ミール(英語表記)mir

デジタル大辞泉 「ミール」の意味・読み・例文・類語

ミール(Mir/Мір)

ベラルーシ、フロドナ州の町。首都ミンスクの南西約80キロメートルに位置する。2000年に「ミール地方の城と関連建物群」の名称で世界遺産文化遺産)に登録されたミール城があることで知られる。

ミール(meal)

トウモロコシ・麦・豆などをひき割って粗い粉にしたもの。「コーンミール」「オートミール

ミール(〈ロシア〉mir)

ロシアの農村共同体。古くから自治的機能をもち、長老の選出、租税・小作料などの負担の責任、耕地の定期割り替えなどを行った。1917年の革命で消滅。オプシチナ

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精選版 日本国語大辞典 「ミール」の意味・読み・例文・類語

ミール

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] meal )
  2. 麦、トウモロコシなどをひき割って粗い粉にしたもの。「オートミール
  3. 食事。「ミールクーポン」 〔外来語辞典(1914)〕

ミール

  1. 〘 名詞 〙 ( [ロシア語] mir ) ロシア特有の農村共同体。オプシチナともいう。一三世紀から二〇世紀初頭まで続く。私有制と共有制の共存が特徴。一九〇六年のストルイピンの改革によって衰微。

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改訂新版 世界大百科事典 「ミール」の意味・わかりやすい解説

ミール
mir

ロシアの農村共同体のことで,オプシチナobshchinaとも,オプシチェストボobshchestvoともいう。ロシアでも古くは血縁的共同体が存在していたが,階級社会の成立とともに地縁的農村共同体に発展した。古代ルーシ時代にはベルフィverv'と呼ばれていた。近代ロシアのミールの起源については,ミールを原始的・古代的共同体の遺制とみなす連続説をとる学者と,近代になってツァーリズムが創出したとみなす断続説をとる学者がおり,明確になっていない。

 ロシア社会におけるミールの特質は,西欧では農村共同体が資本主義の成立・発展とともに解体したのに,ロシアでは資本主義がある程度発達したにもかかわらず解体せず,1917年のロシア革命とその後の農業における社会主義建設の過程で一定の役割を果たした点にある。1861年の農奴解放のときに体制側では,土地つきで農民を解放する場合に西欧的独立自営農民を育成すべきか,あるいはミールを維持強化すべきかが大きな問題になったが,結局,買戻金と税金を徴収する際の便宜を考えて,ミールを維持強化し,ミール単位で農民に土地を分与することにした。そのためにミールは農奴解放以後に強化されることになった。

 ミールは一般に村長(スターロスタstarosta)と家長からなる村会(スホードskhod),長老会と慣習法からなり,土地を共同で所有するが,経営は個別的に行うという,いわゆる固有の二元性をもっていた。また農民の自然発生的自治組織であり,原始的な行政権と司法権をもっていたが,体制側が支配の道具,とりわけ税金と賦役を課すために利用したために,ミールは農民の自治組織であると同時に,体制側の支配の道具という二重の性格をもつに至る。ミールの土地のうち屋敷地は,個々の農民・共同体員の私的所有に近く,耕地や牧場,森林は共同体的所有であり,また耕地は個別的に利用され,定期的に割替えの対象になっていたのに対して,牧場と森林は共同で利用されていた。農奴解放以後の資本主義の急速な発展のなかで,ミールはロシアの西部では解体し始めていたが,中央部では完全に機能し,東部では萌芽状態にあった。

 ミールのロシア史における特質については,保守派のスラブ派がミールを,農村に資本主義という害毒が進出し,ロシアに土地のないプロレタリアートが発生するのを防ぐ防壁と考え,左翼のナロードニキはミールが存在するゆえに,ロシア社会が資本主義を経過しなくても社会主義に移行できると主張したのは,著名な事実である。これに対して自由主義的西欧派やロシア・マルクス主義者は,ロシア社会も西欧と同じ発展の道を歩むべきだと主張し,ミールの進歩性を否定した。ロシア人は,ミールの歴史的役割をめぐって女帝エカチェリナ2世の時代から200年も論争を続けており,世界史に他に例のないような研究史と膨大な史料を残している。

 ミールは,19世紀末まではツァーリズムの支柱の役割を負わされていた。ミールの特徴とされている土地割替えも人頭税の導入と関係して発生したものらしい。しかし20世紀初めになるとミールの役割は質的に転換し,専制と地主貴族に対する村ぐるみの闘争の拠点になる。農民自身の自治体という性格が強く現れたのである。そのために体制側は共同体所有神聖不可侵という伝統的政策を放棄して,共同体的農村を西欧化する政策に転換することを余儀なくされる。これが1906年末に始まるストルイピンの土地改革である。ストルイピンは,権力を行使しミールを解体して独立自営農民を創出し,保守的自作農を支柱とするツァーリズムの近代化をはかったが,農民の大多数や反動的地主の抵抗,第1次世界大戦の勃発によって失敗に終わる。1917年に革命が起こると農民は,自然発生的にミールを復活・強化し,ミールを中心に村ぐるみで周辺の地主領地を奪取し,それをミール間に分配するという,いわゆる総割替運動を展開し,ツァーリズムの地方権力機構をつぎつぎに破壊した。ミールはこうしてロシアの社会的再生,非資本主義的発展の拠点という役割をいやおうなしに負わされることになった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミール」の意味・わかりやすい解説

ミール(宇宙ステーション)
みーる
Mir

旧ソ連が1986年に打ち上げた軌道科学宇宙ステーションソ連崩壊後はロシアが管理。ミールはロシア語で「平和」という意味。有人、無人の宇宙船とドッキングするための結合ユニットを6基もつ、大規模な「宇宙基地」で、「第三世代の宇宙ステーション」ともいわれた。ミール本体は直径約4メートル、長さ約13メートル、重さ約20トンだが、ドッキングを繰り返し、全長約30メートル、総重量約130トンに及んだ。最大9人が暮らせるが、飛行が長期にわたる場合などは5、6人が適当とされた。1986年2月にバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、以後、ソユーズサリュートとのドッキングを続けるなど活発な活動を行った。1988年12月には、ソ連飛行士2人が1年間という宇宙滞在記録を樹立。また1992年3月には、ソ連崩壊のあおりをうけて滞在を余儀なくされていた飛行士が313日ぶりに地球に帰還するというニュースもあった。その後、国際宇宙ステーション建設の実験のためスペース・シャトルとのドッキングなどを行った。老朽化が激しく、2000年春の廃棄が決定されたが、2000年に入ると、外国の民間資金を調達して運用期間を延長する計画が動き出した。しかし、12月ロシア政府は廃棄を正式に決定。2001年3月ミールは南太平洋上に落下した。

[長沢光男]



ミール(ロシアの共同体)
みーる
мир/mir ロシア語

ロシアの農村共同体、土地共同体または共同体の集会をさす。「オプシチナ」община/obshchinaともいう。起源については、古代ロシアの村落共同体に由来するという説と、後の農奴制の確立、人頭税の徴集に始まるとする説が対立している。古くは農民の集会としての自治的機能が重要であり、長老の選出、税と土地の割当てなどがここで決議された。16世紀以降には、担税者の登録や租税、地代の負担の決定がミール構成員の連帯責任を条件として行われるようになった。その結果、土地の定期割替えと共同耕作の慣行が導入されるに至った。とくに18世紀の人頭税導入後は、土地の配分が、通常、農民夫婦を一単位とする課税単位「チャグロ」を基準として行われ、中央ロシアでは、土地の位置と質の差による負担の軽重を平均化するための均等的な定期割替えが一般的になった。ミールはまた、貧困・老病者の救済、共同施設の運用などにも携わった。この自治的組織には地主や国家の干渉が強く加わり、とくに農奴解放(1861)後は、農民が国家から受けた土地購入用融資の返済責任がミールに課せられた。ストルイピン改革(1906~11)により、農民にミール脱退の自由が認められた。スラブ主義者スラボフィル)はミールを理想化し、人民主義者(ナロードニキ)はロシア社会の発展可能性をこのなかにみた。なお、モスクワ時代(15世紀なかば~17世紀)には、町人の構成するミールも存在した。

[伊藤幸男]

『保田孝一著『ロシア革命とミール共同体』(1971・御茶の水書房)』『ダニーロフ著、荒田洋・奥田央訳『ロシアにおける共同体と集団化』(1977・御茶の水書房)』


ミール(インドの詩人)
みーる
Mīr
(1722―1810)

インドのウルドゥー語詩人。アグラに生まれる。10歳で孤児となり、デリーに移った。叙情詩(ガザル)にとくに優れ、後代のガーリブとあわせてガザルの二大巨匠と称される。60歳のときにラクナウに移ったが、一生を不満のうちに過ごした。彼の詩は人生への懐疑や厭世(えんせい)感を格調高い簡潔な表現と、流れるように美しい韻律で表しているところに大きな特徴がある。『ミール詩全集』は多くの異本が出版され、広く愛読されている。彼自身がペルシア語で書いた『詩人評伝』(1751)はウルドゥー語詩人103名を扱い、最初のウルドゥー詩人伝として文学史上にきわめて重要な作品である。

[鈴木 斌]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミール」の意味・わかりやすい解説

ミール
mir

オーブシチーナとも呼ばれる。伝統的なロシアの農村共同体。ミールの起源はきわめて古いと考えられるが,封建的諸関係の発達とともに 15~16世紀頃から各郷 (ボーロスチ) の農民が長老 (スターロスタ) をはじめ共同体の役員を選挙し,これらの役員が森林,漁・猟場の伐採権,入会権を決めるようになった。 17~18世紀を通じて農奴制が強化されるとともに,このような共同体の自治は,政府や地主によって次第に制限されるようになり,18世紀の初めに人頭税が制定されると,地主領の農奴はミールごとに耕地の定期的割替えを行うようになった。 19世紀の初頭にはこれが国有地農民にも及んで,1838年の法令で公認されるにいたり,ミールは税の負担を連帯責任とした。 61年の農奴解放以後,ミールの成員は集会 (スホード) を開いて長老を選挙し,ミール内部のことは自主的に取決めたが,89年にはこの集会も政府の管理下におかれるようになった。 1905年の革命後 P.A.ストルイピンの改革で私有地振興政策がとられ,ミールは衰退した。このミールの制度はロシア独特のものとしてスラブ主義者によって高く評価されたが,他方 A.I.ゲルツェンのような人民主義者も,これをロシアが資本主義を経過することなく直接社会主義へ移行する基盤であると宣伝した。

ミール
Mir

ソビエト連邦,ロシアの第3世代軌道科学宇宙ステーション。ロシア語で「平和」「世界」の意味。『サリュート』の機能を引き継ぐため,1986年2月20日に最初のモジュールが打ち上げられた。重量 20t,直径 4.15m,全長 13.1m,太陽電池パドル展開長 30m,発生電力約 10kW,乗員 5~6人。六つのドッキングポートをもち,1987~96年の間に拡張モジュール「クバント」など五つのモジュールのドッキングを経て完成。アメリカ合衆国のスペースシャトルとのドッキングも果たした。1986年3月以降 2000年6月まで,ほぼ恒常的に宇宙飛行士が滞在し,1994年1月~1995年3月にはロシアのワレリー・V.ポリャコフが 437日と 18時間にわたる宇宙滞在記録を樹立した。1990年代後半に入ると老朽化のため事故が多発,1999年8月廃棄を前提とした無人飛行に移行した。2000年4月『ソユーズ』がドッキングに成功し有人運航を再開したが,2000年11月,ロシア政府は太平洋上に落下させることを決定,2001年3月23日に実行された。

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百科事典マイペディア 「ミール」の意味・わかりやすい解説

ミール

ロシア語で農村共同体の意。ロシア革命前の村会をいうこともある。古くから存在した農村の自治組織で,戸主が長を互選し,土地割付や租税の割当て等を行った。ロシア革命で消滅。ナロードニキ(たとえばミハイロフスキー)やスラブ派の運動家はミールを基盤とする農村社会主義の実現を主張。
→関連項目ゲルツェンザスーリチ土地割替制度

ミール(宇宙船)【ミール】

ソ連(現ロシア)の宇宙ステーション。1986年2月に打ち上げられた。重量約20t,直径約4m,全長18mでサリュートよりもやや大きく,外部ドッキング装置が六つある。ソユーズ,サリュートに次ぐ第三世代の宇宙ステーションと称される。1995年6月には米国のスペースシャトルとのドッキングが行われた。しかし,財政難の中で老巧化が進み,2001年3月には太平洋に廃棄された。ミールとはロシア語で平和の意。
→関連項目宇宙ステーションサリュートスペースシャトルソユーズ

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミール」の解説

ミール
mir

ロシアの農村共同体
古くから農民の自治組織であったが,15〜16世紀以来,農奴制の強化とともに租税や賦役の連帯責任を負い,農地の割り付けなどを行うことになった。1861年の農奴解放後も農民の共同組織として残り,地主からの土地購入と,その支払いの責任や共同利用の責任をもつことになったが,1906年のストルイピンの農地改革で一部廃止され,17年の革命で復活、のち集団化し、コルホーズとなった。

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デジタル大辞泉プラス 「ミール」の解説

ミール〔実在動物〕

秋田県知事、佐竹敬久の飼い猫。サイベリアンのオス。2012年2月生まれ。ロシアから贈呈。同年7月にロシアのプーチン大統領に秋田犬(メス、名前は「ゆめ」)を贈ったお礼として8月に来日。狂犬病検査のため成田空港に180日留め置きされ、2013年2月に秋田県庁で贈呈式が行われた。名称はロシア語で「平和」を意味する。

ミール〔秋田魁新報社〕

秋田魁新報社のマスコット・キャラクター。2007年登場。黄色。「ヨムトン」「シルル」との3人組。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミール」の解説

ミール
mir

ロシアの農村共同体。古くから存在した自治組織とみる説と近代に国家が創出したとみる説がある。各農家の戸主の集まりで,長を選ぶとともに,租税その他の賦課に対し連帯責任を負い,農地の定期的な割替を行った。ロシア革命後も存続した。

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世界大百科事典(旧版)内のミールの言及

【ロシア】より

…61年の勅令によって農奴身分から解放されたあとも,地主から分与された土地に対して買戻金を支払わなければならなかった。
[村むらのくらし]
 帝政期には国有地と地主の領地とを問わず,農民たちは村単位でミールmirあるいはオプシチナobshchinaと呼ばれる共同体をつくっていた。納税や年貢や兵役などの義務を共同体が連帯責任の形で負っていたのである。…

【モスクワ・ロシア】より


【経済と社会】

[農民,領主]
 モスクワ・ロシアでは農業技術はなお低く,寒冷な北部はもとより中央部でも,農民の生活は農耕のほか林間での養蜂,狩猟,採集と漁労に大きく依存し,自然災害,疫病,強盗,戦乱の被害も少なくなかった。農家はふつう広い森林に1ないし2~3戸単位で散在し,多数戸の部落の発生は16世紀末からとされるが,これら部落の中心は教会のある村で,この村をいくつか含む郷がミール(共同体)を構成した。官憲や領主も直接ミールの生活に関与することは少なく,長老(スターロスタ)などの役職が外部世界との接点をなし,国税や領主への貢租もミールの集会で各戸に割り当てられた。…

【ロシア】より

…61年の勅令によって農奴身分から解放されたあとも,地主から分与された土地に対して買戻金を支払わなければならなかった。
[村むらのくらし]
 帝政期には国有地と地主の領地とを問わず,農民たちは村単位でミールmirあるいはオプシチナobshchinaと呼ばれる共同体をつくっていた。納税や年貢や兵役などの義務を共同体が連帯責任の形で負っていたのである。…

※「ミール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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