
Nikolai Konstantinovich Mikhailovskii
生没年:1842-1904

ロシアの評論家,社会学者,自由主義的ナロードニキの理論家。カルーガ県の貴族の生れであるが,家計破産後ペテルブルグ鉱山技術専門学校に進み,学生運動に参加して1863年退学させられた。文筆活動を職業とし,68年から《祖国雑記》誌に執筆,のち編集にも参加,92年以後《ロシアの富》誌を編集した。当局からしばしば執筆停止や首都追放処分を受けたが亡命を拒み,反動期80年代にも合法,非合法の境界で活動を続け,民主主義的インテリゲンチャの間に大きな影響力をもった。社会学的歴史解釈の著《進歩とは何か》(1869)はイギリスの哲学者スペンサーの社会有機体説を批判しており,ナロードニキ主義の基本文献の一つである。

 彼は〈個人性の原理〉を世界観の中心にすえた。〈個人性〉とは個々の人間を互いに区別する特徴や能力ではなく,人間の分割不可能性,〈全一性〉のことである。彼は分業による社会の多様化に逆比例する個人の内面的多様化と,個人の全一性保持へと向かう運動に進歩を見た。したがって,複雑協業が支配する資本主義社会における〈疎外〉を否定し,単純協業が復活する未来の理想社会を考え,ロシアの農民と農村共同体を,発展の水準ではなく,発展の型という観点から高く評価した。ロシア独自の道を探る彼は,晩年にはマルクス主義批判を展開した。全体的にみて,インテリゲンチャとしての彼の理論は,ナロード(人民)との一体化を目指しつつ,緊張関係をはらんでいる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミハイロフスキー」の意味・わかりやすい解説

ミハイロフスキー
Mikhailovskii, Nikolai Konstantinovich

[生]1842.11.27. メシチョフスク
[没]1904.2.10. ペテルブルグ
ロシアの社会学者。ナロードニキ運動の理論的指導者。貴族の家に生れ,ペテルブルグ鉱山学校中退後,『祖国雑記』『ロシアの富』『人民の意志』などの革命的雑誌の編集に従事。歴史における個人の役割を重視する立場から客観主義的社会観に反対し主観主義的社会観を提唱。また批評家としては純粋芸術派に対抗して文学の社会性を主張した。主著『進歩とは何か?』 Chto takoe progress? (1869) のほか,ドストエフスキー,トルストイを論じたものがある。

ミハイロフスキー
Mikhailovskii, Nikolai Georgievich

[生]1852
[没]1906
ロシアの小説家。筆名 Garin。鉄道建設の技師としてシベリアで働きながら著作を続けた。代表作『学生』 Studenty (1895) ,『技師』 Inzhenery (1907) 。

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百科事典マイペディア 「ミハイロフスキー」の意味・わかりやすい解説

ミハイロフスキー

ロシアの社会思想家。ナロードニキ主義の理論家で,《祖国雑記》《ロシアの富》両誌の編集者。ロシアは,政府による資本主義化の道と,共同体(ミール)を基礎とする道との岐路に立っていると考え,後者をとることを主張した。主著《進歩とは何か》(1869年)はナロードニキ主義の基本文献の一つ。文芸評論もある。

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世界大百科事典(旧版)内のミハイロフスキーの言及

【ナロードニキ】より

…この楽観主義は政治的には穏健改良的な立場を導き,〈合法的ナロードニキ〉とよばれる人々を生み出した。 この動揺転換期に変わることなくナロードニキの哲学者として強い影響を保持したのはミハイロフスキーである。彼は,《祖国雑記》や《ロシアの富》誌などでの評論活動を通じて分業批判の進歩観,批判的主観主義を説いた。…

※「ミハイロフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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