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メルビル(読み)めるびる(英語表記)Herman Melville

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メルビル(Herman Melville)
めるびる
Herman Melville
(1819―1891)

アメリカの小説家、詩人。8月1日、ニューヨーク市マンハッタンのパール街6番地に貿易商の第3子として生まれる。両親とも古い家柄を誇る名門の出。商売に失敗した父は、1832年莫大(ばくだい)な負債を残し精神錯乱のうちに病死し、このためメルビルは12歳で中途退学し、不況下さまざまな職を転々とし、僻地(へきち)の小学校で代用教員を勤めたこともある。また小説の習作を手がけ、失恋したり、衝動的な放浪の旅に出たりする。39年、リバプール行きの貨物船に乗り組み、イギリスの近代工業都市の繁栄と悲惨をつぶさに観察し、この体験が第4作『レッドバーン』(1849)に織り込まれる。さらに41年、捕鯨船に乗り組み、南太平洋のマルケサス諸島水域で相棒とともに捕鯨船から脱走し、なかば囚(とら)われの身となって島の先住民と1か月ほど生活をともにする。この体験が処女作『タイピー』(食人種とされたタイピー人のこと。1846)のモチーフで、先住民の原始的無垢(むく)を賛美するロマンチックな作品である。彼は島を脱走してふたたび捕鯨船に乗り組み、タヒチ島その他の島々を放浪する。この体験が第2作『オムー』(放浪者を意味する土語。1847)に生かされる。帰国に際してはアメリカ海軍の水兵となり、この軍艦生活を第5作『白ジャケット』(1850)に取り上げ、艦内の体刑場面を描いたことから、この悪弊が廃止されるきっかけをつくったといわれる。
 4年近い南海の放浪生活のあと作家生活に入り、外的世界の遍歴から精神の遍歴へと移行してゆく。1847年マサチューセッツ州判事の娘エリザベスと結婚。上述の4作はいずれも虚構化された旅行譚(たん)の趣(おもむき)を帯びているが、第3作『マーディ』(1849)は同じく南海を舞台にしているものの、純粋無垢な美の探求というアレゴリーに同時代の社会風刺を込め、さらに形而上(けいじじょう)学的瞑想(めいそう)をない交ぜた幻想小説である。『白ジャケット』完成後は、『マーディ』で展開した作風をさらに徹底し、またルネサンス期の文人やロマン派作家たちの思想を貪婪(どんらん)に吸収しながら、『白鯨(はくげい)』(1851)の構想を練る。50年8月には、マサチューセッツ州西部の避暑地で『緋文字(ひもんじ)』(1850)の作者ホーソンと親交を結ぶ。やがて1年数か月を費やして『白鯨』を完成。巨大な白い抹香鯨(まっこうくじら)モービィ・ディックに片脚を咬(か)み取られた初老の捕鯨船長エイハブが復讐(ふくしゅう)の鬼と化して追跡するが、最後に船もろとも海底の藻屑(もくず)と消える物語で、哲学的瞑想を随所にちりばめた叙事詩的大作。しかしこの作品は作者が期待したほど評判にはならず、ただちに次作の長編『ピエール』(1852)の執筆にとりかかる。姉弟の近親相姦(そうかん)を描いてニヒリズムの深淵(しんえん)を秘め、後期エリザベス朝悲劇のように累々(るいるい)たる死屍(しし)を連ねて終わるこの作品は、『白鯨』を上回る悲惨な失敗作となった。『ピエール』以後は、中編や短編を雑誌に発表し、これらの一部を集めた『ピアザ物語』(1856)には『バートルビー』『ベニト・セレーノ』『魔の島々』などの佳作が収められている。そのほか長編として、独立戦争を背景にした歴史小説『イスラエル・ポッター』(1855)、ミシシッピ川の蒸気船で詐欺を働く男を中心に新興アメリカ社会の価値観を揶揄(やゆ)するブラック・ユーモア的作品『詐欺師』(1857)がある。以後は二十数年間にわたって散文創作の筆を折ることになる。『詐欺師』完成と同時に岳父からの借財により、健康回復の希望をもって、聖地エルサレム巡礼を兼ねる7か月の地中海旅行に出かけた。
 南北戦争勃発(ぼっぱつ)(1861)とともに詩作を試み、『戦争詩集』(1866)を出版したが、完全に黙殺される。1866年ニューヨークの税関に職を得て、19年間、外面的には単調な日々を過ごす。その間、長男がピストル自殺し、次男が家出して放浪のうちに病死。しかし彼は詩作に没頭し、かつての聖地巡礼の思い出を中心に展開される長編物語詩『クラレル』(1876)を世に問う。この1万8000行を超える大作のなかで、メルビルは、西欧文明にかかわるキリスト教の運命を問い、ヨーロッパ全土を襲った革命の嵐(あらし)と無神論の波へ率直な懐疑を吐露し、南北戦争以降堕落をたどるアメリカ民主主義への幻滅を「民主主義の暗黒時代」ととらえて謳(うた)った。
 税関の職を退いたあと、18世紀末のイギリス海軍を背景に1人の若い純朴な水兵の悲劇を描く中編『ビリー・バッド』(1924、死後刊行)にとりかかり、いちおう完成したところで、1891年9月28日、心臓拡張症のため死去。葬儀は親類縁者や知人ら十数名が参列したのみだった。第一次世界大戦後、再評価の気運が高まり、『メルビル著作集』全16巻(1922~24)がロンドンで刊行された。宇宙論的幻視に覆われたメルビルの文学は「自然と文明」「人間の運命」の主題に挑み、深いペシミスティックな洞察に貫かれている。[杉浦銀策]

短編

『白鯨』『ピエール』の商業的失敗は、メルビルを新分野の短編小説に向かわせた。その結果が短編集『ピアザ物語』The Piazza Tales(1856)で、珠玉の傑作短編が収められている。
『バートルビー』 ニューヨークのウォール街で俗っぽい弁護士に書記として雇われ、やがて仕事を拒否、事務所からの立ち退きも断り、ついに刑務所で飢え死にする一青年の物語。以前ワシントンの郵便局で配達不能便の処理に携わっていた青年が、いっさいの弁明を拒否しながら、静かに自らの生から遠ざかってゆく姿には、カフカ的な孤独の影が漂う。
『ベニト・セレーノ』 19世紀初頭に実際に起こった事件をモチーフにしている。南米の植民地の港を出航したスペインの黒人奴隷船で反乱が起こり、奴隷所有者以下多数のスペイン人が虐殺され、船長ベニトは人質として捕らわれる。この漂流船に乗り込んだ海豹(かいひょう)猟船のアメリカ人船長は、気むずかしい白人船長に仕える黒人召使いになりすました反乱の首魁(しゅかい)を、土壇場まで見抜けなかったが、結局船は白人に奪回され、反乱奴隷はペルーのリマで処刑される。奴隷制度下の黒人の従順は仮面にすぎず、彼らの白人への憎悪と怨念(おんねん)は白人の想像を絶するものがあることを示唆している。
『魔の島々』 ガラパゴス諸島の、一種呪(のろ)われた荒れ地に取り残された人間の孤独が、惻々(そくそく)と読者の胸を打つ。
『乙女(おとめ)たちの地獄』 機械の奴隷として自動人形化してゆく女工たちと、反対に巨大な生物のようにふるまう機械との対照をとらえ、製紙工場のある窪地(くぼち)が巨大な女体の子宮と化することによって、初めて大判洋紙の生産が可能になる近代文明のグロテスクな機構を予言的に描いてみせた作品。[杉浦銀策]
『坂下昇訳『メルヴィル全集』全12巻(1981~84・国書刊行会) ▽杉浦銀策訳『乙女たちの地獄――メルヴィル中短編』(1983・国書刊行会) ▽阿部知二著『メルヴィル』(1934/復刻版・1980・研究社出版) ▽寺田建比古著『神の沈黙――ハーマン・メルヴィルの本質と作品』(1968・筑摩書房) ▽杉浦銀策著『メルヴィル――破滅への航海者』(1981・冬樹社)』

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