モルドバ共和国(読み)もるどばきょうわこく

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モルドバ共和国
もるどばきょうわこく
Republic of Moldova英語
Republica Moldoveneascaモルドバ語

南東ヨーロッパにある共和国。西はプルート川の大部分を国境としてルーマニアに、他の三方はウクライナに接する。1991年12月のソ連崩壊まではモルダビア共和国と称し、ソビエト連邦を構成する15共和国の一つであった。面積3万3700平方キロメートル、人口364万(2000国連推計)。人口密度1平方キロメートル当り108人。都市人口比率は46.9%と低い。首都はキシナウChiinu(ソ連崩壊まではロシア語でキシニョフКишинёв/Kishinyovとよばれていた)。
 なお、歴史的な地名としてのモルドバ(モルダビア)は、プルート川西岸の現ルーマニア領内のモルドバを含んでいるので、モルドバ共和国は歴史的地名としてのモルドバの東側半分にあたるプルート川東岸から東方のドニエストル川までのベッサラビアBessarabiaとよばれる地域と、ドニエストル川とウクライナ国境に挟まれたプリドニエストロビエ(沿ドニエストル川流域)とよばれる狭く細長い地域からなっている。[渡辺一夫・木村英亮・上野俊彦]

国土

国土の大半は標高100~400メートル程度の波状丘陵地からなり、最高点でも標高429メートル。東をドニエストル川、西をプルート川が南流して黒海に注ぐ。気候は穏やかな大陸性で、平均気温は1月零下5~零下3℃、7月19~22℃で、いずれも南ほど高い。年降水量は北から南にかけて560~400ミリメートルとなり、南部はやや乾燥する。土壌は黒土が卓越し、優れた農地が開ける。植生は森林から草原への移行帯ないし草原帯にあたるが、開拓が進んで森林面積は国土の10%を残す程度である。[渡辺一夫・木村英亮・上野俊彦]

住民・言語

1989年国勢調査による民族構成は、モルドバ人(64.5%)、ウクライナ人(13.8%)、ロシア人(13.0%)。公用語はモルドバ語。モルドバ語は印欧語族ロマンス語群に属し、ルーマニア語の一方言であるが、ルーマニア語がローマ字を使用しているのに対して、モルドバ語は19世紀以降ロシアの支配下にあってロシア語と同じキリル文字(ロシア文字)を使用。ロシア革命後1932~39年にルーマニア統治下でいったんローマ字を使用したものの、40年8月2日のソ連による併合後ふたたびキリル文字を使用するようになった。しかし、89年モルドバ共和国最高会議はローマ字使用を復活する法律を採択した。モルドバ人の宗教は主としてロシア正教。国家元首は大統領で、一院制議会を有する。[渡辺一夫・木村英亮・上野俊彦]

歴史・政治

モルドバ公国は1359年に形成され、15世紀の最盛期を経て、オスマン帝国の属領となった。1812年のロシア・トルコ戦争の結果、ロシアがこの地を獲得したが、ロシア革命直後の1918年にルーマニア領となった。40年8月、ソ連邦内にモルダビア・ソビエト社会主義共和国が創設される。ソ連邦時代、共産党、政府、産業の指導的ポストはロシア人が占めてきた。
 ソ連においてペレストロイカ(改革)が進行するなかで、1990年2月モルダビア最高会議の選挙において、民族派が勝利を収め、同年6月、国名をモルダビアからモルドバに、91年5月にはさらに、国名から「ソビエト社会主義」を削除して、モルドバ共和国となった。91年ソ連で起こった八月クーデター直後の8月23日、モルドバ最高会議は共産党の非合法化を決定、27日には、全会一致で完全独立宣言を採択した。ソ連解体後の12月、独立国家共同体(CIS)に参加している。また同じ12月の大統領選挙で唯一の候補者スネグルMircea I.Snegur(1940― )が選ばれた。スネグルは95年6月に経済改革に消極的な農業民主党を離れ、8月に再生調和党を結成した。96年11月の大統領選挙では、ルーマニアとの関係を重視するスネグルにかわり、ロシア関係重視を主張したルチンスキーPetru Lucinschi(1940― )が当選した。2000年7月に大統領の選出方法が国民による直接選挙から議会による選出に変更され、01年4月ウォロニンVladimir Voronin(1941― )が大統領に選出された。[渡辺一夫・木村英亮・上野俊彦]

民族問題

ドニエストル川東側には多くのロシア人、ウクライナ人が住むが、1990年9月にティラスポリを首都とするドニエストル共和国として独立することを宣言した。これに対しモルドバ政府はただちに拒否し、91年12月ドニエストルのドボザリ市郊外で、分離独立を求めるロシア系住民と警察部隊が衝突し、15人が死亡した。92年3月には非常事態が宣言されたが衝突はおさまらず、やがて非常事態はモルドバ全土に布告されるようになった。92年5~6月に駐留するロシア軍とモルドバ軍の武力衝突に発展、同年6月トルコのイスタンブールでウクライナ、ルーマニアとともに停戦に合意し、8月にようやく非常事態宣言が解除された。94年8月、モルドバとロシアとの間で3年以内にロシア軍を撤退、またモルドバがドニエストルの自治権を承認するなどの協定に仮調印した。97年5月には、モルドバとドニエストルとの間で武力不行使と関係正常化の調印が行われたが、両者の対立は依然として解決されていない。
 また、1990年7月に南部に住むガガウス人(キリスト教に改宗したトルコ系民族)が、ガガウス共和国として独立を宣言した。この問題に対して94年12月、モルドバ議会は自治権の付与とガガウス語の公用語化を承認した。[渡辺一夫・木村英亮・上野俊彦]

産業・経済

モルドバは75%が黒土帯で気候が温和であり、小麦、トウモロコシ、タバコ、ヒマワリ、ビート、ブドウなどの農業とこれらの農産物加工が発展している。とくにワイン醸造は、今後の貿易の主力になる潜在力をもつものと期待されている。工業としては機械製作、食品工業などがある。みるべき地下資源はない。また農薬、化学肥料による土壌の汚染が進んでいるため、対策が急がれている。
 1992年1月の市場経済への移行開始後、他のCIS諸国に3分の2を依存する、薬品、ガソリン、電力などの輸入品の価格が高騰し、一方、国内の生産が低下し94年の工業生産は1990年の46%となった。ドニエストル共和国をめぐる紛争も経済的に悪い影響を与え、農産物生産の低下も著しく、穀物生産は94年に1991年の46%まで減少したが、果物の生産の低下は比較的小さくすんでいる。その後も好転はみられず、98年の経済成長率はマイナス8.6%であった。
 1992年11月29日IMF(国際通貨基金)のメンバーとなり、93年11月29日にはルーブルにかわり独自の通貨レイが導入された。[渡辺一夫・木村英亮・上野俊彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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