モロー(Gustave Moreau)(読み)もろー(英語表記)Gustave Moreau

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

モロー(Gustave Moreau)
もろー
Gustave Moreau
(1826―1898)

フランスの画家。建築家を父に、音楽家を母にパリで生まれる。1846年、エコール・デ・ボザールに入り2年間学ぶが、やがてドラクロワにひかれるようになる。さらに48年、早熟のロマン派の画家シャッセリオが完成した会計監査院の壁画から感銘を受け、彼を師と仰ぐとともに、56年のシャッセリオ夭折(ようせつ)まで親交を結んで深い影響を受けた。その間、52年にはドラクロワ的色彩の濃い『ピエタ』をサロンに初出品。しかし、自らの未熟さを悟り、57年から59年までイタリアに旅行、カルパッチョマンテーニャミケランジェロなどを研究した。64年、『オイディプススフィンクス』をサロンに出品、このころから独自の画風を展開する。彼はそれまでのドラマチックなロマン主義的スタイルから離れ、静謐(せいひつ)な造形言語を用いて、神秘的・象徴的な世界をつくりあげる。主題はほとんどギリシア神話聖書からとられ、人物は厳かな静けさをたたえ、色彩感覚は鋭く、マチエールは貴金属的であり、象徴的で装飾的な細部は豊かさを極めている。

 1869年のサロンでは『プロメテウス』が激しい非難にさらされ、以来7年間出品を見合わせるが、76年のサロンには『出現』などを出品、好評を博し、いよいよ円熟の度を増していく。しかし、80年を最後にサロンへの出品は行われなくなり、自宅に隠棲(いんせい)してひたすら制作に励む日々が続く。88年には美術アカデミー会員に選出され、91年にはエリー・ドローネーの後任としてエコール・デ・ボザールの教授に迎えられる。教育者としては、画学生の個性を伸ばすことに意を尽くし、死の年までその職にあった。彼の教室からはマチスルオー、マルケらが輩出した。彼は神話や聖書に取材し、エロティシズムと倒錯的な美の世界を描いて象徴主義の代表的な画家となった。パリで没。没後パリの邸宅と作品は国家に遺贈され、モロー美術館として公開されている。

[大森達次]

『P・R・マチュー著、高階秀爾他訳『ギュスターヴ・モロー――その芸術と生涯』(1980・三省堂)』


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