メンドサ(英語表記)Mendoza, Antonio de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

メンドサ
Mendoza, Antonio de

[生]1490頃
[没]1552. リマ
スペインの植民地行政官。 1530年ヌエバエスパーニャ (新スペインの意。現メキシコ) 初代副王として,H.コルテスの専横を抑制し,インディオの救済,農鉱業の発達,教育施設,病院の設置などに多くの業績を残した。 51年リマ副王となったが翌年没した。新大陸における最もすぐれた行政官の一人とみなされている。

メンドサ
Mendoza, Juan González de

[生]1545. トレシリアデカメロス
[没]1618.2. ポパヤン
スペインの司教。メキシコでアウグスティノ修道会に入会。国王フェリペ2世による中国への友好使節の一人に加えられ,1581年再度メキシコに渡り,中国への渡航を試みたが,フィリピン総督の反対にあって実現をみなかった。メキシコ滞在中,さまざまな情報,資料をもとに『シナ大王国誌』 Historia de las cosas más notables,ritos y costumbres del gran reino de Chinaを著わし,各国語に翻訳された。

メンドサ
Mendoza, Pedro de

[生]1487
[没]1537
スペインの軍人,探検家。リオデラプラタ初代総督。国王カルロス5世はブラジルにおけるポルトガルの勢力増大の脅威に刺激されて,アルゼンチンを植民地として手中に収めるために,1535年メンドサの率いる探検隊を派遣した。彼の探検隊はその当時までにアメリカへ派遣された探検隊のなかでは最大のものであった (船 11隻,隊員 2150人,馬 100頭) 。ラプラタ川地域を探検後,36年ブエノスアイレス市を建設したが先住民に襲撃され退却し,帰路の船上で没した。

メンドサ
Mendoza, Pedro González de

[生]1428.5.3. グアダラハラ
[没]1495.1.11. グアダラハラ
スペインの聖職者,枢機卿,政治家。詩人サンティリャナ侯の子。カスティリアのエンリケ4世 (不能王) ,次いでイサベル1世の治下で国内政治および外交問題をあずかって活躍。人文学者としても知られ,ホメロスの作品などをカスティリア語に訳したほか,政治,神学,法律などに関する著述がある。バリャドリドのサンタ・クルス大学の創立者でもある。

メンドサ
Mendoza

アルゼンチン中部西寄り,メンドサ州の州都。首都ブエノスアイレスの西北西約 1000km,アンデス山脈東斜面,パラミヨス山脈南東麓のメンドサ川河谷にあり,標高約 760m。チリからやってきたスペイン人により 1561年建設され,1776年ブエノスアイレスに中心をおくラプラタ副王領に編入されるまでチリ領。スペインからの独立運動時には,サン=マルティンの本拠地となり,彼の組織した軍隊はここから発進してアンデスを越え,1817年チリを解放。その記念碑が市を見おろす丘の上に建てられている。市街は 61年の地震により大破,その後都市計画に基づいて近代的市街が建設された。 19世紀末にはイタリア人を中心とした移住者が流入,市の経済発展に貢献。雨の少い乾燥地帯にあるが,周辺の河谷では灌漑により農業が盛ん。市はその中心地としてブドウ,果実,野菜,穀物,アルファルファなどを集散し,ワイン醸造,干しぶどうづくりを中心とした食品加工業が盛ん。石油化学工場も立地する。国立クヨ大学 (1939) をはじめとする高等教育機関,劇場,博物館などのある文化都市でもある。同国西部の交通の要地で,ブエノスアイレスからアンデスを越えてチリに通じる鉄道とパンアメリカン・ハイウェーが通る。人口 12万 1696 (1991推計) 。

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百科事典マイペディアの解説

メンドサ

スペインのアウグスティヌス会宣教師。フェリペ2世に使節の中国派遣を願い,1581年自らもその一人としてメキシコへ渡ったが現地当局の反対で挫折。1582年帰国してメキシコで集めた資料で《シナ大王国誌》(1585年)を著した。これはヨーロッパ人の手になる初のまとまった中国総論で,すぐにヨーロッパ各国語に訳されて大きな影響を与えた。

メンドサ

アルゼンチン西部,アンデス山麓の都市。標高785mの高原にあり,アンデス横断鉄道・道路の要地。ブドウ栽培,ブドウ酒醸造が盛んで,毎年3月にベンディミア(ブドウの収穫祭)が行われる。1561年創設,1861年の地震でほとんど壊滅したが,近代都市に再生した。11万5000人(2010)。
→関連項目バルパライソメルセダリオ[山]

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世界大百科事典 第2版の解説

メンドサ【Mendoza】

アルゼンチン西部,クージョ地方の都市で同名州の州都。アンデス山脈のふもとに位置し,市の標高は785m。人口12万1739(1991),大都市域人口77万3559(1991)。1561年チリから遠征したカスティージョPedro Ruiz de Castillo(1521‐?)が建設し,チリ総督メンドサにちなみ命名された。以来チリ総督領に帰属していたが,1776年にブエノス・アイレス市を首都とするリオ・デ・ラ・プラタ副王領の設置後その一部となり,1816年アルゼンチンの独立にともない西部の中心都市となった。

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大辞林 第三版の解説

メンドサ【Mendoza】

アルゼンチン中西部、アンデス山脈東麓の都市。チリに通じる鉄道の要地。ワインの産地。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

メンドサ
めんどさ
Mendoza

アルゼンチン西部、メンドサ州の州都。アンデス山脈の山麓(さんろく)、標高750メートルに位置する。都市圏人口10万6007(2001)。近隣4州からなるクーヨ地方の中心都市。乾燥気候であるが、メンドサ川の水を利用した灌漑(かんがい)施設が整備され、集約的農業が営まれている。主産物は果実、穀物、野菜、牧草などで、とくにブドウは国内生産の大半を占め、ぶどう酒、干しぶどうの製造も盛んである。また鉱産物資源に恵まれ、精油、セメント工業が盛んである。1560年代に建設され、以来1776年まではチリの一部であった。スペインとの独立戦争に際しては、サン・マルティン将軍が指揮する独立軍の根拠地となった。1861年に地震で全壊し1万人を超す犠牲者を出したが、都市再建に取り組み近代的都市に生まれ変わった。1885年の鉄道の開通によって国内外からの農業移民が増え、ブドウ栽培などへの入植が進んだ。3月に行われるぶどう祭りが有名である。[今井圭子]

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世界大百科事典内のメンドサの言及

【コデックス】より

…その内容は,先スペイン期のマヤの3絵文書やミステカ系のボルジア絵文書など,メソアメリカで独自に発展した暦法や宗教祭式に関するもの,ミステカのヌッタル絵文書,アステカの遍歴絵文書のような王統譜,年代記類のほか,貢納や土地台帳という実用的なものまで多岐にわたる。植民地初期に行政当局や宣教師の指示でスペイン語のアルファベットを用いて転写,作成されたメンドサ,マグリアベッチ,フロレンシアの絵文書など民族誌的絵文書もあり,征服前後の原住民社会の重要な研究資料となる。メソアメリカ【小林 致広】。…

※「メンドサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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