日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドービニー」の意味・わかりやすい解説
ドービニー(Alcide Dessalines D'Orbigny)
どーびにー
Alcide Dessalines D'Orbigny
(1802―1857)
フランスの古生物学者、層序学者。クウェゾンに生まれる。南米旅行(1826~1834)を行い、彼の動物地理区の概念の基礎となった現生・化石動植物を採集した。パリの国立自然史博物館古生物学教授(1853)を務め、無脊椎動物(むせきついどうぶつ)の分類と層序学的意義を確立した。古生物学・層序学上の著述が多く、なかでも中生代のアンモナイトや有孔虫類の研究が著名で、『フランスの古生物学』(1840~1860)は没後にも引き続き出版された。キュビエの激変説に賛成し、各地の中生界の対比を行った。
[小畠郁生]
ドービニー(Charles-François Daubigny)
どーびにー
Charles-François Daubigny
(1817―1878)
フランスの画家。古典的風景画家を父にパリに生まれる。初め主として挿絵画家として生計をたてるが、1838年以来、油彩およびエッチングによる風景画を定期的にサロンに出品。1843年からフォンテンブローの森でも描くようになり、バルビゾン派との関係を深めていく。1850年と1851年にエッチング集を刊行することによって版画家としての名声を不動のものにするが、油彩画家としてもしだいに頭角を現し、サロンでも注目を集めるようになった。またコローと親交を結ぶようになってから、戸外で直接自然を描くことが多くなり、とりわけ英仏海峡沿岸のビレルビルなどで海岸風景を制作。1857年からはアトリエ船「ボタン号」をセーヌ川やマルヌ川、オアーズ川に浮かべて制作旅行を行った。筆触は自由ですばやく、色彩は明るくなり、画面にはアカデミックな完成作にはみられぬ新鮮さと自発性がみなぎり、それが後の印象派の描法に多大の影響を与えることにもなった。好んで水の風景を描き、外光表現を推進し、フランスの風景画の発展に大きく寄与した。オーベール・シュル・オアーズで没。
[大森達次]