モネ(英語表記)Monet, Claude

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モネ
Monet, Claude

[生]1840.11.14. パリ
[没]1926.12.5. ジベルニー
フランスの画家。父は食料品商。5歳のとき両親とともにルアーズ近郊サンタドレスに移住。幼少年時,同地の画家 E.ブーダン風景画の手ほどきを受けた。 1859~60年パリのアカデミー・スイスでピサロとともに学ぶ。 60~62年アルジェリアで兵役を終えたのちパリに戻り,ルノアールシスレーらとフォンテンブローの森に居を構えた。普仏戦争当時はロンドンに逃れ,71~72年オランダに滞在。 74年パリで開かれた展覧会に『印象・日の出』など9点の作品を出品し,印象派形成の中心となる。その後も終生,自然の光の効果の描出に努めた。 83年以降ジベルニーに隠棲。 1922年白内障の手術を受ける。主要作品『積みわら』 (1891頃) ,『ポプラ』 (90~91) ,『ルーアンの大聖堂』 (94) および『睡蓮』の連作 (99以降) ,『テムズ河畔』 (99~1904) 。作品の多くはパリのオルセー美術館,マルモッタン美術館オランジュリー美術館,日本では東京の国立西洋美術館などに収蔵されている。 (→印象主義 )  

モネ
Monnet, Jean

[生]1888.11.9. フランス,シャラント,コニャック
[没]1979.3.16. フランス,パリ西郊モンフォールラモリ
フランスの財界人,政治家。コニャック酒取引商の子として生れ,第1次世界大戦中,連合国海運委員会のフランス代表。 1919~23年国際連盟の事務局次長としてオーストリア経済復興計画の実施にあたった。第2次世界大戦が始るとイギリス,フランス間の経済問題調整委員会議長に就任。フランスの降伏後は自由フランス運動に参加,戦時物資購入のためイギリス政府からワシントン D.C.に派遣され,F.ルーズベルト大統領の「勝利計画」の作成に参加。 43年アルジェで国民解放フランス委員会 CFLNに参加。戦後はフランスの近代化委員会長官としてモネ・プランを提案,フランス経済の復興に努力。 50年シューマン・プランの作成に決定的な役割を果し,ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体 ECSCの設立に寄与し,52~55年初代委員長。 55年ヨーロッパ合衆国行動委員会を結成,56~75年同会委員長。 58年ヨーロッパ原子力共同体 EURATOMの発足にも尽力,R.シューマンとともに「ヨーロッパ統合の父」といわれた。 76年ヨーロッパ共同体 EC首脳会議から,「ヨーロッパ名誉市民」の称号が贈られた。

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デジタル大辞泉の解説

モネ(Claude Monet)

[1840~1926]フランスの画家印象派の代表画家。同派呼称は、その作品「印象‐日の出」に由来する。ほかに「睡蓮(すいれん)」など。

モネ(Jean Monnet)

[1888~1979]フランスの実業家政治家。第一次大戦後、国際連盟事務局次長を務めるなど、国際的に活躍。第二次大戦後には、フランスの復興と経済近代化に貢献した。また、欧州石炭鉄鋼共同体ECSC)の創設に尽力しその初代議長を務めるなど、欧州統合に大きな功績を残した。

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百科事典マイペディアの解説

モネ

フランス印象派の中心的画家。パリ生れ。クールベマネ,ブーダンらの影響のもとに,ルノアールとともに色調分割による印象主義の手法を確立。1880年代以降,印象派展からも離れ,自己の芸術を深める方向に進んだ。《積み藁》《ルーアン大聖堂》《唾蓮》等晩年の連作では,時間とともに移ろう光を追って次第に物の形が消え,鮮やかな色彩のかもしだす交響楽的効果が顕著で,のちの抽象表現主義にも影響を与えた。代表作に〈印象主義〉の語が生まれるきっかけとなった《印象・日の出》(1873年,パリ,マルモッタン美術館蔵),《ラ・ジャポネーズ》(1875年,ボストン美術館蔵),《サン・ラザール駅,列車の到着》(1877年,ケンブリッジ,フォッグ美術館蔵)などがある。なお,パリのオランジュリー美術館には大画面の《唾蓮》連作(1916年―1926年)で構成された〈唾蓮の部屋〉がある。
→関連項目オルセー美術館シニャックジャポニスムピサロ

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世界大百科事典 第2版の解説

モネ【Claude Monet】

1840‐1926
フランス印象派の代表的画家。パリに生まれる。幼いとき一家はル・アーブルに移り,海に親しんで成長する。またカリカチュアを好み,町の名士たちの姿を描いていたところを画家ブーダンに発見され,油彩と戸外制作の手ほどきを受けて風景画家の道を歩むことになる。19歳のとき,親の反対を押し切ってパリに出,グレールM.G.C.Gleyreのアトリエやアカデミー・シュイスに通い,後の印象派のグループと親交を深める。バジールとともにバルビゾン近くの村シャイイやフォンテンブローの森で戸外制作を行い,マネに刺激された《草上の昼食》(1865),《庭の女たち》(1866)で,大画面の光あふれる戸外制作の作品を描くが,世に入れられない。

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大辞林 第三版の解説

モネ【Claude Monet】

1840~1926) フランスの画家。色彩分割の技法を用いて自然に及ぼす光の効果を追究し、明色を用いた風景画を描き印象派の代表的画家となる。その作品「印象・日の出」から印象派の呼称が生まれた。

モネ【Jean Monnet】

1888~1979) フランスの政治家。1950年のシューマン宣言を発案し、 ECSC (ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)の成立に尽力。 EU の父と称される。

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世界大百科事典内のモネの言及

【印象主義】より

…クールベはアカデミーと世論に対する戦いぶりで範を示し,また歴史画,神話画,宗教画といった伝統的ジャンルを離れた現代的主題を印象派に教えた。ドービニー,ヨンキント,ブーダンは印象派に先んじて川や海など,光に満ち大気が変化しやすい場所での正確な自然観察を行い,明るく生き生きした画面を作り上げ,特にブーダンはモネの少年時代の直接の師となった。
[革新の内容]
 印象派の革新にはさまざまなものがあった。…

【ブーダン】より

…彼の好んだのはフランドルやオランダの画家だったが,何よりも自然の風景,とりわけ海と空から直接に多くを学ぶ。58年ル・アーブルでカリカチュアを展示していたモネの才能を発見し,この若者に油彩と戸外制作を教えたことが,後の印象派の形成に決定的な役割を果たすことになる。彼自身も,それまでにフランスにわずかしか存在しなかった〈海景画〉という分野を確立し,海と空の移ろいやすい光の状態を描いた。…

※「モネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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