モネ(英語表記)Claude Monet

デジタル大辞泉 「モネ」の意味・読み・例文・類語

モネ(Jean Monnet)

[1888~1979]フランス実業家政治家。第一次大戦後、国際連盟事務局次長を務めるなど、国際的に活躍。第二次大戦後には、フランスの復興と経済近代化に貢献した。また、欧州石炭鉄鋼共同体ECSC)の創設に尽力しその初代議長を務めるなど、欧州統合に大きな功績を残した。

モネ(Claude Monet)

[1840~1926]フランスの画家。印象派の代表画家。同派の呼称は、その作品「印象‐日の出」に由来する。ほかに「睡蓮すいれん」など。

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精選版 日本国語大辞典 「モネ」の意味・読み・例文・類語

モネ

  1. ( Claude Monet クロード━ )[ 異表記 ] モネー フランスの画家。印象主義の代表的画家。ブーダン、マネらの影響下から、印象主義の画風を確立。「積み藁」「ルーアン大聖堂」の連作をはじめ、晩年の「睡蓮」のシリーズなどが有名。(一八四〇‐一九二六

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改訂新版 世界大百科事典 「モネ」の意味・わかりやすい解説

モネ
Claude Monet
生没年:1840-1926

フランス印象派の代表的画家。パリに生まれる。幼いとき一家はル・アーブルに移り,海に親しんで成長する。またカリカチュアを好み,町の名士たちの姿を描いていたところを画家ブーダンに発見され,油彩と戸外制作の手ほどきを受けて風景画家の道を歩むことになる。19歳のとき,親の反対を押し切ってパリに出,グレールM.G.C.Gleyreのアトリエやアカデミー・シュイスに通い,後の印象派のグループと親交を深める。バジールとともにバルビゾン近くの村シャイイやフォンテンブローの森で戸外制作を行い,マネに刺激された《草上の昼食》(1865),《庭の女たち》(1866)で,大画面の光あふれる戸外制作の作品を描くが,世に入れられない。その後もサロン(官展)に作品を送りつづけるが思うように入選せず,普仏戦争とそれに続くイギリス,オランダ旅行ののち,仲間とグループ展を開く計画を実行に移す。こうして1874年第1回印象派展が開かれた(モネは,《印象・日の出》ほかを出品)が,結果はわずかな好意的批評家を除いては悪意に満ちた中傷のうちに終わった。その後も彼らの作品の新しさはなかなか社会に受け入れられず,モネは画商デュラン=リュエル商会の後援によってかろうじて生計を立てていたものの,アルジャントゥイユ時代(1872-78),ベトゥイユVétheuil時代(1878-81)は苦しいものだった。しかし画面はますます輝きを増し,筆触は細かくなり画面から濁色が消えて,とくに朝や夕暮の微妙なニュアンスに深く関心を抱くようになる。83年にジベルニーGivernyに生涯の居を構えてからは仲間との交流も少なくなり,他の画家もみな独自の方向に散ってゆくが,モネにとってこの時期は連作と《睡蓮》の時代であった。かねてから同じ場所,同じような構図を続けて繰り返し描くことを好んでいたが,ジベルニーでは《積みわら》(1890-91),《ポプラ》(1891)などをモティーフに,時間を変えて何枚ものキャンバスを制作し,さらに《ルーアン大聖堂》(1894)では構図を固定したうえで時間と天候の推移による色調の変化だけを追うという試みを行った。また90年ころから《睡蓮》の連作を始め,モティーフは,若いころから関心を持っていた水面にきらめく光の表現から,そこに映る倒立した像と水面との微妙なニュアンスに移ってゆく。やがてオランジュリー美術館に寄贈する8枚の大画面の制作に,このジベルニー時代の全成果を投入する。最晩年に目を患った前後の,荒々しいタッチで描かれた一連の作品(パリ,マルモッタン美術館)は,のちの抽象表現主義に大きな影響を与えた。
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百科事典マイペディア 「モネ」の意味・わかりやすい解説

モネ

フランス印象派の中心的画家。パリ生れ。クールベマネ,ブーダンらの影響のもとに,ルノアールとともに色調分割による印象主義の手法を確立。1880年代以降,印象派展からも離れ,自己の芸術を深める方向に進んだ。《積み藁》《ルーアン大聖堂》《唾蓮》等晩年の連作では,時間とともに移ろう光を追って次第に物の形が消え,鮮やかな色彩のかもしだす交響楽的効果が顕著で,のちの抽象表現主義にも影響を与えた。代表作に〈印象主義〉の語が生まれるきっかけとなった《印象・日の出》(1873年,パリ,マルモッタン美術館蔵),《ラ・ジャポネーズ》(1875年,ボストン美術館蔵),《サン・ラザール駅,列車の到着》(1877年,ケンブリッジ,フォッグ美術館蔵)などがある。なお,パリのオランジュリー美術館には大画面の《唾蓮》連作(1916年―1926年)で構成された〈唾蓮の部屋〉がある。
→関連項目オルセー美術館シニャックジャポニスムピサロ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「モネ」の解説

モネ
Claude Monet

1840~1926

フランスの画家。印象派の指導者。主に風景画を描き,特に光線の微妙に変化する水辺の風景を多く描いた。主作品「睡蓮」「ルーアン大聖堂」「積み藁」など,いずれも連作。

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旺文社世界史事典 三訂版 「モネ」の解説

モネ
Claude Monet

1840〜1926
フランスの画家
印象派絵画の指導者。印象派という名称は彼の作品「印象−日の出」(1874)が語源。外光の下での微妙な色彩をとらえた風景画を多く描いた。

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デジタル大辞泉プラス 「モネ」の解説

モネ

日本コカ・コーラ株式会社が販売する果実飲料のブランド。果汁入りの加温販売用商品。

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世界大百科事典(旧版)内のモネの言及

【印象主義】より

…クールベはアカデミーと世論に対する戦いぶりで範を示し,また歴史画,神話画,宗教画といった伝統的ジャンルを離れた現代的主題を印象派に教えた。ドービニー,ヨンキント,ブーダンは印象派に先んじて川や海など,光に満ち大気が変化しやすい場所での正確な自然観察を行い,明るく生き生きした画面を作り上げ,特にブーダンはモネの少年時代の直接の師となった。
[革新の内容]
 印象派の革新にはさまざまなものがあった。…

【ブーダン】より

…彼の好んだのはフランドルやオランダの画家だったが,何よりも自然の風景,とりわけ海と空から直接に多くを学ぶ。58年ル・アーブルでカリカチュアを展示していたモネの才能を発見し,この若者に油彩と戸外制作を教えたことが,後の印象派の形成に決定的な役割を果たすことになる。彼自身も,それまでにフランスにわずかしか存在しなかった〈海景画〉という分野を確立し,海と空の移ろいやすい光の状態を描いた。…

※「モネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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