ロシアのナロードニキの理論家。没落貴族の家庭に生まれ、鉱山学校に学ぶ。1860年代末から『祖国雑記』誌の中心的論客として青年層に多大な影響を与えた。『進歩とは何か?』(1869)でスペンサーの社会有機体説を批判し、社会的分業が現実の人間にとっては退歩であると主張し、反資本主義、共同体社会主義というナロードニキの中心思想を基礎づけた。これはのちにレーニンによって主観的社会学として批判されるが、歴史発展の類型と段階という区分は、いまなお学問的独創性を失ってはいない。主著の標題『個性のための闘い』(1875~1876)が示すとおり、彼は社会主義における個性の問題を終生追究した。その点でゲルツェンの継承者と目される。ナロードニキの心情を「悔悟する貴族」と形容し、生涯亡命せずその立場を貫いた。主要論文には、ドストエフスキー文学を病理学的に分析した『残酷な才能』(1882)や、「批判的に思考する個人」の責務を説いた『英雄と群衆』(1882)がある。
[渡辺雅司]
『石川郁男訳『進歩とは何か』(1994・成文社)』▽『A・ヴァリツキ著、日南田静真他訳『ロシア資本主義論争』(1975・ミネルヴァ書房)』
ロシアの評論家,社会学者,自由主義的ナロードニキの理論家。カルーガ県の貴族の生れであるが,家計破産後ペテルブルグ鉱山技術専門学校に進み,学生運動に参加して1863年退学させられた。文筆活動を職業とし,68年から《祖国雑記》誌に執筆,のち編集にも参加,92年以後《ロシアの富》誌を編集した。当局からしばしば執筆停止や首都追放処分を受けたが亡命を拒み,反動期80年代にも合法,非合法の境界で活動を続け,民主主義的インテリゲンチャの間に大きな影響力をもった。社会学的歴史解釈の著《進歩とは何か》(1869)はイギリスの哲学者スペンサーの社会有機体説を批判しており,ナロードニキ主義の基本文献の一つである。
彼は〈個人性の原理〉を世界観の中心にすえた。〈個人性〉とは個々の人間を互いに区別する特徴や能力ではなく,人間の分割不可能性,〈全一性〉のことである。彼は分業による社会の多様化に逆比例する個人の内面的多様化と,個人の全一性保持へと向かう運動に進歩を見た。したがって,複雑協業が支配する資本主義社会における〈疎外〉を否定し,単純協業が復活する未来の理想社会を考え,ロシアの農民と農村共同体を,発展の水準ではなく,発展の型という観点から高く評価した。ロシア独自の道を探る彼は,晩年にはマルクス主義批判を展開した。全体的にみて,インテリゲンチャとしての彼の理論は,ナロード(人民)との一体化を目指しつつ,緊張関係をはらんでいる。
執筆者:松原 広志
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…この楽観主義は政治的には穏健改良的な立場を導き,〈合法的ナロードニキ〉とよばれる人々を生み出した。 この動揺転換期に変わることなくナロードニキの哲学者として強い影響を保持したのはミハイロフスキーである。彼は,《祖国雑記》や《ロシアの富》誌などでの評論活動を通じて分業批判の進歩観,批判的主観主義を説いた。…
※「ミハイロフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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