日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミラノ公国」の意味・わかりやすい解説
ミラノ公国
みらのこうこく
北イタリアのミラノMilanoを中心とした公国。1277年以後、ビスコンティ家がミラノの支配者的存在となり、1349年以降その支配は世襲となった。1395年、同家のジャン・ガレアッツォは神聖ローマ皇帝より公位を得、ミラノ公国が成立した。彼はイタリアの覇権を目ざし、北・中部に領土を拡大し、イタリア随一の強国を形成したが、1402年に没すると、新領土の多くは失われた。彼の下で経済が発展し、ミラノ大聖堂が着工され、パビーア大学が発展した。1447年、同家の男子直系の断絶により一時共和制が復活したが、支配領域が離反した。1450年、同家の庶子と結婚していた傭兵(ようへい)隊長フランチェスコ・スフォルツァが武力で公位についた。スフォルツァ家の支配下でミラノは繁栄の頂点を迎え、その宮廷はルネサンス文化の一大中心となり、レオナルド・ダ・ビンチも身を寄せた。1499年フランス国王の支配下に入り、その後公国は1540年にスペインの属国となった。
[斉藤寛海]