日本大百科全書(ニッポニカ) 「もみじ」の意味・わかりやすい解説
もみじ
もみじ / 紅葉
黄葉
秋に草や木の葉が赤や黄色に変わること。奈良時代には「もみち」(もみじするとの意の「もみつ」の名詞形)と清音で読んだ。紅葉する木の総称でもあるが、なかでも楓(かえで)がみごとに紅葉するところから、楓の異称として用いられる。もみじの色が変わりやすく、もろくはかなく散るところから、枕詞(まくらことば)「もみじばの」の語は「移る」「過ぐ」にかかり、また、もみじは赤いとする見方から「朱」にもかかる。山野の草が紅葉するのを「草紅葉(もみじ)」、紅葉を見物しに出かけるのを「紅葉(もみじ)狩」といって、秋の風流な遊山の一つとなっている。
[宇田敏彦]
上代では、『万葉集』の「紅葉」「赤葉」と書く1、2の例を除いて、「黄葉」と書くことが通例であり、これは六朝(りくちょう)、初唐詩など漢籍の表記や黄葉の多い風土性によるといわれる。花紅葉と並称されるように、自然美の典型的な風物であり、『万葉集』からすでに「春へには花かざし持ち 秋立てば黄葉かざせり」(巻1・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ))と詠まれている。『万葉集』では、黄葉の歌は、四季に部立(ぶだて)されている巻8や巻10に集中し、時雨(しぐれ)は黄葉を色づかせ、散らす天象として大きな位置を占める。また、カエデは、「かへるて」(蛙手の意。楓をあてるのは誤用)として2例ばかりみられる。地名としては、三笠(みかさ)山や竜田(たつた)山などが多い。また、「もみち葉の」は、はかなく散りやすいことから、「移る」「過ぐ」にかかる枕詞(まくらことば)として用いられる。紅葉は視覚的に賞美するとともに、手折ってかざし(挿頭華)とすることも多く詠まれている。紅葉することを「したふ」といい、『古事記』応神(おうじん)天皇条には、春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)に対して、秋山之下氷(したひ)壮夫が登場する。漢詩では、『懐風藻(かいふうそう)』に「山機霜杼葉錦(そうしょようきん)ヲ織ラム」(大津皇子「志ヲ述ブ」)、などとあり、落葉の景色が多く、錦(にしき)の見立ては和歌にも摂取される。
平安時代になると、『白氏文集(はくしもんじゅう)』の表記の影響などもあって、「紅葉」と書くようになる。和歌では、勅撰(ちょくせん)集の部立、歌合(うたあわせ)や屏風歌(びょうぶうた)などの題材によって、四季の意識が確立すると、紅葉は、春の花と並び、秋の中心的な景物となった。『古今集』の秋下はほとんどが紅葉の歌で占められ、紅葉を染める露、紅葉を隠す霧、紅葉を散らす風などの天象が類型となる。散る紅葉を流す竜田川が代表的な地名(歌枕)となり、佐保(さほ)山の柞(ははそ)の紅葉(黄葉)も類型となる。紅葉は綾錦(あやにしき)の織物に見立てられ、旅人が道中手向ける幣(ぬさ)にもよそえられる。『古今六帖(こきんろくじょう)』六には、「紅葉」の題の次に、「柞」「檀(まゆみ)」「かへで」などの名があげられ、これらが紅葉の美しい植物として考えられていたらしく、『枕草子(まくらのそうし)』「花の木ならぬは」の段にも、「かへで」「檀」などの名がみえる。『源氏物語』では、「紅葉賀(もみじのが)」で、光源氏(ひかるげんじ)が雅楽の青海波(せいがいは)を舞う場面、「藤裏葉(ふじのうらば)」の六条院行幸の場面、「総角(あげまき)」の紅葉狩の場面など、華麗で情趣があふれている。謡曲の『紅葉狩』も、紅葉を背景に妖気(ようき)迫る鬼女の出現が印象的である。橘千蔭(たちばなちかげ)の『うけらが花』「雨岡(あまおか)がり行きて黄葉をめづる辞」、村田春海(はるみ)の『琴後(ことじり)集』の「山里の紅葉を見る記」など、国学者の随筆に紅葉を題とするものが多い。季題は秋。かえで・柏(かしわ)・漆(うるし)・櫨(はぜ)・銀杏(いちょう)・桜・ぬるで・柞・櫟(くぬぎ)などの木々の紅葉が季語になり、「初紅葉」「薄紅葉」「黄葉」「照葉(てりは)」「紅葉かつ散る」「黄落(こうらく)」など、紅葉のさまざまなようすも季語として秋を彩っている。
[小町谷照彦]