紅葉狩(読み)もみじがり

日本大百科全書(ニッポニカ) 「紅葉狩」の意味・わかりやすい解説

紅葉狩(能)
もみじがり

能の曲目。五番目物。五流現行曲。観世信光(かんぜのぶみつ)作。情念の奥を描く『葵上(あおいのうえ)』、哲学的な『山姥(やまんば)』などの鬼に比べ深みはないが、ショーとしての楽しさで成功した人気曲。後半に大ぜいの鬼女の出る演出もある。貴婦人たち(前シテとツレ数人)が登場、紅葉狩の酒宴へと急ぐ。余五(よご)将軍平維茂(これもち)(ワキ)は、家来(ワキツレ数人)を伴って鹿(しか)狩に山に分け入る。見慣れぬ貴婦人たちをいぶかりつつも、興を妨げまいと道を変える維茂を、女は袖(そで)にすがって引き留め、酒を勧めて美しく舞う。その酔い伏したのを見澄ますと、女たちは夜嵐(よあらし)とともに消える。八幡(はちまん)宮の使者の神(アイ狂言)が、女たちは戸隠(とがくし)山の鬼神であると告げ、神剣を与える。目覚めた維茂に鬼(後シテ)が襲いかかるが、ついに退治されて終わる。静かな女の舞が、眠りを見届けるとたちまち急調に変わるなど、演出のくふうが凝らされている。

 古浄瑠璃(こじょうるり)、長唄(ながうた)、地歌(じうた)、荻江節(おぎえぶし)、一中節(いっちゅうぶし)などに多くの系列を生み、近松門左衛門浄瑠璃にも『栬狩剣本地(もみじがりつるぎのほんじ)』があり、新歌舞伎(かぶき)十八番の『新曲紅葉狩』は、河竹黙阿弥(もくあみ)の作で、1887年(明治20)9世市川団十郎により初演された。

増田正造


紅葉狩(行事・風習)
もみじがり

秋の紅葉(こうよう)の季節に、野山に出てその美しさを観賞する行事・風習。紅葉や黄葉を観賞することは、『万葉集』以来の文献に記述があり、中世にもそのために行幸の行われた記事がある。行事としての紅葉狩は、もっぱら宮廷や貴族の優雅な遊びであった。江戸時代以降、ようやく庶民の間にも広まり、江戸では上野、根津権現(ねづごんげん)山、浅草の正灯(しょうとう)寺、品川の海晏(かいあん)寺や東海寺などが、紅葉の名所として著名になった。熊本県の阿蘇(あそ)神社や香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)では、秋に紅葉を神前に供える紅葉(こうよう)祭がある。京都の嵐山(あらしやま)で車折(くるまざき)神社の神船を浮かべての紅葉見物や、大阪府箕面(みのお)などで紅葉のてんぷらを売るなど観光行事として始められたものも多い。

[井之口章次]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紅葉狩」の意味・わかりやすい解説

紅葉狩
もみじがり

(1) 能の曲名。五番目物 (→尾能 ) 。観世小次郎信光作。紅葉狩を楽しみ宴を張る上臈 (前ジテ) のところへ,平維茂 (ワキ) は鹿狩をして通りかかる。上臈は維茂を酒宴に招いて,酒をすすめ (クセ) ,舞を舞ううちに (序の舞または中の舞・急の舞) ,維茂は眠りに落ちて,上臈は山中に消える (中入り) 。天地鳴動して上臈は鬼女 (後ジテ) の本性を現し,勅命によって戸隠山の鬼神退治におもむいた維茂に襲いかかる (舞働) が,ついに維茂の剣に従えられる。 (2) 歌舞伎舞踊曲。常磐津,義太夫,長唄の三方掛合。 1887年東京新富座,9世市川団十郎初演。新歌舞伎十八番の一つ。4世中村歌右衛門の先行作を河竹默阿弥が活歴風に補綴。5世岸沢式佐,鶴沢安太郎,3世杵屋正次郎作曲。団十郎自身の振付で,構成は,間狂言の代りに山神の踊りを入れたほかはほぼ能のとおりである。

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